カテゴリ:絶対存在論
神の存否-211
アリストテレスは、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。ここで肉体は質料にあたり、魂は形相(けいそう)にあたる。なにものかでありうる質料は、形相による制約を受けてそのものとなる。いかなる存在も形相のほかに質料をもつ点、存在は半面においては生成でもあるとします。スピノザの形相(けいそう)は、やや、アリストテレスとは意を異にしているようです。また、キリスト教には人間を神御自身の姿に似せて創られたとの記述もあり、スピノザの形相論は定理一〇は教会権威からの批判は避けられそうもありません。 定理一〇 人間の本質には実体の有は属さない、あるいは実体は人間の形相(けいそう)を構成しない。 証明 なぜなら、実体の有は必然的存在を含んでいる(第一部定理七 実体の本性には存在することが属する。)により。ゆえにもし人間の本質に実体の有が属するとすれば、その場合、実体が存するとともに人間も必然的に存することになるであろう (第二部「精神の本性および起源について」のこの部の定義二 それが与えられればある物が必然的に定立され、それが除去されればそのある物が必然的に滅びるようなもの、あるいはそれがなければある物が、また逆にそのある物がなければそれが、在ることも考えられることもできないようなもの、そうしたものをその物の本質に属すると私は言う。)により。したがって人間は必然的に存在することになるであろう。これは(この部、第二部「精神の本性および起源について」の公理一 人間の本質は必然的存在を含まない。言いかえれば、このあるいはかの人間が存在することも存在しないことも同様に自然の秩序から起こりうる。)により不条理である。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。 スピノザの形相論は旧教であるユダヤ教の神の姿、大天使の取り扱いの一部の解釈では受け入れられるかも知れません。但し、イエスを預言者の一人とするイスラームでは受け入れられないでしょう。仏教では人間シッダールタが仏陀に化身し神=仏となったと説くむきもありますが、此れは、釈尊の哲学を宗教化したものと云えます。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月26日 06時03分56秒
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