暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

俳優さんの疲弊

2022-06-01 17:16:08 | テレビ
コロナ禍の外出自粛も緩やかになって、親戚、友人とも会食するようになった。
姪の出産で上京した姉とも何度も会って話すこともできたし、元気な赤ちゃんにも何度も会えた。
私には子供がいないので、姪の長女の誕生がこころからうれしかった。
私も大叔母になった。

甥姪が誕生したころは、私自身に仕事があって、ゆっくり見つめる時間もなく、姉は赤ちゃんと一緒に、産前産後にお世話になった実家から自宅に帰って行った。
仕事もなくのんびりと暮らしている今だから、3月に生まれた赤ちゃんのことを新鮮に見ることもでき、愛らしさに感動した。


日常は、相変わらず、テレビのドラマや映画を自宅でよく観る生活をしている。
そこで、この回の主題に入って書くことにする。



最近のドラマでは、俳優さん女優さんが涙するシーンが多く、ポトリとかもあるが、長い涙の泣くシーンをよく目にする。


それから刑事物だと、階段から落ちるシーンも多い。


高いビルの縁で演技している場面もよく出会う。


そして書きにくいが、キスシーンもよく目にする。


的外れかもしれないが、私は、俳優さん、女優さんに、感情表現や演出上の過剰な表現を、強要しているのではないか、と心配になる。

この数年、芸能人の方の自死が多い。
報道で知り、「えええっ?」 となることもよくある。
それも若い人が売れっ子なのに、と思うこともある。

演出上、無理をさせてないだろうか。
人が涙するのは、こころから胸を突き動かされたときに起きる本来なら自然な成り行きのものであるだろう。
愛情表現のシーンでもそうで、出演者の初回の撮影がキスシーンからだった、しかも初対面だったなどと撮影秘話で話している場合もある。
高所での撮影や転落する演技、それらは、編集で加工できるのかもしれないが、そればかりではないようにも思う。

こうしたことの無理強い(むりじい)は、俳優さん、女優さんをすり減らし、尋常でない心の持ちように追いやられていて、観ていても気の毒に思うことがしばしばだ。

このようなことを平気で続けるより、内容で推測できる場面もいくらでも製作できるだろうにと思ってしまう。

ドラマの制作にはまったく関わりはないが、素人から観て、そのような受け止め方をさせるのは、やはり自然ではない。
芸能にかかわらず、どんな仕事でも、強要はいけない。
これは、一種のパワハラだ。
演技者が断ることや意見を言うことなどできないだろうと思うからだ。
実に気の毒だ。

あ、また泣くシーン?
と、思わせてしまうストーリーの展開って、どうなの? と思ってしまうのは私だけだろうか。


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