インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その4、後藤 仁 | 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

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後藤仁ブログ2~絵師(日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙)後藤仁の日本画・絵本・展覧会便り。東京藝大日本画卒,後藤純男門下。「アジア/日本の美人画」をテーマに描く。東京藝大,東京造形大講師。金唐革紙製作技術保持。日本美術家連盟,絵本学会,日中文化交流協会会員。

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その4〉です。

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 旅行8日目: 1995年3月20日(月)。今日は、ボロブドゥール遺跡と並ぶ、インドネシア・ジャワ島随一の見所、巨大ヒンズー(ヒンドゥー)教遺跡の「プランバナン遺跡」を巡ります。
 確か、この日の朝辺りから、私はきつい腹痛(腹下し)と食欲不振と微熱が出ました。吐く事こそ無いのですが、便が酷い軟便となり、食べ物がほとんど喉を通りません・・・。インドネシアではこの頃、コレラが流行っていましたので、バリ島で運転手のあんちゃんの手作りキウイジュースを飲んだ以外は、生水・氷・生野菜・カットフルーツ等の生ものは食べないように気を付けていました。しかし、衛生状態が良いとは言えないバリ島で大丈夫だったのに安心して、ジャワ島では少し油断して、レストランでは生野菜・カットフルーツ等を食べるようになっていました。それに、あたったようです。
 ・・・ここで少し、インドネシア料理について触れておきます。この時分は料理単体の写真を撮っておらず、食事内容は記録にも残していないのですが、インドネシア料理は、しっかりとしたピリ辛味付けで、基本的にどれも美味しいです。バリ島での昼食では、運転手のあんちゃんの案内で、観光客向けの洒落たレストランでバリ風ビュッフェ等をいただきました。手帳の記録では、二人で35000ルピア等と書かれていますので、インドネシアでは、まあまあ高級な食事です(この頃のレート、1ルピア≒約0.044円)。その他、インドネシアでの朝食は、ホテルのパン・ゆで卵・バリコーヒーセットをいただいたり、昼食・夕食は市内のレストランで、ナシゴレン(インドネシア版チャーハン、目玉焼き付)、ミーゴレン(インドネシア版焼きそば)等を食べました。市場で売っている、色とりどりの南国フルーツも絶品です(カットフルーツではなく、皮付きの果物を買うと良いです)。

 

ブサキ寺院に向かう途中の観光レストランで、同行者の中尾俊雄くんと(3月14日 バリ島)

ブドゥグル(ブラタン湖)に向かう途中の観光レストランで、たいていビュッフェ・スタイルです(3月15日 バリ島)


 ジョグジャカルタのバスターミナルからソロ行きのバスに乗り約40分で、「プランバナン寺院群」(入園料1人、4000ルピア/体調悪化のせいか、この頃以降、私の手帳の記録がほとんどなされていませんので、ガイドブックの記載によります)に到着しました。中央に主堂・シヴァ神殿、左右にブラフマ神殿とヴィシュヌ神殿、その周りに、ヴァーハナ堂(乗り物堂)が3つそびえています。
 ボロブドゥール寺院はその広大無辺さに圧倒されましたが、プランバナン寺院はその高さに驚きます。私はボロブドゥール寺院の方が好みですが、同行者の中尾俊雄君はプランバナン寺院の形の方が良いと言っていました。各堂内には、ヒンズー教の神々が祀られています。プランバナン遺跡からは、最近も噴火で話題となった活火山・ムラピ山(「火の山」の意)も望めます。

 次に、仏教寺院「セウ寺院」に。入口に立つ守護神クベラ像が面白いです。続いて、「プラオサン寺院」、「サジワン寺院」、「サリ寺院」、「カラサン寺院」を拝観。各堂内には観音像等が安置されています。入場料は全部無料です。この辺りの土地では、子羊(子ヤギ)達がたわむれ、のどかで牧歌的な光景が楽しめます~。
 この日は、自身の体調と相談しながらも、丸一日、プランバナン遺跡周辺の散策を堪能し、ホテルへの帰途に着きました。



「プランバナン寺院群」 シヴァ神殿、ブラフマ神殿、ヴィシュヌ神殿、ヴァーハナ堂(乗り物堂)


富士山のような美しい形状の「ムラピ山」


「セウ寺院」付近で、たわむれる子羊(子ヤギか?)達。


「サジワン寺院」でも、子羊(子ヤギ)達が見られます 😻


 旅行9日目: 3月21日(火)。今日はジョグジャカルタ市内を巡ります。まだ、体調が優れませんが、取材をしない訳にはいきませんので、無理をおして出かけます。
 王宮近くの「鳥の市」へ。ここでは、珍しい鳥や爬虫類等の動物がたくさん売られています。次に、「水の宮殿」(入場料500ルピア)へ。その昔、スルタン(君主・国王)が宮女達の水浴びする姿を眺めたという美しいプールでは、現在、数人の男の子達が泳いでいます。「マネー!」と叫ぶので、インドネシア硬貨や日本の小銭を投げてやると、われ先にと水中に潜って取り合いをします。
 インドネシアは現在もそうでしょうが、この当時、経済的には決して豊かとは言えない状況で、あちこちで子ども達が物売り(手作りネックレス・果物等を販売)をしている姿が見られました。(その後、私は、アジア各国の旅をしましたが、この時のインドネシアが最も多かったです。)子ども達が労働をしている姿は可哀想な気もしますが、それでもインドネシアの子ども達は、現在の日本の子ども達よりも、むしろ活き活きとしていて、元気良くて、その点は素晴らしいです。
 この後、今は廃墟となっている「モスク跡」を見て、「王宮南広場」で催されていたインドネシア古式弓道を見物。これ以上の体調悪化を避けるために、この日は早めにホテルに帰って、よく休養を取りました。

 旅行10日目: 3月22日(水)。この日の朝、中尾君は美術予備校の仕事があるとかで、「腹痛で大変そうだけど、頑張ってね・・・」との言葉を残して、先に飛行機で日本へ帰ってしまいました。この後の6日間は完全な一人となり、私にとって、海外初旅行にして、海外初の”一人旅”となりました。こうして私の、海外一人取材行脚は鍛えられていったのです・・・。
 この日も、食・水あたり症状が続き、体調が良くありません。だんだん水様便となり、コレラを疑いましたが、まだどうにか動けるので、大丈夫だろうと考えていました。
 時間を無駄にしないように、どうにかこうにかホテルからはい出して、この日は王宮(Kraton/入場料300ルピア)の「人形劇(ワヤン・ゴレッ)」(10:30~12:00開催)を鑑賞(確か有料、鑑賞料は記録していないので不明)。ただ、ここで力尽きて、午後はホテルの部屋に戻り、一人、腹痛と食欲不振と微熱に苦しみながら、じっとベッドに寝転んで体調を整えました。
 
 明日は、何とか体調も復活してきて、再度、一人で「ボロブドゥール遺跡」を目指します。二人旅は楽しいのですが、どうしても見物だけが主となり、なかなかスケッチ(写生)が出来ません。この後は、本来の目的であるスケッチをすべく、病をおして、頑張りますよ~~。続きも、乞うご期待~❣

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁