カテゴリ:霊魂論
----Blo-katsu AD---- ----Blo-katsu AD---- 「知るを生きる」 第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-17 <単一電子振動宇宙創生・構成論-> 11:ループ量子宇宙論(物質と反物質-5) 副題:宇宙「虚/実と無/有」-「虚」と「無」-Ⅰ 「虚」と「無」という概念は、哲学的にも言語学的にも深い意味合いを持ちます。それぞれの違いを多角的な視点から捉えてみましょう。先ずは、語源的および辞書的な観点から「虚」と「無」語彙を紐解きましょう。虚(きょ)は、空虚な状態や、実体が欠如していることを指します。「中身がない」や「存在が見せかけ」といったニュアンスです。そして、無は、存在そのものがない状態を指します。ゼロや完全な不在、または否定を意味します。次に、哲学的な視点で捉える、虚は「潜在性」を含む場合があります。何かが「虚」であるとは、それが「空間」や「可能性」を持つ、何かを満たす余地を持つことを意味します。たとえば禅の文脈では「空(くう)」に近い解釈をされることもあります。無はより絶対的です。「存在の否定」や「完全な空白」を示します。西洋哲学では無は存在論的な議論の中で重要な概念とされます(例: ハイデガーの「無について」)。更に、日常生活と感覚的な視点では、虚は「虚しい」という感情表現によく使われます。「心が虚しく感じる」といった場合は、満たされない気持ちを表します。つまり、何かを求めている状況や不足感が伴います。一方の「無」はしばしば静寂や平穏、または心を空っぽにする禅の修行の状態を表します。「無心で取り組む」という言葉に見られるように、意識や感情から解放された状態を意味します。文学的・芸術的な視点では、虚は「虚構」や「虚実」という形で用いられます。これは現実と非現実の曖昧さや、創造性を象徴するものとして描かれます。無は芸術的な文脈で、空白や余白の美、あるいは何も描かれないことで生まれる想像力の喚起が「無」として表現されることがあります。結論として「虚」は欠如や潜在性、「無」は存在の否定や完全な空白を表すものとして、それぞれ異なる方向性を持つ概念です。ただし、その両者はしばしば補完的であり、互いに意味を深め合うこともあります。これらの観点を踏まえて「単一電子振動宇宙創生・構成論」を検討しましょう。 参考画像:空観-01 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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