佐伯大入島燃料置場について | 大神回天基地ブログ

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太平洋戦争末期に出現した特攻隊。大分県日出町にあった人間魚雷「回天」の訓練基地・大神基地の歴史や基地設備及び「回天」の開発経緯・構造・作戦内容(神潮特別攻撃隊)を紹介します。また大神基地に関連した空母「海鷹」等の艦艇や使用武器について紹介もしていきます。

大神の例祭はどうしても外せない用事が出てきてしまい参加することができませんでした。
次回は何とか参加したいと思います。

最近ですが、佐伯について少しづつ勉強していますが、個人的に特に気になった図面を少し調べてみました。

最初の図面は呉海軍軍需部引渡目録にあった「佐伯大入島燃料置場ノ図」です。

昭和17年に作成されたもので、重油槽と軽油槽のタンクを設置する予定だったのがわかります。この図面では「工事中止」や「工事中」の文字が見られ経過途中というのがわかります。

大入島にこのような施設があったんだと思い、他の引渡目録を見てみましたが、不思議にも大入島燃料置場の引渡目録には記載がなかなか出てきません。
これだけの施設ならもしかしたら今でも残っているかもと思い、現在の航空写真を見てもそれらしき施設跡はなかなか見当たりません。


そこで戦後間もなく米軍が撮影した航空写真を見てみました。
 

 

2枚目は大入島南部の航空写真です。護岸整備などされておらずどうみても写真からは砂地にしか見えませんが、最初の図面と同じような地形は大入島南東部分に位置すると考えました。


3枚目は現在の石間浦付近を拡大したものです。


あくまで図面を比較してから管理者の想像も入りますが、当時の工事中のものが残っていたのではないかと思います。

おそらく何らかの理由で工事は中止されたのではないかと思います。

「重油槽」を建設する予定だった場所は平成28年3月に休校(閉校)になった大入島小学校があります。
佐伯市立大入島小学校HPで公開されている「学校沿革史」や「地理的歴史的環境」を見ると、昭和32年大入島南小学校として新設され、平成9年4月1日には大入島小学校と大入島南小学校が統合して大入島小学校として開設されたことが記録として残されています。