【1996年NINTENDO64発売前】任天堂社長山内溥が切実に語った関西偉人館インタビュー記録【書き起こし】

※ケバ取りをせず、そのまま書き起こしています。

インタビュアー:任天堂の山内溥社長です。どうもよろしくお願いします。

山内溥:どうも。

テレビゲームに進出したきっかけ

インタビュアー:あの、家庭用テレビゲームの方に進出されましてね、もう、一躍、もうファミコン、任天堂という名前がね、世界に広がっていったんですが、あの、テレビゲームに進出をされました、こうきっかけというのはね、どういうことだったんでしょうかね。

山内溥:もうね、テレビゲームをやるしか、他にやることがなくなったんですよ。まあ、いろんなことをやった。つまり、あの、家庭のね、娯楽品ですね。玩具とかゲームとかね。いろんなものやってきたんですけどね、もう結局、ライフサイクルが短いんですよね、ああいう娯楽品っていうのはね。ですから、あの、なかにはね、すごくヒットしてね。ものすごくこう売れたものもあったんですけどね。

インタビュアー:あの、野球でピッチャーがボールを投げるようなピッチングマシンのようなものもありましたね。

山内溥:そうですね。

インタビュアー:あれも結構人気あったんじゃないですか?

山内溥:ええ。それでそういうことでね、いいなと思ってもね、もう1年目と2年目のね、もう2年目になると、もう初年度のね、半分ぐらいしか売れないんですね。ものすごくね、飽きてしまうんですね、早く、ユーザーが。

インタビュアー:ええ。

普通はしぼむのに、テレビゲームはひろがっていった

山内溥:だからねもう、常に経営が安定しないんですね。ですから、あの、ゲームとか玩具の企業で大きくなった企業っちゅうのは、ないんですよね。そういうことでしたからね。もういろんなことやって、結局ね、テレビゲームっていうのはね、どこがいいかって言いますとね、これ、コンピューターなんですよ。

インタビュアー:はい。

山内溥:ですからね、ハードがあるでしょ。
そうしますとね、ハード、買ってくれた方がね、その、今までのね、娯楽品ですとね、1つのハードで1つのソフトなんですね。

インタビュアー:そうですね。

山内溥:だから、ワンハード・ワンソフトなんですね。ところがコンピューターですから、1つのハードがあって、そしてたくさんのソフトをね、供給していけるんですよ。

今までのね、あの、家庭用のゲーム玩具なんてのはまあね、どんなにヒットしたもんでもね、もう、あの先ほど言ったようにね、もうしぼんでいくんですね。

インタビュアー:はい。

山内溥:急速にしぼむか、徐々にしぼむかは別として、しぼんでいく。ところがね、その、テレビゲームだけは違ったんですね。テレビゲームだけはですね、段々段々広がっていったんです。

インタビュアー:はいはい。

山内溥:だからね、当時ね、その流通の人たち含めてね、業界、玩具業界ね、ゲーム玩具の業界の人たちはね、もう、びっくりしたんですよ。そして、そういうふうにソフトをどんどん作っていった人たちはね、みんな利益をあげたんです。

インタビュアー:うんうん。

山内溥:そして、それを扱うね、流通業者もみんなね、大変な利益をあげたんです。だからね、あの、ソフトを作る人達と、それを売る人たちが共にね。

インタビュアー:はい。

山内溥:もう大変。今までかつてなかったぐらいね、利益をあげたでしょ。それも、あの、半年や1年じゃないんですよ。ずっとこう、あげてきたでしょ。だからね、もうすっかりね、もう娯楽のね、娯楽市場の王様になってしまった。

ユーザーはソフトの新しい面白さ・楽しさを求める

山内溥:このマーケット、このビジネスっていうのはね、もう、ソフト主導なんです。ですからね、その、面白い、楽しいソフトを出し続けることができればね、成功する確率は高いんですね。それが出し続けられなかったら、もうダメになる。例えば、あの、あるゲームで遊びますね。面白い!と思いますね。面白い!楽しいなあと思ってね。で、これはこれで面白かった、楽しかった、となった時にもう、その面白さ、楽しさ、ユーザー、卒業したわけですから。そうすると、ユーザーは、そういう自分が今まで味わったことのない新しい楽しさと面白さを求めるんですね。

インタビュアー:うん。

山内溥:だから、開発者側は、また新しい楽しさと面白さを提供するためにね、新しい仕掛けやね、種を作らねばならないんですよね、結局。だからね、開発者側は段々段々苦しくなってくんですね。

インタビュアー:そうですね。

山内溥:うん。

任天堂が最初に作ったソフト

インタビュアー:で、その話に戻りますが、その最初に作られたソフトってのはこれ、何だったんですか?

山内溥:1番最初はね、あの、業務用のテレビゲームのソフトっちゅうのをいくつか持ってたんです、任天堂が。で、まずそれをね、家庭用に直して。

インタビュアー:家庭用に普及できないかと。

山内溥:家庭用に、それをその、もちろんね、そのまま持っていけません。なぜ持っていけないかっちゅうとね、業務用っていうのはね、あれはね、あの、業務用のテレビゲームと家庭用のテレビゲームは違うんです。業務用というのは、お金を入れて遊ぶでしょ。

インタビュアー:はい。

山内溥:ですからね、早くゲームオーバーになってもらわないとね、ゲームセンター潰れるんですよね。

インタビュアー:時間もそうですね。

山内溥:どんどんどんどん、ユーザーに、次々にお金を入れてもらわないかんですね。そういう風に作られてるんです。ところが、家庭用というのはね、あの、じっくり遊ぶわけですね。ですから、もう、1日でも2日でも1月でも遊ぶ。

インタビュアー:はい。

山内溥:そういう風なソフトなんですね。だからね、作り変えんといかんです。だから、その、任天堂はまずね、その業務用のゲームソフトを家庭用に作り替えた。

インタビュアー:作り替えたと、はい。

山内溥:それをまず出したい。

インタビュアー:どういう類のもんでしたかね、最初の頃は。

山内溥:大体ね、ゲームのジャンルから言いますとね、アクションゲーム言いましてね、まあなんていうか、あの、プレイヤーの腕前を競うと。

インタビュアー:はいはい。

山内溥:そういう性質のゲームです。

インタビュアー:あのスピード感とかスピード出すとかね、そういう。

ファミコンが普及したのは、子供が大人に勝てるから、子供も大人も楽しめたから

山内溥:だからね、ファミリーコンピューターがね、子供からね、普及していったのはね、子供が大人を負かすことができるんです。

インタビュアー:うんうん。

山内溥:大体、子供っていうのはね、まあ、これはあの、大人には負けるもんだと思ってるわけですね。それがね、大人に勝てるんですね。子供にしてみたらすごく優越感がある。父親でやったら勝つと。だからもう、すごく子供にしたら嬉しいんですよ。

インタビュアー:はいはい。

山内溥:うん。ところがね、それだけだったらね、もう結局、テレビゲームってのは今のような形にはなってなかったと思う。で、つまりね、それからどういうソフトが出てきたかと言いますとね、大人も楽しめるようなゲームのジャンル

インタビュアー:はいはいはい。

山内溥:そういうソフトが次々に発売されてきたんですね。だから、ユーザーの幅がすごく広がってきた。子供から大人まで。これがテレビゲームを大きなマーケットにしてきた最大の点です。

今のゲーム業界について思うこと

インタビュアー:あの社長ね、まあ、今の業界ですけど、任天堂さんがありまして、他の業者がいっぱい入ってきておりますね。大変なこう、競争になってきているんですが、今の現状というのは、社長、どういう風にご覧になっていらっしゃいますか。

山内溥:ですからね、つまり、スーパーファミコンがブームになって、ソフトを作る人たちもどんどん増えてきて、開発チームはどんどん増えてくる。

インタビュアー:はい。

山内溥:そしてそれを、そのお金を出してね、たくさんソフトを作らそうとする人もどんどん出てくる。で、どんどん種類が増えてきたんですね。そのどんどん増えてきた時に、32ビットですよ、CD-ROMですよと言ってね、新しいハードが参入してきたんですね。

インタビュアー:うん。

山内溥:そうするとね、その新しいハードというのはね、例えばね、スーパーファミコンを作っていた人達が簡単にできるような開発環境というものを整えたんですよ。ですからね、スーパーファミコンをやってたようなソフト会社の人はね、すぐにでもね、もうあまり勉強も何も苦労もしないでね、簡単にね、その32ビット機のCD-ROMのゲームが作れるわけです。だからね、そういう人達が、もうスーパーファミコンはね、だんだん種類が増えてきて、そして、くだらないソフトが増えてきて、しかも価格は下がらないっていうことで、そしてまた、ディスカウントストアがですね、どんどん拡大してきて、中古市場が拡大してきて、1本あたりの売上が稼げないと。そういう不満をソフトメーカーの人達がもってたんです。

インタビュアー:これ、状況として大変厳しい状況ですね。

山内溥:もってたんですね。そこへ32ビット機のそういうのが出てきた。そうすると、先ほど言ったように、大容量ですよ、デバイスは安いですよ、とこうきたわけですね。自分たちのね、問題点を棚上げにしてですよ。自分がね、なぜそんなことになってきたのかっていうことを考えればね、これはね、自分達に問題があるんですよね。自分達が愚作、駄作をね、高い値段をつけて売ろうとするから売れない。それがすごく問題だったんですよ。それをね、棚にあげてね、いや、マスクROMが高いんだ、(と)。

インタビュアー:うん。

山内溥:やはり任天堂のね、ソフト会社政策がおかしいんだと、人のせいにしてね、それで、32ビット機だったらいいんだっちゅってね。雪崩をうってね、32ビット機のソフトを作り出したんですね。じゃ、どうなるのかと。そんなものね、もう、愚作、駄作が作れば作るほど増えるのは、もう、やる前からわかってるわけですね。それを、このビジネス、このマーケットを知らない大きなハードの会社が参入して、そしてあの32ビット機のハードを出したでしょ。彼らはね、数は力やと錯覚してるんですよ。ソフトの数が多ければシェアを取れて勝利をね、その自分達が勝利。勝利者になるんだと、こういう考え方を持ってるんですよ。これ、知らないわけです。ゲームビジネスっていうのをね。だからね、どんどん作ってください大歓迎ですって言ってですね、支援しますとか言ってね、私のとこは任天堂のようなことはしません、と言ってこうやってきたでしょ。だからね、ものすごい勢いで増え出したんですね、そのソフトの種類が。で、今どうなってるかっていうとね、もうね、毎月ね、何十種類というソフトがね、新製品という名前で出てくるでしょ。

インタビュアー:はい。

山内溥:そのうちですね、もうね、7割、8割はもうほとんど売れないです。ソフトメーカーは体力が弱まってきてまいってくるでしょ。

インタビュアー:うん。

山内溥:事実、そういう現象が今、起こってきてるんですよ。ところが、他の業界と違ってね、バタバタバタバタね、ソフトメーカーが倒れてもおかしくないんです、今の状況は。なのに、今バタバタ倒れないのはなぜかって言いますとね、お金を出す人がいっぱいいるんですよ。困ったことに。

インタビュアー:うーん。

山内溥:なぜそんなもんがいるかっちゅういいますとね、さっきの話で、ゲームを知らない人達、ゲームを知らない人達がね、何かね、ゲームのビジネスが今でもなおかつね、美味しそうだなと思ってるんですよ。

任天堂の新ゲーム機『Nintendo 64』

インタビュアー:まーそんで任天堂さんがですね、これ、新しい製品をですね、今度は発売ということで。これは本当に、あの、キラキラ光ってる製品というふうに社長としてはですね、当然思ってらっしゃると思うんですけれども。

山内溥:ですからね、私はね、そのね、そんなにね、ゲームってのはたくさん作ってもダメですよって言うんですね。なぜダメかというと、今まではね、たとえ何十に1つでもキラキラのソフトが出せた。

インタビュアー:うん。

山内溥:ところが、みんなね、ユーザーの目は肥えてくる。開発者側はだんだん行き詰まってくる。もうね、種も仕掛けもなくなってきたんです。だから、このままゲームを、今の、今までのような考え方で作り続けたら、結局、駄作、愚作ばっかりで、もうキラキラ光るものは何もなくなってしまう、と。そうするとアメリカのあの第1次テレビゲームの崩壊と同じ形になりますよ、と。

インタビュアー:そうですね。

山内溥:しかもその兆しが今、水面下でやっぱり進行してるんですよね、今。だから私はNintendo64はそんなに、誰でも開発は簡単にできませんよ、と。ソフトメーカーの才能、ソフトメーカーの実力、ソフトメーカーの知識、それがないと、そんなにね、簡単にポンポンポンポン、ソフトは作れませんよ、と。つまりね、ハードルは高いですよ、と。そういうマシンもね、提案していく必要がある、と。その代わり、腕に覚えのある人が一生懸命やればね、今までになかったような楽しい、面白い、新しい楽しさと、新しい面白さを持ったゲームソフトが作れますよ、と。だから、有能なソフト開発者がね、噛めば噛むほど味が出てくる。そういうNintendo64なんですよ、っていうことをね、私は標榜して、そしたらね、私はね、Nintendo64っていうのは少数精鋭ですよと言ってんです、初めから。

マーケットを守れるか、マーケットが崩壊するかの瀬戸際。マーケットを守らねばならないっていうのが今の任天堂の姿勢

インタビュアー:かなりこう、力がですね、入ってまいりましてね。これ、その、相当な力の入れようと。で、任天堂にとってはですね、一大勝負をかける、こういうふうなふうに言われてるんですけど、これね。

山内溥:任天堂は一大勝負っていうよりもね、私はマーケットを守れるか、マーケットが崩壊するか、そこに問題があるって言ってんですよ。任天堂という一企業の問題ではなくって、テレビゲーム市場がね、どうなっていくのかっていうね、重大な時期に差しかかってるってことを言ってるんです。マーケットを守らねばならないっていうのが、今の任天堂の姿勢なんですよ。うん。マーケットを拡大していくっていうんじゃなくてね、守ろうという姿勢なんですかね、今。うん。守りきれれば、また拡大だと、これは考えられます。今は守り、守りにはいっているんです。完全に、市場、市場、市場、市場ですよ。

インタビュアー:まあ、あの、後ほどですね、ひとつ、あの新しい製品の話、チャレンジさせていただきますんで、もうどれぐらい面白いかってのは楽しみにしておりますんで。ひとつどうかよろしくお願いします。

Nintendo 64のプレイ

インタビュアーが、Nintendo64 でスーパーマリオ64をプレイしている。

インタビュアー:これ、社長にもやっていただきたいとおもうのですが。

山内溥:僕はできない。

インタビュアー:ご覧になるっていうのは、この新製品をご覧になるっていうのは何回か、もうご覧になってらっしゃいますか。

山内溥:うーん、何回か見たように思うけどね。段々ね、完成に近づいてきてるでしょ。僕は最初に、1番最初に見たのは、去年の11月の任天堂の展示会で初めて見たんですよ。それから、まあ、2回ぐらい見たかな。

インタビュアー:うん。

山内溥:でも、だんだんこう、完成していってるからね。今こういうなのは、今日初めて見るんじゃない。

インタビュアー:これができるまで社長、どれぐらい期間がかかったんですか?

山内溥:どれぐらいかかったんですかね。

手塚卓志(スーパーマリオ64開発チーム):大体基礎研究入れて、5年ぐらい。

インタビュアー:5年かかってるんですか?

手塚卓志(スーパーマリオ64開発チーム):かかってるとおもいます。

インタビュアー:相当費用もかかってますよね、お金もね。

手塚卓志(スーパーマリオ64開発チーム):我々はそこまでは。

インタビュアー:出来栄えというか、いかがですか。

山内溥:うん、まあそうだからね、出来栄えをね、あの、今僕がちょっと論じられないと思うんですよ。それはね、完成した商品が発売されるでしょ。そしたら、たくさんのユーザーにきっと遊んでもらえると思ってますし、その時ね、先ほども言ったかもしれませんけども、ユーザーがどう判断するかなんですね。まあ、それがあの、大変ね、あの、僕、関心が強くてね。そのユーザーの、多くのユーザーのご判断をね、なんとかできるだけ早くね、聞きたいと思ってます。

インタビュアー:発売日がものすごく楽しみですね、これね。

山内溥:いやあの、楽しみというよりもね、あの、もしね、ユーザーに支持されなかったらね、あの、これはもう任天堂がダメになりますから。まさにあの、このマリオのゲームってのはね、任天堂のこれからのね、任天堂の前途をね、占うソフトですからね。

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