今年2025年は昭和100年にあたるそうです。そう言えば、母は大正14年生まれで対象115年が昭和元年でもあるので、昭和と年齢が同じになります。確かに今年は母100歳になります。母は100年間生きて、社会や文化がとんでもなく大きく変わっていくのを見続けてきたのです
ある人はこの100年間を3つに分けていました。1926~45年を「戦争の時代」1945~91年を「成長の時代」91~2025年を「縮小の時代」としています。
戦争の時代、日本は自分勝手な論理を世界に掲げて、身の程知らずにケンカを売りますが、完全に叩き潰されます。しかし、その焼け野原から日本人は勤勉に働き、驚くべき経済成長を果たします。しかし、その勢いも途切れると、衰えていくのですが、ただ金を稼ぐだけではなくて、もっと多様化した生き方を求めるようになっていくように思えます。
社会を見ると、戦前は農業主流の国でした。そして国全体が貧しかったのです。国が広くなく、地下資源に乏しかった日本は海外に資源を求めて戦争を打って出たのですが失敗し、戦後は、工業を盛り立てて、国を豊かにしていったのです。また、配線によって、海外の文化を積極的に取り入れるようになり都会的な文化が育っていきました。
酒の飲み方も、そんな社会や文化の変化に伴って変わっていきました。農業国で、国全体が貧しいころは、冠婚葬祭の時にしか酒を飲む余裕もなかったのですが、戦後の高度成長で社会全体が豊かになっていくと、庶民でも、毎晩晩酌ができるようになっていったのです。
庶民も普通に酒が飲めるようになると、アルコール依存症も庶民の病気になっていきました。高度成長を支えた、戦争生き残り組や団塊の世代は「モーレツ」に働きながら、酒も大量に飲み始めたのです。そしてアルコール依存症患者も普通に出てくるようになったのです。断酒会の全盛期を歯その人たちで作られたものです。
バブルがはじけて、金儲けではなくてもっと多様な価値観が求められるようになると、若い人の酒離れという事も言われるようになってきたのです。
100年もあれば、社会も世の中もとてつもなく変貌するものです。そしてその変化に応じて、酒の飲まれ方も変わっていき、その結果もまた変貌していくのでしょう。
酒がすべての人に適正に飲まれて、アルコール依存症者がない時代がいつかは来るのかもしれないし、もっととんでもない世の中になるかもしれません。これからの100年を生きる人たちには、よりよい社会になるように頑張ってほしいものです。