「笑と芸人と登志緒」その61 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

冒頭から余談だが、こないだ『芸に生き、愛に生き』を古本で購入しようと思ったんだが、倉庫にないと言われた。

 

それでキャンセルに。

国会図書館にでも久しぶりに行こうかと思ってしまった。

 

ただ、図書館でものを読むとやたら疲れるんで。

借りて寝っ転がって読めればいいんだが。

 

さて、入った時は一番下だったが、五郎劇はお芝居ごとの成績で順位が移動するので、2,3年のうちでだいぶ追い越したと。

 

そのころには、五郎、蝶六、大磯、小次郎、桃蝶になって、幹部扱いであったと。

 

女形では、大磯、秀蝶、林蝶、時和がいたと。

香川氏が「林蝶さんは女形ですか。」と問うている。

 

桃蝶が入ったころに、女形から立ち役に変わったのだと。

その頃の古臭い鬘の話は原文を見てもらったほうがいい。

 

当時五郎でも女形の鬘は知らなかったと。

秀蝶が新劇で頭結ってもらって丸髷の鬘で出たら驚かれたと。

 

桃蝶がコリーン・ムーア[注]の影響で、おかっぱの鬘かむって、耳飾りして、無地の繻子(しゅす)の着物に無地の帯で出たことも。

 

そしたら、五郎が「ガタロ(河童)みたいな顔してるやないか」と笑ったとのこと。まだまだおかっぱは日本でなじみがなかったんだろう。

 

五郎は舞台稽古は厳しいが女形には優しかったと。

のちにモラルの古さで若い人がついていけなくなるのだが。

 

『大阪の笑芸人』pp.201-202
(文中敬称略)

 

 

[注]

原文では、コーリン・ムーアとなっているが、Colleen Mooreなので誤り。カタカナ語に弱かったか。

 

 

その62につづく。