オールドメディアという言葉が聞かれて久しい。
所謂 新聞テレビラジオ雑誌等の4大メディアを指すらしい。
それにしても、ラジオも4大メディアの一翼を担っているとは!?
ラジオって、オールドというよりアンティークメディアかもしれない。
まぁとにかくオールドメディアは偏向報道をするとか やはりオールドメディアは、その後ろに見え隠れする存在があるので、都合の悪い情報は報道しないからダメなんだと、色々な人がオールドメディアを叩いている。
そう言われると、確かにそういう部分があるかもしれませんね。
これを放送するとスポンサーがいい顔をしないとか、財務省解体を大きく取り上げると今後の官僚との付き合い方に支障が出るとか という思惑があるのかもしれないですよ。
でも、それじゃぁニューメディアってなにも背負うものはないから、全部正しくて、信頼に足りるとは、まさか思ってはいないよね。
決してオールドメディアに肩入れするつもりは無いけれど、ニューメディアだって、そこに色々な思惑は入ってないのだろうか?
PVを稼ぎたいとか いいね!が欲しいとか いやそれ以上にオールドメディア以上に見えないつながりが後ろに隠れている事ってないのかな?
『玉石混交』 という言葉があるけれど、それはどちらのメディアも気を付けないと、あとで大きく足元をすくわれる気がしてならない。
特にSNSというのは、ある事象について支持する人と反対する人がすぐ隣にいて、それぞれの論理で皆に訴えかけている。
うーーん どうしたものか
そして大声を出して叫ぶ人の理論が、うっかりすると正論になりかねない。
勿論 新聞だってテレビだって それは同じかもしれないけれど、大事なことは、それを丸呑みしないで一度疑ってかかる事じゃないかな。
人って どうしても心地いい言葉を選びがちだし、自分の主観が正しいと信じたいから、それを補強してくれるような論理があると、それに飛びつきたくなるのは、すごくすごーく解る。
でもね、ちょっとだけ立ち止まって他の情報を見てみる。
一つの事件は、いろんな角度から見ると違って見えることもある。
例えば過去の事例を探してみるのも一つかもしれない。
今の事象は、全てが特別で新しいとは限らない。 似たような事象が過去に起きていたとか、この事象が起きた理由は何か探していくと、とんでもない出来事が過去にあって、それがそもそもの発端だったってこともあるかもしれない。
被害者と加害者 どちらがどちらなのか? ものの見方によって違って見えるかもしれない。
年を取ると、こういう時 ちょっとずるくなって 直ぐに結論を出さずにちょっと成り行きを見るという人がいる。
確かに私もそういう所がある。
でも、すぐに走り出す人 そこにメリットもあるけれど、そこにはデメリットも確実に潜んでいる危険があることを忘れないで欲しい。
それにオールドメディア VS ニューメディア って対立する構造で煽り立てるのやめませんかね。
昔々は 新聞とテレビという形で 対立していた時代もあったんです。
『テレビがあれば 新聞や雑誌なんていらない! 目や耳に訴えて即時性がある。 いちいち文字にして配って読むなんて時代遅れだ!』
そういう論調があったわけですよ。
でもね、そんな中で ある有名な方が ポツリと言った言葉が今も私の心に残っている
『 テレビは便利だ 凄いと思う。 でもテレビは弁当箱を包めない 』
これは、今は解説しないと判らない人もいると思うんだけど、昔はお弁当を包むのに可愛い布や袋なんて無かった時代があった。
そうすると、学校に持っていく弁当箱は読み終わった新聞紙。
これだとお弁当から出てくるおかずの汁も新聞紙が受け止めてくれるし、使い捨てしてもいいから役に立つ。 でも当時のニューメディアのテレビは弁当箱を包めない というくだらないと言っちゃくだらない理屈。
その理屈で言うと SNSは もっと包めない。 まぁどうでもいいか・・・
でもね、そんなテレビとか新聞もいつの間にやら共存していった。
オールドメディアも、勿論変わらなきゃダメだと思うけど、変な形でニューメディアにすり寄ったりしないで自分の後ろにいる大きな物に負けない報道をして欲しい。
そしてニューメディアと呼ばれているSNS媒体も、名前を明かさない投稿や取材をしていないことがバレバレの情報は、止めて欲しい。
名前出さないとその記事の責任も取れないよね。
そして何より その情報の裏にある思惑を、ある程度疑ってかからないと
これはオールドメディアにしても、ニューメディアにしても、とんでもないところに向かってしまうんじゃないかと、思ったりする。
でも、 ブログって これ ニューメディアなの? それともやや古びたニューメディアなの? 誰か教えて欲しい