終戦時に於ける別府湾内の小艦艇等① | 大神回天基地ブログ

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太平洋戦争末期に出現した特攻隊。大分県日出町にあった人間魚雷「回天」の訓練基地・大神基地の歴史や基地設備及び「回天」の開発経緯・構造・作戦内容(神潮特別攻撃隊)を紹介します。また大神基地に関連した空母「海鷹」等の艦艇や使用武器について紹介もしていきます。

お久しぶりです。ブログの更新をしばらくお休みしていましたが、イロイロわかった事がありますので、手始めに終戦時に於ける別府湾内の旧海軍艦艇について書きたいと思います。
 
別府湾内の旧海軍部隊で船舶(艦艇及び特攻兵器)を保有していたのは、
・西海海軍航空隊
・大神突撃隊
です。
この他に日出城の海岸で擱座した特設空母「海鷹」、高崎山近くの海域にいた「夕風」がいました。
 
下の一覧表は西海空と大神基地の引渡目録を参考にまとめたものです。

西海空の小艦艇には公称番号やトン数、速力が記載され艦種もわかったものもありましたが、残念ながら大神基地のものは具体的な記載はありませんでした。
備考には大分県の外務課が作成した資料(※1)や、「終戦時の日本海軍艦艇」(※2)及び「第二復員省」等の資料から特定及び推測したモノになります。
追記:「占領軍ヨリノ指令」によれば飛行機救難船の№1333は宇佐航空隊所属・№1536は佐伯航空隊所属というのがわかりました。

【西海海軍航空隊】
 
上の図面は西海空(大分基地)の引渡目録を元に作成した艦艇位置図です。残存した艦艇は別府と大分に分散していたのがわかります。
またほんの一部ですが、電停の駅名が記載されているのがわかります。
 
 
1947年に米軍によって撮影された西大分周辺の航空写真です。当時の大分港やその周辺の様子もわかります。
大分港には飛行機救難船と内火艇がいましたが、大破もしくは沈没していたと言われています。
 
 
同じく1947年に米軍によって撮影された別府市域の航空写真です。米軍キャンプだけでなく、別府港や亀川の旧別府海軍病院も確認する事ができます。
的ヶ浜や餅ヶ浜にいたといわれますが、境川を挟んで南北の海岸にいたのではないかと思われます。
 
【飛行機救難船】
 
西海空では大分港にいた300tの飛行機救難船(第2西海丸)と別府市的ヶ浜にいた元150tの飛行機救難船で、後の曳船兼交通艇(第3西海丸)になります。
大分県の資料には両方とも「飛行機救難船」と記載があり、少し紛らわしいかなと思ってました。
 
【内火艇】
大分港に内火艇が沈んでいたと言われていますが、ある方のご教示により12m内火艇というのがわかりました。
概略図は大神基地のほうで紹介いたします。
 
【特型運貨船】
別府の餅ヶ浜にいた特型運貨船です。
14m・17mのものが其々停泊していたようですが、大破していたようです。