寒い冬は読書の季節 | 偽・乱筆記~himagine~

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当たり障りのない日常の日記や雑記の類です

2021年は正月休みを過ぎると
2度目の緊急事態宣言で幕を開けた。
昨年の春先に初めての緊急事態宣言を発令したが、
その時は1日に100人を越えていた新規感染者が
100人未満に下がっていたので、
一定の成果はあったと思われる。
しかし人の往来を抑制することで、
店頭販売業、飲食業、旅行業が窮地に立たされ、
結果的に廃業に至ったケースも報道されたりしていた。
私自身の実体験だが、
通勤路や繁華街から離れていたので、
2、3年足の遠退いていた近所にある中華料理屋や家庭料理店に
徐ろに行ってみると既に廃業していたなんてことがあった。
コロナが原因だったかまでは知る由もないが、
とても哀しい気持ちになってしまった。

つまりコロナ禍における最大の難問は、
政策的な“感染抑制”が“経済抑制”にもなってしまうところにある。
両立できないのだ。
特効薬が開発されて、それが行き届くようにならないと
根本的な解決にはならず、
そうなるのはまだまだ先の話だと思っている。
コロナウィルスとの共存時代は続く。

そんなコロナショックに拠る緊急事態宣言の煽りで、
今年に入ってからは週の半分以上はテレワークになってしまった。
ただでさえ今年の冬はとても寒く感じているので、
朝の殊更寒い時間帯に出勤しなくて済むのは大変有り難いのだが、
今の仕事が異動したての部署の慣れてない仕事で、
尚且つこのところやることが立て込んでいて、
朝の9時から夜は19時20時くらいまで部屋に閉じこもる時間が増えて、
あまり身体を動かしていないせいか、
最近は身体中に凝りが発症している。
それで行きつけのスポーツジムにも行きたいのだが、
緊急事態宣言を受けて営業時間が早まり8時までしか開いてないので、
たまに仕事が定時で上がれた時に急いで行っても大したことはできず、
結局2、30分泳ぐだけで切り上げている。
しかも運動不足のせいか足を吊りやすくなっていた。

そんな近況でジムにもあまり行けてなく、
夜は早くから家に籠もることになり、
ライフワークにしていた職能資格の勉強も
今は目標が立たず何もしていないので、
長年部屋の隅に積んである本を少しずつ読み進めている。
最近読んだのだが、

『植草甚一コラージュ日記 東京1976』植草甚一

これは2015年の春頃に世田谷文学館で開催された
植草甚一の企画展を見に行った時に購入したもので、
それから5年以上も部屋の隅に積んだままにしていた。
本書は植草氏が亡くなったのが1979年なので
晩年の日常を記した作品と言える。
この日記が書かれていた1976年は私も既にこの世界に存在していた。
尤もまだ幼児だった。
私の中でもかなり古い記憶になるが、
その頃から私は嫌われていた。w
あまり風呂に入っていなかったのと、
同じ服ばかり着ている汚い子供だったからだ。
そんなの幼児に幾ら言ったってどうしようもない話で、
むしろ親に言え!って話なのだが、
それを言ってくれる毅然とした殊勝な大人は
当時“も”居なかった。
私は大人になってからも嫌な半生を生きているが、
それが私の意思決定の結果ならば
自分の決めたことなので仕方のないことと受け止められるが、
子供の家庭環境は本人が決めたことでも望んだことでもないので、
内向的で世間知らずだった頭の悪い両親の貧困家庭に生まれて、
その影響で味わった幼少時の嫌な記憶は
今でも時々頭をかすめることがあり、
それで今でも時折腹が立つことがある。
呪いみたいなもんだ。

僕の一日は散歩と読書で暮れていく

その本の背表紙に書かれていた一文だ。
いつの頃からかそんな日常を幸せだと思えるようになった。
大した費用もかからない娯楽なので、
そこそこ稼げる仕事さえ失わなければ、
私のような貧民でも簡単に実現できる日常だ。
家の近所の散策に始まり、
時には電車や飛行機で遠方まで脚を伸ばし、
徒歩を楽しむようになったのは
ネットの中に乱筆を残すようになってからだ。
ネットに駄文と共に写真も載せたいと思い、
面白い風景を求めてデジカメを持って歩き回るようになったのだ。
それからもう15年くらい経つので、
もう生活の中に充分根付いた趣味だと思っている。
尤もやはり寒いのがとにかく苦手なので、
冬場は出不精になってしまう。 
だからもうしばらくは読書に勤しんで、
じっと春の到来を待つつもりでいる。






【蛇足】
最近やっとインスタのIDを作った。
それで大好きな筋肉ギャルを無言フォローをしまくっている。
気持ち悪い思いをさせてたらゴメン!w