彼は私たちの背きのために傷つけられ、
私たちの

((あやま)ちのために
打ち砕かれた。
イザヤ書53:5

神は、罪を知らない方を、
私たちのために罪となさいました。
私たちが、その方にあって
神の前に通用する義と
なるためです。
Ⅱコリント5:21

 マタイ4:12~17
 ヨシュア記2:1~24(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』1/15;土)

 

   ―――― ☆  ――――


 
イエスは、私たちは、神と愛において心を一つにし合う者として
造られていながら(創世記1:26)、
その神に背き、「的外れ」の在り方になっています。

イザヤの預言にあるとおりに、
わたしたちのその(あやま)ちを、イエスは、ご自身の背き、過ちと
受けてくださって、
私たちに代わってむち打たれてくださいました。

 

 【父である神】は、罪を知らない方であるイエスを罪となさって、
十字架刑で処刑し、
私たちの処刑が終わったことにしてくださったうえで、

このイエスを通して、もう一人の救い主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たち一人ひとりに遣わし、
 

この方によって【父である神】ご自身が私たち一人ひとりに
もっておられる御思いを私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きるように
してくださるのだそうです。エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)
私たちを、創造の目的のとおりに回復させ、
神の前に義として通用する者へと。


 このイエスは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、
荒野での40日の試みにあわれたのち、
故郷のナザレを離れ、ガリラヤ湖のほとりの
カぺナウムに来て住まわれました。

それで、預言者イザヤを通して語られたことが
そのとおりに実現しました。


「セブルンの地とナフタリの地、
海沿いの道、ヨルダンの川向う、
異邦人のガリラヤ。
闇の中に住んでいた民は
大きな光を見る。
死の陰に住んでいた者たちの上に
光が昇る」(イザヤ9:1~2)との。(マタイ4:12~16)


闇の中、死の陰に住んでいた私たちも、
このイエスがいのちをささげてくださったこと、

そして、そのイエスが、三日目、
死人の中から新しいからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に着かれ、
私たちにお遣わしくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】と思いを一つにする者にしていただき、
神が私を通してしようと思われることをしていく者に
していただいて、
私たちは、神の前で通用する義、
私たちを訴える者、サタンがどんなに私たちの罪を暴いても
それに打ち勝つ義をいただいていくのですね。

今日も。

 

 

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