インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その2、後藤 仁 | 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

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後藤仁ブログ2~絵師(日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙)後藤仁の日本画・絵本・展覧会便り。東京藝大日本画卒,後藤純男門下。「アジア/日本の美人画」をテーマに描く。東京藝大,東京造形大講師。金唐革紙製作技術保持。日本美術家連盟,絵本学会,日中文化交流協会会員。

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その2〉です。

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 旅行4日目: 1995年3月16日(木)。この日も、バリのあんちゃんの運転で、バリ島見物。ウブド(ウブッ)のホテルを出発。ウブドはバリ絵画で有名な村です。バリ島の伝統的な風景・風俗を精緻に描いたバリ絵画は、一見の価値があります。私達もウブドで二泊(多分)している間に、ウブドの通りを散策して、画廊等でバリ絵画や民芸品を見て回りました。

 あんちゃんがデンパサール近郊の自分の家に招待してくれるというので、一緒に行く事になりました。旅先で気を許すと危険な目に合う事が多いのですが、この頃になると、お互いの信頼度も増していました。
 あんちゃんの質素な家に着くと、綺麗な奥さんも出迎えてくれました。庭の椅子に腰掛けると、あんちゃんが手製キウイジュースを作ってくれました。グラスに生のキウイを砕いて入れ、カキ氷のシロップをかけ、水を入れて出来上がり! ただ、これまでバリ島では、生水はお腹をこわすので厳禁という事で、必ずペットボトルで水を飲んでいました。レストランの水でさえ、注意して飲まないようにしています。ジュースを出されたのはいいのですが、中尾君と顔を見合わせて、「どうしようか・・・」「水道水を入れていたよね・・・」と小声をかわしました。あんちゃんが向こうを見ている隙に、中尾君がグラスのジュースを庭にパッと半分位捨てました。私も捨てようとすると、あんちゃんがこちらを振り向き、「何してんの?」といった顔をしました。私達はさすがに気まずいので、「仕方ない、せっかくの好意を無駄にできない」と心の中で覚悟を決め、グイっと飲み干しました。なかなか美味しかったです~。 ( ^^) _U
 この日の出来事を思い出すと、今でも笑いがこみ上げてきます。・・・ただし本来なら、この頃のインドネシアでは、睡眠薬強盗等が横行していたので(場所によっては、レストランでも、客と店がグルになった睡眠薬強盗が起こります)、安心できる店や相手でないと、出された飲み物は飲まない方がいいです。ただ、この時は、あんちゃんの人柄を信じていましたし(それが危ないのですがね・・・)、旅先での過度の警戒心は、せっかくの現地の人々との楽しい交流を台無しにしてしまいますので、程度ものなのです。海外の旅では、周囲の人物と治安状況をいかに的確に判断できるかの、眼力と経験が必要になってきます。

 次に、サヌールの砂浜で海を眺め、バリ島最南端にある「ウルワトゥ寺院」では、75mの断崖絶壁からインド洋を一望。その後、バリ島の有名な観光地、クタ・ビーチへ。ビーチへ入るなり、物売りの若者二人が指輪をしつこくすすめてきます。初めは断っていたのですが、中尾君が品物に興味を示し、仕方ないので、私も付き合う流れに・・・。まず、このような売人の商品は偽物なのですが、当時は私も若かったので(今では絶対に相手しませんが)、誰かへの軽いプレゼント用にでもしようかと、安めの指輪2つを購入(銀らしき輪はたぶん真鍮製で、宝石部分はガラスかプラスチックかも知れません)。クタ・ビーチは雑多で、治安が悪い感じで、好きになれませんでした。(ちなみに、この10年後の2005年、クタ・ビーチで日本人が巻き込まれるテロ事件が起こりました。現在、ますます世界中の治安が悪化する傾向にあり、アジアの国々でも、特に繁華街・駅前等では、最大限の注意が必要です。)
 夕方前、海岸に建つ「タナ・ロッ寺院」(入場料・寄付金合わせて2000ルピア)へ。海につき出た半島上に建つヒンズー教寺院は、とても幻想的で、美しいです。砂浜では、子ども達が元気に遊んでいました。子どもは、やはり、遊ぶ事が仕事ですね~。ところが私達を見ると、子ども達は熱心に絵ハガキを売ってきます。絵ハガキを幾つか購入したついでに、先程、クタ・ビーチで購入した指輪を、多分良い事ではなかったかも知れませんが、その中でも愛想の良い子どもにあげてしまいました。
 その他の場所でも、バリ島には子どもの物売りが多くて、あちこちで、手作りネックレス等の小物を買わされる羽目に・・・。経済的にまだまだ発展途上国であるアジアの国々ではよくある事ですが、子ども達が労働している姿は(基本的に楽しそうに、遊び感覚で物売り等をしていますが)、いつも、とても悲しげに思え、考えさせられます。
 この日の夕方は、旅の感傷にふけりながら、「タナ・ロッ寺院」の海に沈む夕日を、いつまでも眺めていました・・・。

 この夜は、デンパサールのホテル(名前は未記録、この時分は手帳の記録・資料の保存が適当でした)へ。ウブドのホテル(多分、「CHANDRA GARDEN ホテル」)は良かったのですが、確か、明後日の航空移動日に備えて、空港に近いデンパサールのホテルに移ったのだと思います。多分、二泊二人(ダブル部屋)で50000ルピア(一泊・ダブル部屋25000ルピア/1万円→約22万5000ルピア : 1ルピア≒約0.044円)だったと思いますが、最初にタクシーに連れていってもらったデンパサールのホテルより、ずっと快適なホテルでした。朝は、朝食の食パンとゆで卵とバリコーヒー(バリコピ)が付いてきます。バリコーヒーは、カップの底に細かいコーヒーかすを沈めて、上澄みを飲むというスタイルで、香り・こくは薄いですが、あっさりして独特の美味しさです。



「タナ・ロッ寺院」の美しい夕景

 旅行5日目: 3月17日(金)。この日もバリ島見物。デンパサールのホテルから出発。バリ州政庁舎を見て、ウブド近郊の「ゴア・ガジャ」へ。ゴア・ガジャとは「象の洞窟」を意味し、奇妙な巨大石像の顔の口部分が洞窟になっています。6体の女性石像がある沐浴場も美しいです。ここでは、人の良さそうな おばあさんとお孫さんが、お供え物を手作りしていました。
 かなり車で走って、プヌロカンへ。ここから、バトゥール山(1717m)と巨大なカルデラ湖・バトゥール湖が望めます。次に、「ティルタ・エンプル寺院」(入場料550ルピア)へ。ティルタ・エンプルは「聖なる泉」を意味し、沐浴場では男達が沐浴をしています。このヒンズー教寺院では、ちょうど、「オダラン」というお祭りが開催されていました。「オダラン」はヒンズー教寺院の建立記念日を祝うお祭りですが、毎日のようにバリ島のどこかで行われているといいます。このお祭りはとても見応えがあり、美しい伝統衣装の善男善女が、頭にお供え物(ガボガン)を乗せて続々と寺へお参りする光景は、とても印象的で目に焼き付きました。後に私は、この「オダラン」をモチーフに、日本画作品を何度も描いています。
 運転手のあんちゃんのおかげで、効率的にバリ島を回れましたが、この日でお別れです。あんちゃんが、私のレイバンのサングラスを欲しがったので、私は感謝のしるしにプレゼントしました~。

 この夜は、プリアタンのプリアタン宮殿「レゴン・クラトン(宮廷舞踊)」(7:30~9:00/一人5000ルピア)を鑑賞しました。舞踊の演目は、「インストゥルメンタル」「ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)」「クビャール・トロンポン」「レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)」「タルナ・ジャヤ」「バロン・ナンディニ」と続きます。バリ舞踊で最も有名な「ティルタ・サリ舞踊団(Tirta Sari)」の舞踊は、極めて高い技術であり、最高に幻想的で素晴らしいものでした。ガムラン(インドネシアの伝統的な民族音楽)の調べに合わせて、誠に優雅な踊りが繰り広げられていきます・・・。

 私が前に、拙ブログの
「最も感動したランキング ベスト23 」インドネシア バリ島「バリ舞踊」第12位に挙げましたが、この日の「オダラン」と「レゴン・クラトン」は、まさにバリ島の旅のハイライトとして、決して一生忘れる事がないでしょう・・・。この後、私が「アジアの美人画」シリーズを描く大きなきっかけともなりました。


デンパサールのホテルで、朝食中の中尾俊雄君 (ホテル名は、残念ながら記録していませんが、快適なホテルでした。ガイドブックの地図への記入から、デンパサールのディポネゴロ通りの警察署近くのホテルではないかと思います。)



「ゴア・ガジャ」 中尾俊雄君と私



「ティルタ・エンプル寺院」 バリ島のお祭り・オダラン



プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)


プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)


プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 バロン・ナンディニ




日本画「妙なる国の少女(バリ島)」(F50号/2002年制作) 後藤 仁


 明日は、バリ島からジャワ島・ジョグジャカルタへ、飛行機で飛びます。いよいよ、世界三大仏教遺跡・ユネスコ世界遺産「ボロブドゥール遺跡」とのご対面です。続きを、ご期待下さい~ 💖 。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁