昨日大関豊昇龍が優勝しました。おめでとうございます。
お相撲というのはなんとなくご高齢の方々が観戦するスポーツと思っていました。
もっというと、八百長疑惑などがあってから、ちょっと冷めた目でシニカルに「所詮は興行だろう、自分たちで興行と言ってるじゃん。」と思っていました。当時は、興行とはシナリオのある見世物みたいなイメージでとらえていたのです。
が、しかし、学生時代に見ていた千代の富士の活躍から、横目で見たり見なかったりという距離感でした。
しかし、白鵬が日本の伝統とのはざまで批判されるようになってから逆に判官贔屓の多い私は興味を持ち、それからはずっと相撲中継を見ています。
温度差はありますが、いつも後半の週からはほぼ毎日という感じです。とは言え、熱狂的なファンというわけでもありません。
しかし、大相撲って奥が深いねえと最近思うようになったのと、高齢者の方々が良くご覧になるのはわかるような気がするのです。
一般的日本人の人生と大相撲の場所ってかなり似ている部分があるのではないか?という私の考察です(笑)。
技が82手あるそうですが、それらを使って、横綱をトップとする階級制度がかなり厳格に設定され、昇進昇格降格のルールがあり、一定クラス以上は15日間連続で勝負をするわけですが、これってかなり過酷な格闘技だなと思います。ボクシングも持久力を必要とするものだと思いますが、ボクシングとは違った、体力維持と精神力維持が半端ないような気がします。
更には、取組も成績によって決まっていくような部分があり、その精神力はものすごいものだと思います。
そして競技開始の仕組みや力の使い方など、たぶん、コンピューターを使った分析などが不可能なスポーツではないかと思うのです。そのある意味予測不能な優勝へ向けての一場所一場所は、一般の方々の人生そのものでは無いかなあといつも見ながら思うのです。
さらに、昨日初めて見た巴戦による優勝決定戦は、私の認識が間違っていなければ、3人が二連勝するまで決着しない。とのこと。
しかも、勝った力士の2戦目は、身体を休める間もなくという感じでした。
いや~、すごいなあ~と思いました。私は柔道観戦も好きなのですが、柔道は国際化と国際化の弊害とも言える頻繁に行われるルール変更が、旧来からの柔道が好きな私にとって、興ざめしてしまうものになってきています。残念です。
それにしても、すごい出世競争だなと思います。