このところロシアと距離を置きたがっているように見える中国。
何が起きているのでしょうか。

北野幸伯さん発行『ロシア政治経済ジャーナル』の記事をご紹介します。

(以下引用)

私が

◆『中国ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』
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という本を出版したのは16年前、2007年のことです。

今なら、「中国ロシア同盟」という言葉、誰でも受け入れることができるでしょう。

ところが当時は、

「中国ロシア同盟?????そんなものは、どこにも存在しない!」

という感じでした。

私は、「事実上の中国ロシア同盟は、2005年に成立した」と見ています。
だから、07年にそういう名前の本を出したのです。

どういう話でしょうか?

プーチンは、2000年に大統領になると、当時の有力新興財閥二人を征伐しました。

一人は、「クレムリンのゴッドファーザー」と呼ばれていたベレゾフスキー。

もう一人は、「ロシアのメディア王」と呼ばれ、「世界ユダヤ人会議」の副議長だったグシンスキー。

ベレゾフスキーはイギリスに、グシンスキーはイスラエルに逃げました。

石油最大手ユコスのCEOだったホドルコフスキーという男がいます。
彼も、上記二人と同じくユダヤ系。
彼は、ベレゾフスキー、グシンスキーがアッという間にプーチンにやられたのを見て恐怖します。

それで、何をしたか?

まず、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルドに接近しました。
そして、共同で「オープンロシア財団」を立ち上げたのです。
なんだか「陰謀論」みたいな話ですね。

ここでは細かい証拠を挙げるスペースがありません。
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もう一つ、ホドルコフスキーは、ネオコンブッシュ政権に接近しました。
そして、ホドルコフスキーは、「自分を守ってくれれば、ロシアの石油最大手ユコスをアメリカに売る」と約束したのです。

実際、エクソンモービル、シェブロンテキサコとの交渉がはじまっていました。

ロシアにとって、石油、天然ガスは最大の収入源です。
プーチンは、それをアメリカに売ろうとするホドルコフスキーを許すことができなかった。

それで、ホドルコフスキーは、脱税、横領などの容疑で03年10月に逮捕されたのです。
彼はそれから、10年間刑務所にいました。

その後、プーチンが「ロシアの勢力圏」と考える「旧ソ連諸国」で相次いで革命が起こるようになっていきます。

03年、ジョージアで。
04年、ウクライナで。(オレンジ革命)
05年、キルギスで。

プーチンは、「これらの革命の背後にアメリカがいる」と確信。

「このままでは、ロシアでも革命が起き、俺も失脚させられる!」
と恐怖したプーチンは05年、
中国との同盟を決断したのです。

そこから中国とロシアは、ず~~~~~っと、
事実上の同盟関係にあります。

▼プーチンは、習近平の「成功モデル」だった

さて、近藤大介先生によると、習近平には尊敬する人が3人いるそうです。

一人は、お父さんです。
習近平の父親、習仲勲は、国務院副総理などを務めた大物でした。

2人目は、毛沢東。
毛沢東は、天才的な戦略家でしたが、国内政治は破滅的にダメでした。
大躍進政策、文化大革命などで、数千万人が犠牲になったといわれています。

習近平は中国経済を発展させたトウ小平ではなく、毛沢東を尊敬している。
そのことが、中国の未来を暗くしています。

3人目がプーチンです。
プーチンは、習近平にとって、「成功モデル」でした。

習近平がトップになった2012年、プーチンは大統領就任から12年が過ぎていました。
(@正確にいうと、2000~08年大統領。08~12年は首相でしたが。)

習近平は、「プーチンをモデルにして、長期独裁政権をつくろう!」と考えたのです。

ちなみに私は、プーチンを現代のムッソリーニ、習近平を現代のヒトラーと呼んでいます。

ムッソリーニが首相になったのは1922年、ヒトラーが首相になったのは1933年。
ヒトラーにとって、ムッソリーニは、「成功モデル」だった。

同じように、習近平にとってプーチンは、「成功モデル」だったのです。しかし・・・。

▼習近平は、プーチンへの信頼を失った

「The Moscow Times」1月10日は、「中国がプーチンへの信頼を失った」と報じています。

https://www.moscowtimes.io/2023/01/10/soshel-s-uma-v-kitae-zayavili-ob-utrate-doveriya-k-putinu-a30405

重要ポイントを要約してみましょう。

・中国指導部は、プーチンへの信頼を失っている。

・中国の指導部は、プーチンの決定の冷静さと、ウクライナでの冒険の罠から抜け出す能力を疑っている。

・中国は、ロシアはウクライナに勝てない可能性があると考えている。

・そして、ロシアは戦後、国際社会で政治的、外交的に弱体化した、とるに足らない国家になってしまうと考えている。

・中国の当局者は、プーチン個人に対する不信感を認めている。

・プーチンは、ウクライナ侵攻の意図について、習近平に話していなかった。

・プーチンは、ウクライナがロシア領を攻撃し、人道的惨事を引き起こした時は「措置をとる」といっただけだった。

(@北野註 皆さんご存知のように、ウクライナはロシア領を攻撃していません。ウクライナ侵攻当初、プーチンは、「2~3日で終わる」と考えていました。だから、ウクライナ侵攻を「戦争」と呼ぶことを禁じ、「特別軍事作戦」という用語を強制したのです。

習近平と話した時は、「措置」といった。つまり、「戦争とか大げさな話ではないのですよ」と。プーチンは当時、そう見ていたのでしょう。)

・ある中国の当局者は、ファイナンシャル・タイムズに、「プーチンは、気が狂った!」といった。

・さらに「侵略の決定は、ロシアの非常に少数の人々によってくだされた。中国はロシアを理解できない」とも。

・中国は今、西側との緊張を緩和し、欧州での地位を強化することを望んでいる。

・中国は、停戦の仲介の役割を担うだけでなく、ウクライナの戦後復興に参加する準備もできている。

この記事を読んで、習近平の最近の発言の意味が理解できました。
というのも、習近平は、プーチンを批判するようになっているからです。

たとえば2022年11月5日のNHK NEWS WEB

<中国の習近平国家主席はドイツのショルツ首相と会談し、ウクライナ情勢を巡って「国際社会は核兵器の使用や威嚇に共同で反対すべきだ」と述べました。>

習近平はショルツに、
「一緒にプーチンの核兵器使用や威嚇に反対しよう!」
と提案した。

さらに2022年11月15日の産経。

<両氏は、ウクライナ侵略を続けるロシアによる核兵器の威嚇・使用に反対すると強調した。>

両氏というのは、バイデンと習近平のことです。
習近平は、はっきりとプーチンを批判しています。

▼これからの中国、ロシア関係

さて、これから中国とロシアの関係はどうなっていくのでしょうか?

今は、「ロシアーウクライナ問題」がメインですが、その後世界は再び、
「米中覇権戦争」を軸にまわっていくようになるでしょう。

その時、中国が陸続きの資源超大国ロシアとの関係を切るとは思えません。

中国が台湾に侵攻する際も、国連安保理常任理事国で拒否権を持つロシアが味方だった方がいいでしょう。

さらに、台湾侵攻時、ロシアが軍事的サポートをしてくれれば完璧です。

というわけで、中国とロシアは、「アメリカの覇権を終わらせる」という共通の目的をもった事実上の同盟国でありつづけるでしょう。

あるいは、ロシアが弱体化し、「中国の属国」になるか。

ただ、プーチンが核でウクライナや西側を脅迫したり、「俺たちは悪魔主義者と戦っている!」とトンデモ発言をするので、
習近平は、「同類に見られたくない」ということなのでしょう。

プーチンはかつて、習近平にとって「成功モデル」「メンター」でした。

しかし今は、「失敗モデル」「反面教師」になっています。

習近平は、プーチンの失敗から教訓を得て、台湾侵攻を永遠に止めてほしいと思います。