4種類の薬のパンフレットを出し説明しはじめ先生の話を折る形できいた
「薬が出せるてことはADHDて診断確定て事ですよね」
「そうですね」
公式サイトによると児童精神医学、乳幼児精神医学が専門の美人すぎる先生は、非常にさらっと答えてくれた。

実は保育園での様子を見てADHDと感じたことは無い。多少(多少といえるレベル)落ち着きはないが、送られてくる日々の動画や、実際見学に行く発表会、運動会と特に目立つ行動はなく(むしろやる方)、先生にも手を振り払ったり、勝手に出ていったりはないですね、何も心配していません、といわれるスシロー5歳。

が、私と一緒にお出かけする時は常にハイテンション!
動きまくり、しゃべりまくり、落ち着きゼロ。
スーパーでものを触るのは止めてー、そんな所にのぼらないでー、先に行かないでー。

そしていけしゃあしゃあと
「触らないでと言われたことはおぼえていたけど、どうしてもその場にあるとさわるのをやめられないんだよね」
自己行動を説明

基本は新しい場所でその傾向は発揮され、児童精神科なんていう、親からしたらかしこまってしまう様な場所で、走りまくり、ドア開けまくり、しゃべりまくり。
普段はここまてめひどくないとわたしがいってもらこりゃ病院でのこの様子を見た先生や臨床発達心理士は間違いなくADHDと診断することはわかっていた。

なのに言われるとなんかショックがじわじわとおそってきた。これからの未来に対する不安だと思った。

「たぶん本人も辛いと思いますよ。本人の力ではどうしようもできなくて」

たとえとしては
座っててと指示する→ 外を飛んでるヘリが見える→座ったまま見る
が通常

スシローは
座ってて→外を飛んでるヘリが見える→座っててという脳の命令がさっぱり消える→ヘリを見るため立つ

「怒っても、怒られたことはわかっても前後は覚えていないので、なんで怒られたかは紐づかないんですよね」

スシローは検査の結果、知的な遅れや自閉傾向、コミュニケーション障害はないといわれた。
しかし、だ。
あとで旦那もその話を聞いて思わず言った

「そんな都合いいことあるか?」

叱っても全く意味が無いような話をされたので、私も同じ感想を持った。
そしてあちこちのADHDの本を読んだが、強調されていたのは、あれこれ引き起こすことが「悪意を持ってやっているわけではない」ということ

ADHDの子は非常にそんなわけで叱られやすい。

私が一歳7ヶ月から預けた保育園は、園長が自分の子供をインターナショナルスクールにいれたときに、働きながらはこれは無理だと感じた。
だからこそ、親が働きながらでもインターナショナルスクールのようなさまざまな教育を受けられる保育園を作りたいと思い開園したときいた。

そんなわけで、スシローはいわゆる早期教育漬けの毎日を送っていた、というか送らされていた。

しかし、その保育園には問題があっと。園長の理念は素晴らしいが、人材不足だったことだ。
おそらく資金不足もあったのだろうと思う。

そういった幼児教育は、いわゆる教える側の力量に非常に左右される。
入園したときは素晴らしい経歴の専任スタッフを紹介されたのだがいつのまにかいなくなった。人づてにお金のトラブルと園長と衝突があったときいた。
結果、保育士の先生が知育を担当するようになる。

繰り返しだが園長の理念は素晴らしいと思う。
私みたいに感銘をうけたであろう親につれられ、園児はまたたく間に増えた。
ただ、その園の求人を見た時思った。他の同じ地域の園より給与水準が低いのに、いい人材があつまるのだろうか。
しかも内容は、園長の話通りなら普通の保育園よりはるかに先生たちのやることが多い。

その結果ベテランが揃っているという最初の説明であったが、今回が全く初めて保育士として働く40代、妊娠中の3ヶ月だけ働く保育士など、どこで見つけたん?という先生もいた。
外国人スタッフはもっと頻繁にコロコロ変わる。

その保育園への不満は昔のブログにも書いているのでだいぶ省略してしまうが、結果、保育士が子供を感情的に帰りなさい!と夜7時に怒鳴りつけている場面を私が見たり、ほかの園に通わせているお母さんが散歩中に園児は静かなのに、ひとり怒鳴り散らしている先生を見たとか、イラッときて怒鳴っちゃったという先生にあーわかるわかる!と同意してる先生たちの井戸端会議を見た話や、前に働いてた先生から忙しくて、泣いてる子も放置、可哀想でやってられなくてやめたらなど怖い話も聞くようになった。

そんなわけで、スシローはやはりかなり叱られていたと思う。
最後やめる日に先生やスタッフ20人ほどに手紙を書いた。
当時は字が書けなかったので、スシローは似顔絵、私が字を書いた。

「お迎え来たよていつも教えてくれてありがとう」
「いつもみんなのことを見てくれてありがとう」
「園長先生 たいことかトミカなど新しいおもちゃを買ってくれてありがとう」
など、書いて欲しい言葉を聞くとありがとうシリーズでしめられていたが、担任の先生のだけは、なんて書くか聞くと少しテイストが違った。

「いつも僕のこと怒ってくれてありがとう」

さすがにまずいと思い、このあとに私オリジナルの 楽しかったよ 忘れないでね のメッセージをつけ加え体裁を整えた。

表面的にはケロッとしてるし、同じ間違いを繰り返すのでふざけてると思われ(私もそう思ってたが)、きつく注意される。性格的に明るく後に残らないので、正直叱りやすい子だと思う。

ただ自信が無い様子が目立つようになった。
出来ないことは、頑としてやらない。
難しいことにチャレンジしようとしない。

5歳児健診でいわれたのが
「おかあさん、この子は叱られる場面が多くて、自信をなくしているのでないかと思います。何かあった時のかかりつけ医を年長になると混むので、いまのうちにつくっておいたほうが、彼の心の為にもいいと思いますよ」

それでやっと受診することを決めた。
医師からも田中ビネー式知能検査を受けた時の様子を

「難しそうな問題ははじめからやらない、と本人が伝えてたそうですね。少し自信をなくしている様子もあったそうです」

といわれた。
今回のそう言われた話を前の保育園で一緒だったママ友に伝えると

「○○先生だね」

と普通にその例の担任の先生の名前ひとことでかえしてきた。彼女の中では、担任に怒られまくり自信をなくしたスシローというのが、あの保育園での彼女自身や子供とのやりとりにより確定した出来事になったらしい。

こういう怒られる経験から自信をなくしがちなADHDの子は鬱など2次障害として出やすいといわれている。
あの保育園で楽しかった思い出もたくさんあるんだが、今ののびのび保育園にうつると、結果的に窮屈な生活を彼に送らせたことが、これからの人生に影を差すのではと、親としては胸がなんだかぎゅっとしてしまう。

とりとめのない文章になってしまったが、ADHDとしか診断されていない5歳の彼には今のところ、投薬などはできないので、次は就学検診用に知能検査を受けるのに夏休みくらいの受診を勧められたくらいだ。

療育も週2回利用をしているのはこのまま継続。あとは私たち家族が診断されたことにより、息子との接し方をもっと勉強しなければいけない期間を貰ったと思うことにした。
将来の投薬についての考え方も家族内でばらばらだ。
ただ願うのは少しでもスシローが幸せに暮らせること。
もっともっとスシローと毎日一緒にいたい!
(と起きてる間は思わない時も多いけど)
そしてスシローにもそう思ってもらえるママになれますように。