主よ、あなたのまなざしは、
真実に向けられてはいないのですか。

      エレミヤ書5:3

ごく小さなことに忠実な者は、
大きなことにも忠実である。
ごく小さなことに不忠実な者は、
大きなことにも不忠実である。
ルカ16:10

 

 マルコ9:38~41(42~47)
 ロマ書9:30~10:4(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/17;金)

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
真実を、私たちの本当の姿を見ておられるのですね。

 

イエスは言われます。
「ごく小さなことに不忠実な者は、
大きなことにも不忠実である。
だから、今、任されていることに、
あるいは、他人のものに忠実でない者に、
だれがまことの富を任せるでしょうか」と。 

 

 

 また、ヨハネが
「先生。
あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、
やめさせようとしました。
その人が私たちについて来なかったからです」と言った時、
イエスは言われました。
「やめさせてはいけません。
わたしの名を唱えて力あるわざを行い、
そのすぐ後に、わたしを悪く言える人はいません。
わたしに反対しない人は、わたしたちの味方です。

まことに、あなたがたに言います。
あなたがたがキリストに属する者だということで、
あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、
決して報いを失うことがありません。」(マルコ9:38~41)と。

 

 

 パウロは、ローマにいる
イエスと心を合わせて生きている人たちに宛てた手紙に
書いています。
 

それでは、どのように言うべきでしょうか。
義を追い求めなかった異邦人が義を、
すなわち、信仰(信頼)による義を得ました。

しかし、イスラエル(ユダヤ人)は、
義の律法を追い求めていたのに、
その律法に到達しませんでした。
なぜでしょうか。信仰(神への信頼)によってではなく、
行いによるかのように追い求めたからです。
彼らは、つまずきの石につまずいたのです。

 

「見よ、わたしはシオン(エルサレム)に
つまずきの石、妨(さまた)げの岩を置く。
この方に信頼する者は
失望させられることがない」と書いてあるとおりです。


兄弟たちよ。私の心の願い、
彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。
私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、
その熱心は知識に基づくものではありません。
彼らは神の義を知らずに、
(みずか)らの義を立てようとして、
神の義に従わなかったのです。
律法が目指すものはキリストです。
それで、義は信じる(信頼する)者すべてに
与えられるのです。」(ロマ9:30~10:4)

 

 

 私たちも、
私たちの真実、本当の姿を見ておられる方の御前で、
この方が、
イエスを通して与えてくださっている新しい生き方、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での死刑を受けてくださり、
墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰しておられる
イエスを通して来てくださる、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
【父である神】の御思いと一つ思いになって生きる生き方を
忠実に生きていくのですね。
 

この方が、わたしを通してしようと思われることをして。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~


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