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戦艦の論 THE EIGHT I「本物の戦闘が、どう見え、どう聞こえ、どう匂うかを伝えることだ。_Steven Spielberg」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【銃閉症】『ハクソー・リッジ』評 - part3

 

 

 

 

 個人目線の戦争

 

 

評価の高い映画である。レビューではプロも素人もそれぞれの見方で着目し、思うところについてよく語っている。その解釈は本来意図するところとズレているかもしれないが、制作側の想定通りとも言える。

 

 

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/ハクソー・リッジ/359061/review

 4.08 点 / 評価:2,299件

 

 

 

ストーリーの基礎を成す人物素材は実在し、華々しい実績を誇るため、その存在を知らなかった者にとって、ちょっとした知識披露に役立つ作品である。戦いの舞台となった沖縄にまつわるインフォメーションは、娯楽鑑賞者にとって参考としても必要ないが、新聞記者がこぞって教養アピールしたため、これに言及する意見もある。一部の低評価者は、日本兵が無残に殺されまくる点に納得していない。イスラム兵や中国兵を標的にした戦争アクションなら大好きなのに、という右派ナショナリストの外れ値を差っ引いて計算すればポイント平均点はだいぶ上がる。

 

 

 

『アウトレイジ』に引けを取らない剥き出しの暴力表現は苛烈かつ執拗で、アカデミー受賞の威光がなければもっと非難されていただろう。痛々しさを伴うグロテスクシーンは、過去作品の成功により顔パスの効く監督の趣味に寄り添って、思う存分「写実に淡々と」描かれている。「#戦争 #リアル」カテゴリーで、よく引き合いに出されるスピルバーグの『プライベート・ライアン』は以下の評価である。

 

 

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/プライベート・ライアン/84307/review/

  4.19 点 / 評価:2,021件

 

 

 

たった一人で75人助けた『ハクソー・リッ慈』と、たった一人に8人が命をかけた『プライ米屠・ライアン』は、第二次大戦時の東西二大激戦地を舞台にしたことで、図らずも似たような戦闘シーンが生まれていた。いずれも、間近で弾丸の飛び交う死地にいた「誰かの回想」という形で描写されており、戦局は俯瞰的にではなく至近的に、客観的にではなく主観的に捉えられている。汗や血や火薬の匂いがしてきそうな反面、戦争映画にありがちなナレーションによる戦況説明や、上に流れていくテロップや、軍事会議での意思決定模様は省略されている。『ハクソーR』の描く戦争は沖縄戦であるが、戦艦大和や神風特別攻撃隊の特攻は見当たらず「戦艦の論」的にはちょっとさびしい。

 

 

 

当時の兵士たちの目線に立ち、政治的思想をあまり感じさせることなく、一人の目で認識可能な戦争の日々を、それでも個人にとっては大きすぎる出来事を、極めてシンプルに正確に伝えようとしている。よって、教育書に描かれた戦争と『ひめゆりの塔』しか知らない人が、描かれなかった事実があると訴え、作品にその咎を負わすのは筋違いである。なお、脚色はあるものの、いずれも史実から大きく外れるものではない。ちなみに、『Pライアン』でノルマンディー上陸作戦に参加したエキストラは、写実を追及するため実際のアイルランド陸軍兵士を起用している。このキャスティングに先鞭をつけたのがメル・ギブソン(『ブレイブハート』)だったので、「#戦争 #リアル」については、スピルバーグの二番煎じという指摘はあたらない。

 

 

 

『Pライアン』と『ハクソーR』はシンクロする部分も多いが、映画の構成面から考えるとだいぶ異なる展開をしている。『ハクソーR』の主人公はデズモンドただ一人で、導入のスローモーションで「やられた」、と思わせながら成長編、戦場編を通してストーリーを引っ張り、最終的にも生き延びる。兄弟、恋人、両親も登場し、中でも二代に渡って大戦に参戦した父親との関係変化は重要だ。一方の『Pライアン』は全編通じてほぼ戦場編しかなく、銃後で家を守る家族との関係は語られない。従軍兵士の体験を元に造形された主人公が二人いて、最後に「戦死した者」と「生き延びた者」とに命運が分かれる。助ける精鋭チームのリーダーと、助けられる二等兵は実在人物ではない。

 

 

 

『Pライアン』は、よれよれの爺さんが大勢の子や孫を引き連れて、整然と並んだ墓の前で涙するところから始まる。穏やかな陽の下で星条旗が静かにたなびくシーン、後に画面は過去に切り替わり、チームリーダー「ミラー大尉」が大映しになる、荒れた空模様の中を進む上陸用舟艇の轟音と共に。この人が主人公で「生き延びていたんだな」と誰もが思うが、結末が明らかにするようトム・ハンクス演じるミラーは墓石に刻まれている側だった。この変化球で改めて気づく、『Pライアン』は戦死者を祀ることをないがしろにはしない。多くの人が忘れてしまっている、何百万人かの戦没者の内のひとり「軍人ミラー」は、彼によって救われた者とその子孫たちにとって、ただ武勇を誇るヒーローではなかった。『ハクソーR』を注意深く見て気づいたことだが、飲んだくれ親父が管巻いていた墓地のシーンの墓石には偶然にも、このミラー(注)の名前が刻んである。

 

 

 

 アパムとデズモンド・ドス

 

 

 

アメリカ政府が、国家の威信をかけて何としても救出しようとしたライアンは、四人の兄弟を戦場へ送り出し、そのうち三人が戦死したという家族の悲惨なエピソードを語る上で重要だ。そのために犠牲となったミラーも、語りだせばキリがないほど勇敢で思慮深く威厳に満ちている。ところで、『Pライアン』には、もう一人気になる主要人物がいる、「アパム」とかいうヘタレだ。こいつさえいなければ、ミラー死ななかったのに、とか言われるような、どうにも頼りない新兵であった。

 

 

 

アトムやアムロのような名前で印象に残るアパムは、体格小さくひょろひょろした青年で、通訳を主任務として「七人の救援隊」の八番目の兵士として加わっている。『七人の侍』で言えば、意識高い系若侍「勝四郎」(九割)、偽のサムライ「菊千代」(一割)といった役所だ。捕虜にしたドイツ兵を「殺さず命は助けてほしい」と願い出るようなところがあって、歴戦の猛者たちからは、現実を知らない甘いヒューマニズムの持ち主だと反発を抱かれている。だが、彼こそがスピルバーグが肩入れする、『Pライアン』裏の主人公ではなかったか、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

アパムはデズモンドと違って銃は持てる、しかし撃つことができない本当の臆病者だった。そのため、戦場では足手纏いにしかならず、戦闘に貢献しないだけでなく、確実に敵を制圧できる有利な立場でも、めそめそ泣きながら仲間が殺されるのを見過ごしていた。彼は、いらない知識だけは豊富だが実戦経験が皆無で、無駄な装備をごちゃごちゃ集めて取り散らかしている。戦場で必要なのは「タイプライターではなく鉛筆だ」と、呆れ顔のミラー大尉に、その仕草で教えられるほど臨機応変とは無縁の役立たずだ。にもかかわらず、ドイツ兵を一掃する山場シーンで、アパムだけが豹変したかのような大活躍をしてしまう、なぜだろう。

 

 

 

スティーブン・セガールみたいな主人公が表情を変えることなく、敵兵をなぎ倒せばただのおもしろい映画だが、その大事なカタルシスシーンを、カッコ悪いと思わせていたアパムに突然託してしまう。そうすることで、彼がどういう存在だったかを振り返ることができる。戦争映画の主人公には本来なり得ない、最悪の失態ばかり見せる彼は、実は大方の観客が、いや全観客が、仮に戦場に連れ出された時に見せる、無様で普通の代表的な姿であった。そういう等身大の人物を配置することで、緊迫の戦場に目線を合わせ、できれば疑似体感できるよう、隠し球が仕込まれていたのだ。

 

 

 

平常だれかに守ってもらいながら、安全が保障された場所で、武力行使とそのための準備活動を非難するのは容易い、自閉症のニートでもできる。でも実際、今日もどこかで続いている戦争というシチュエーションの中で、賊が侵入して家族が殺されそうな非常事態で、それでも銃を撃たないことがありなのか、立ち止まってしまう。アパムもさすがにショックを受けた。自らとった行動が、何もしなかったという態度が、人の生死を左右したことに。弾を届けることができないため、仲間は目前の敵兵に、撃ち尽くした銃やヘルメットを投げつけるしかない。孤軍奮闘する友軍を尻目に「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と、シンジのように念じたに違いない。そしてヘンシンする。航空支援を受けていたとは言え、ATフィールド全開でドイツ軍幹部を武装解除させてしまったのは圧巻だった。

 

 

 

 モード反転、身を捨ててこそ

 

 

 

『ハクソーR』のデズモンドも最初の戦闘では、なかなか衛生兵としても活躍できず、助けるというよりは助けられていた。周りから「そらみたことか」という蔑みの目線を浴びながら、一進一退する激戦のさなか、なんとか懸命に踏みとどまっていた。そのうち日は暮れ、まだ動ける味方は宿営地まで撤退を始めた。だが、彼が本領を発揮するのはここからだった。闇の中、泥だらけの顔で目だけを光らせると、動けない負傷者を次々に発見した。そして、すさまじい勢いで縄を結び、安全な崖の下へと降ろしていく。暴走モードに突入した彼は、息のある者を担ぎ、背負い、休むことなく、汗や汚れを拭うこともなく、食べることも飲むこともなく、時には日本兵もお構いなしに手当てし、どんどんその数は膨らみ、東の空が白み始めるまでに、なんと敵兵を含め75名もの人間をたった一人で救出するのであった。

 

 

 

アパムの話は作り話だが、もっと作り話のようなデズモンドの話は真実だ。今回を含めて三回連載することになった『博総・リッジ』の、徹底して銃を持たない話と、多くの人命を救った話は、信仰の実現という意味では理想的なエピソードかもしれない。だが、戦闘行動学的には説明がつかないように見える。銃をもたない衛生兵がいて、それなりに活躍したという話ではない。また、武装していたとしても、たった一人でそれだけの人命を救えるものではない。どちらにしても、異常な話であって、信念や信仰心だけではその因果関係の説明がつかない。、、ただ一つの仮説を除けば。

 

 

 

 

 part4に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

(注)

「エドワード・ミラー」と墓石に刻まれている。

検索したらこんなものを発見できた。これって偶然?

 

https://www.amazon.co.jp/オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略-エドワード-ミラー/dp/4105284010/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1519147835&sr=1-4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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