月末のせいか、今日の仕事先への道路は大変渋滞していたんですが、そのおかげでいつもは気づかなかったものを見つけることが出来ました
公衆電話ボックス 近年はどんどん撤去されているそうですね
そして歩道橋も老朽化すると撤去して新しく立て直さないようになっているとか
でも、渋滞していてノロノロ運転していたら、いつもは気づかなかった歩道橋の下の公衆電話を二か所も見つけてしまいました。 (因みに東京都のS区ですし、K街道沿いなので、まぁまぁ都会だと思うのですが)
公衆電話はどんどん利用する人もいなくなっていますが、大災害の時に役に立つという理由で、辛うじてそこに建っているという感じでしょうか
昔は家でかけられない電話は、公衆電話ボックスと決まっていた感じで、ずいぶんお世話になったけどな
人が人に伝える為のツールは、年々変化していくものです
電話が無かったり、つながらない場所に居れば 手紙を出したりしたことだってあった訳で
(ラブレターだって、遥か昔に書いた覚えもある・・・)
それが今は、SNSを使って連絡をすることが むしろ過半数なんでしょうね
それが便利だけど ちょっと味気ない気がするのは やはり還暦過ぎたじいさんの繰り言です。
そんなことを考えながら お昼になってたまたまフードコートで食事をしていたら 隣の席で小さなお嬢さんを連れていたお母さんが、ご飯を食べさせながらビデオ通話で おばあちゃんと会話をしていました。
食事をしている孫の様子を楽しそうに眺めながらおばあちゃんは、楽しそうに孫に話しかけたりお母さんの話を聞いていました。
私が子供の頃は 漫画の世界でしか想像できなかったテレビ電話の世界が、本当に身近に当たり前のビデオ通話となって簡単に誰とでも人と人結んでいるのは 見ているこちらも幸せになれます
そしてそんな経験を いつかはしたい (もっと言うと羨ましい)と思ってしまいました
昔の風景を思い出して ”昔はよかったとか 情緒があったとか言っても始まらないんです”
現代だからこそ ”大変なこともあるけれど 便利になって そこに新しい喜びも見つけられる”
それでいいんじゃないかなぁ
そんなことを思った一日でした
余談
投稿する前に ビデオ通話をテレビ電話と書いていて ”なんかおかしい?”と気づいて慌てて文言を
替えました。 うーーん テレビ電話も 既に古語かもしれない