【神社を味方にした家康と、神社を敵にした信長~その2】 | 龍神を香りで目覚めさせる!

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アロマ風水®創始者及び、

運命学 神道研究家の横井靖弘です。

 

 
 
 
前回、信長が神社の扱いを間違えて
志半ばで滅亡の道を歩んでしまった

というお話をさせて頂きました。
 


しかし、信長が全く信仰心がなく、
神社のチカラを全く知らなかったのかというと、
そうとも言い切れません。



そもそも信長の先祖は、
福井県丹生郡(にゅうぐん)越前町織田に鎮座する
劒神社(つるぎじんじゃ)の神官だった
ということが知られています。



しかも、信長自身も
この神社を氏神様として崇め、
神領を寄進するなどして、
神社を保護しているのです。



さらに神道に対して
大きな貢献をしているのです。



戦乱の続く戦国時代は、
天皇や公家達が貧窮して約120年もの間、
「伊勢神宮の式年遷宮」
行うことができていませんでした。



1563年に民衆や大名の寄付により、
外宮で129年ぶりに遷宮を行うことができたのですが、
内宮の遷宮費用までは用意できませんでした。



そこで信長に、内宮も遷宮したいので
千貫の寄付をしてくれないかと訴え出たところ、
信長は「千貫では足りないだろう」と
三千貫もの大金を寄付したと言われています。



更に有名な桶狭間の戦いでは、
熱田神宮にお参りしてから戦に向かい、
信長の10倍の兵力を誇る今川義元相手に
大勝利をしました。



この様にちゃんと特定の神社を信仰し、
その恩恵を得ていたのです。



だからこそ、自分にとって
手強い敵であった武田軍や延暦寺が信仰する
神さまと神社を焼き滅ぼそうと
したのではないでしょうか。



敵に味方にしていた存在は、
たとえ神様であっても
許せなかったのでしょう…。



一方で、家康はどうだったのか?



信長の死後、諏訪の地は家康が支配をして、
諏訪大社の復興を手厚くサポ一トしました。




 
 

それだけではなく、
家康は滅亡した武田家の家臣を数多く召し抱え、
武田家最後の主であった
武田勝頼を弔うお寺を建てたり、



武田家の関係者に
かなりの手厚い配慮
をしました。



さらに、武田家以前に諏訪の地を治め、
諏訪大社の神官でもあった諏訪家に対しても
とても手厚いサポ一ト
をしています。



この様にして家康は、
最強の軍神である諏訪大社の神さまを味方に付け、
諏訪大社の神さまが持っている
集合意識のエネルギ一は、



家康の天下取りのサポ一トをして
大いに役立った
ことでしょう。
 
 
 
 
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いつも最後まで、お読みいただき

ありがとうございます。

 

こころよりの感謝を込めて…。

深謝!


 
あなたの実り多き
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