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癒やしの島【喜界島】✨

2021-11-24 | パワースポット

【空港前 スギラビーチ】

南西諸島、

沖縄から北に330 km、本土から南に380キロのところに奄美大島がある。

琉球王朝、中国王朝、大和王朝ともやや違う独特の歴史を感じる島。

その奄美大島の向かいにある周囲48 km の小さな島が喜界島。
(奄美空港から15分ほど)

48の神社が祭られている。


喜界島は、沖縄の宮古島と同じ様にサンゴ礁が隆起してできた島、

優しく精妙なオーラに包まれてる様な島で、奄美大島とは更に雰囲気が違います。

 

【八幡神社】

 

【保食神社】

 

こうした、内地にある様な鳥居と社殿がある神社は喜界島では珍しく、殆どは社殿の無い神社で、墓石くらいの大きさの石碑の前に鳥居を立てただけの簡素な神社が島のあちこちにある。

 

【保食神社】

島には保食神社が多く、豊受妃大神が祭られている。

島内48社のうち20社が保食神社だ。

 

 

鳥居は新しいものが多く、石碑だけの神社だったかもしれない。

明治以前の神仏習合の時代は、保食神社ではなく『馬頭観音』として祭られていた。

(神仏習合=神道の神様とは、仏教の神であるとされ、中世〜江戸時代までは仏教の神様に置き換えられていた)

 

【松尾神社】

日本一小さな松尾神社かもしれないですが、信仰の息吹きを感じます。

 

 

【末吉神社】
御祭神 綿津見神 独特の低い鳥居が目印

肥前鳥居より引い。

奇跡の様な絡まり方の木🌴

杉などの大木はないが、神がかっている。

 

 

 

 

【金毘羅神社】
この場所は御殿の鼻といい、全島の巫女ノロが集まり祈りを捧げてた聖地。中世、琉球王朝がここへ攻めいり本陣を構え島は降伏したそうです。

 

 

【高千穂神社】

鳥居も社殿もコンクリート製

 

 

【平氏上陸地】
壇ノ浦の戦いで敗れた平家の平資盛はここ喜界島まで逃げてきて、無事を祈りこちらに天満宮を祭りました。

 

平資盛らが上陸すると、逃げずに迎えた島の娘がいた。

娘は、平資盛の名をいい当てたので何故知っているかと尋ねると、

「夢のお告げで既に知らされていた」と答えたという伝承がある。

 

上陸後の平資盛は源氏の襲来に怯え続け

3年ほど滞在し、本隊は奄美大島の方へ移って行った。

 

境内で、タイミングによっては蝶の群れに出会えます。

1000km も2000 km も海を渡って飛んできたアゲハ蝶たち

 

ちなみに平家の紋章は【蝶】🦋だ。

 

 

『平家は喜界島に上陸しなかった』という説もあるらしいが、

こちらへ2度参拝し、2回とも蝶の群れに出会い🦋🦋🦋🦋

『平家ここにあり』、、と言わんばかりにヒラヒラと舞う蝶達を見てると、

そんな説など微塵にも感じない。

蝶蝶園でも、こんな蝶の群れは見た事がなかった😳

ともかく、驚いたことに、

蝶を紋章とした平家が創建したこの神社だけ、

蝶の群れが舞っています。

 

 

【クッピー神社】

クッピーは沖縄の神様

もはや神社とゆ〜より、どちらかのお宅の通用口の様😌

 

 

【雁股の泉】
保元の乱の後、伊豆大島に島流しになった源為朝が、島を脱出し琉球を目指したがこちらに着いたとのこと。

源為朝が、時化に遭い船上から雁矢を射たところこちらに突き刺さり、

引き抜くと泉が涌いたという伝承が語源である。

 

 


宮原山【出口王仁三郎碑】

宮原山という地名はなく『鳥の山』


この場所は、坂嶺の【保食神社】の上にあり奥宮の様にも感じました。

 

 

 

【厳島神社】

 

【住吉神社】

島だけに、海の神様が沢山祭られています。

 

 

【魔法の木】
石と木が融合した不思議な木。

 

 

【ヤギ】

平家上陸地の方にいくと放し飼いで、車が来ても普通に道路に座ってる

クラクションを鳴らしてやっと仕方なさそうにどいてくれた😅

 

 

 


△▼△▼△▼△▼△▼△

喜界島のお話し😌☝️

『喜界島』と『鬼界ヶ島』は名前は似てますが違う島、、

喜界島は沖縄の宮古島と同じ様にサンゴ礁が隆起して出来た島で火山どころか山も無いよーな島ですが、

『鬼界ヶ島』はいつも硫黄の臭いがする噴煙がもうもうとした島で、喜界島から300㌔ほど北へ行った鬼界カルデラ海底火山方面の島だった様です。

 

喜界島には、7000年前縄文時代初期から人々が住んでいて遺跡も沢山発見されていますが、使われてた石器は全て喜界島の外から持ち込まれたものでした。

(弥生時代の甕棺も少いが発見されている)

中世になると青磁器という、
王族が使うような高級な陶器が5世紀ぐらいにわたって発見されています。

「雲破れるところの空の青」といわれ、中国の秘法の青の上薬を使い作られる『磁器』は世界中の王族が好んで使いましたが、

ヨーロッパではどうしても同じものを作ることができず、当時は大変貴重なものでした。

ヨーロッパでは何百年もかけて東洋の磁器が研究され18世紀になりようやく


『マイセン』が磁器を作ることに成功しました。


このような貴重な青磁器が、何世紀にもわたってこの小さな島で発見されるのは珍しいことです。

歴史的に見ても、

大和王朝と琉球王朝(中国王朝)、

それぞれの影響は薄っすらありましたが島独特の雰囲気は唯一のものでした。

琉球は遠い本州と違い、台湾の先にあった為、大和王朝より中国王朝の支配の方が続いていた。

大和王朝が初めて遣隋使を送った頃に、既に隋は琉球を攻めてましたので、
中国王朝に替わって大和王朝が南西諸島の全てを支配できるようになるのはその約1000年後のことになります。

大和王朝と琉球王朝の間の歴史を踏む奄美大島、

奄美大島と同様に観光を興してこなかった(大人の事情😔)島なので、アクティビティもあまり無いですが、自然の景観と純朴さが残されてます。

奄美大島ともちょっと違う独特の魅力がある島で、優しく穏やかな雰囲気の小さな島でした。

宮古島と同様に🐍ハブはいません

 

いるだけで癒やされる不思議な島✨

 

ヒーリングアイランド喜界島

 

 

 



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