こんにちは
お手頃なのに良い出会いばかりの
川崎百合ヶ丘・美容室ブランカのまりです

今回はネットショップ岩手県の花の館さんで
クリスマスローズ
破格なのに花つきが届き
届いてからも咲いてくれて嬉しい!











さて
今回は江戸商人の中心地
最寄りが小田急線なのでなるべく地下鉄を使います
新御茶ノ水駅だと乗り換えなし
地上にでると駿河台の説明版
以前は湯島と地続きで神田山と呼ばれていたんですね


お茶の水ソラシティ


地下に降りて懐かしいカプリチョーザへ

若かりし頃のイタリアンといえば壁の穴とカプリチョーザ
創業者はお亡くなりになったそうですが
フランチャイズ化して店舗が増えておりました

当時と同じ刻んだにんにくたっぷり!
あげ茄子とほうれん草の ミートソース田舎風

なごみました~
人がいても気にしないセグロセキレイ


敷地内の軍艦山なる傾斜地からのニコライ堂

土木遺産認定!湯島聖堂とニコライ堂をつなぐ聖橋


聖橋には秋葉原の方を見つめる人が必ずいます
時間が許せば 総武線と中央線と丸の内線 が交差する写真が撮れます
私は中央線と丸の内線のバラのみ…


寄り道
湯島聖堂
1690年徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため
この地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と
林家の家塾を移したのが始まりです

掲示板

掲示資料


境内図

1923年の関東大震災によりこちらの入徳門を除き焼失したので
聖堂内唯一の木造建築

額は藤原基輔の筆

牡丹の蟇股

木鼻は獏で人の悪夢も食べると伝えられています

梅が開花中

警戒心が強い鶯が見られました

水屋は使えません

両手いっぱいのブナ科すだじいの巨木

目の前に杏檀門 掲示資料


額は徳川家達公の筆



掲示資料 大成堂 1935年に伊東忠太氏の設計/大林組の施工で再築

1797年当時の旧聖堂によせ木造から鉄筋コンクリート造とし屋根は銅板葺
両端の龍頭魚尾は想像上の鴟尾

回廊

流れ棟から牙を剥く鬼龍子は猫科に似ており腹には蛇や龍のような鱗があります
一目見た時から好きだぁ~♥



どこかで見たような?
そう
唐招提寺の瓦が埋め込まれた外壁に似ています

大きな椿も見られます


珍しい楷樹


初代中華民国総統・蒋介石氏の額

●日本に儒教が伝わったのは仏教よりも少しだけ早く513年で
「士」は中国での使われ方と同じく知識人や役人を指しており
儒教の影響を受けたと言われた徳川幕府の身分制度である士農工商は
近世史の観念からないことになり
文部科学省検定済み教科書から削除されております
?信じがたい…

論語といえば男性リーダー向けといったイメージでなじみがありませんが
ー子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えずー
は聞いたことがあります
大きな孔子像

神農廟がこの奥にあります



掲示資料

斯文会館
屋根のカーブが重なり合い
角がある四つ足に翼・鬼瓦にも角 個性があり重厚感大!こちらも好きだぁ~






掲示資料 現在も斯文会が活動中です



斯文会HPより
仰高門
額の徳川圀順公爵の筆

鬼瓦もかっこいい


今日の径路はざっとこんな感じ

昌平橋 1904年ドイツ製造のレンガが使われた紅梅河岸高架橋
1908年~1911年まで中央本線の起点 昌平駅がありました

万世橋 昌平駅にかわり1912年に中央本線の始発駅として開業した万世橋駅がありました

万世橋高架橋

神田川にかかる昌平橋が見えます

マーチエキュート神田


デッキ


この後に本日の本命
研ぎに出したはさみを受け取りに
秋葉原の昭和通り出口先の岡本商会に行きました寄り道は続きます
神田明神下交差点に向かう途中 この木だけがチュンチュンと騒がしい

昨今見かけなくなった雀が群がっているんですけど
珍しい光景…

右に折れ都道452号へ

芳林公園
蔦屋重三郎と時代を生きた
滝沢馬琴氏1767年~1848年は
は1824年~1836年までこの地で暮らしました
有名な南総里見八犬伝は48歳から書き始め76歳で完成したそうです


紅梅開花中

おぉ~メイド美容室が近くにあります

そして
男坂から神田明神へ 正式名は神田神社

女坂はカーブあり

御神殿 本殿・幣殿・拝殿からなる権現造
神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内・旧神田市場・豊洲魚市場など108町会の氏神様です

湯島聖堂と同じく伊東忠太氏が設計に加わり
鉄筋コンクリート造りで東京大空襲にも耐え抜きました

おおいちょう
親木のほうは枯木により倒木防止のため上部を伐採されたそうです



石獅子 1862年奉納と記録あり
関東大震災により子獅子を紛失
後に上皇様の
1989年天皇陛下ご即位を奉祝し子獅子を制作
能や歌舞伎の演目 石橋にちなんで獅子山を制作されました


子獅子は色白

しだれ梅開花中

御神殿の横は神馬舎で後ろは祭祀殿・資料館

彫刻はないのですが屋根の上に目がとまりました

鳥でなく防火安全の意味を込めて水鳥だそうです
神紋は流れ三つ巴

屋根の四隅で監視中
それにしても
なんと美しい屋根の重なりだこと

献燈と金具は三重割菱

鉄製天水桶の銘文から江戸享保から幕府に公認され特権化しはじめた
商人達の株仲間の存在が考えられる

三巴紋

りりしい狛犬は正面を向いています



神馬はは2010年5月生まれポニーのあかりちゃん
偶然お散歩中に見かけました
細やかな性格なので近くに行くのはNGだそうでこれで3m位離れています

境内末社めぐりは4か所詣で

大伝馬町八雲神社 ご祭神 – 建速須佐之男命


江戸神社 御祭神 – 建速須佐之男命

力石

小舟町八雲神社 御祭神 – 建速須佐之男命




小舟町八雲神社 鉄製天水桶


魚河岸水神社 祭神/水神 弥都波能売命




神田日本橋桶工水溜講の石碑 1924年12月建立



御祭神ーだいこく様尊像

御祭神 ー えびす様 正式名・少彦名命


縁起物の熊手

江戸時代の神田明神御祭 凄い規模です

喜多川歌麿画

中央の山車は須田町

獅子のおみくじ動きます!
隨神門 1976年再建
総檜木の二層建て入母屋造
銅板瓦棒葺
※30~45 程の間隔で屋根に取り付けられた瓦棒かわらぼうという角材を土台にして
金属の屋根材を施工していく方法

唐獅子


朱雀と水鳥


隨神像 櫛磐間戸神 豊磐間戸神


社殿側 神馬


朱雀 南


玄武 亀 北



白虎 西

青龍 東

内側

因幡の白兎


繋馬 つなぎうま 御祭神 平将門の陣幕と旗印は相馬の繋馬の絵でした

離れた方が神馬が良く見えます



大鳥居は境内図に掲載がないです

来る3月31日に神田明神で
音羽屋・尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名
ご子息の尾上丑之助が六代目尾上菊之助襲名の披露のお練りが行われます
拝見したいな~

大鳥居前の道を挟んで湯島聖堂の明神門があります

二つ角の鬼瓦



相生坂を降ります

石垣の一部を修復したのでしょうか?


先ほどの斯文会館に戻りました


聖橋の下を抜けてから上がります

おさらい
流石!分かりやすい神田明神さんの地図はお借りしました

本日は現代と融合した江戸を感じ
屋根上の神獣や神馬と鳥たちを愛で心喜ぶ日となりました