聖なる国 日本

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ミシャグジの謎【大先神社】長野県 樋の底村跡地

2022-09-08 | 古代ミステリー

【大先神社】
長野県富士見町『稗の底村』跡地にある。

稗の底村は戦国時代まで小集落ながら存続していたが、寒さが酷く住人は隣の乙事村と立沢村に移っていったという。冷えの底村?🤔

火の底村とも。(諏訪盆地から北、佐久穂方面には『稗の口村』もある😮)

用水路沿いの道をいく


途中、沢を渡ると稗の底村・跡地碑がある。

私はテレビも YouTube も見なくなって知らなかったのだが、

富士見町出身の方に聞いたところによると、都市伝説でこちらの大先神社が紹介されていたらしい。

知る人ぞ知るパワースポット、😮



鳥居はなく幡立の石柱が二柱左手にあり、その奥に小さな石段が続く、



社殿はなく、巨石と祠があるだけ。

こ、ここは、😳

神社というより、、まるで

ミシャグジの依り代の様だ😮


ミシャグジは諏訪地方を中心にひっそりと広がり今も残る、遥か古代の信仰だ。

ミシャグジ信仰は岩や木、石棒を依り代としている様で、

石棒が5000年程前の出土品である為

その起源は、5000年前に栄えた縄文中期にまで遡って考えられる事が多い。


沖縄の聖地『御嶽』の様に古木の前に石を配するスタイルは、ミシャグジと同じ。

ジブリ映画【もののけ姫】に登場するアシタカが運ばれた聖地シシガミの池にも、古木のまえに岩がある。

木を伝わり降りてきて岩に宿る、、というのが、渡来人が来る以前の、日本の原始からの依り代スタイルかもしれない🤔

(*_* 顔らしきものが彫られている。


元々、八ヶ岳山麓にある諏訪盆地は巨石が多く、八ヶ岳噴火で飛んできた岩も多い。

噴火前は、富士山より八ヶ岳の方が高かったが、日本最高峰だったその頃の八ヶ岳の残骸だ。

13世紀の史書に

硯石 沓石
蛙石 小袋石
亀石 兒玉石
御座石

諏訪七石とあり

失われた諏訪大社の神事の1つ、『たたえ神事』が行われていたのではないかといわれている。


しかし、諏訪七石にしろ、


こちらの大先神社の巨石にしろ、神社というよりもミシャグジ感が漂う。

よく見ると、顔の上に剣の様な形が掘られている。😮


ミシャグジの神具は上に小刀子が水平に刺さっているが、

(或はミシャグジそのものとも言う)

これだとまるで上に剣が生えてる様だ、、😳

謎、、😑

不思議過ぎる。そして

ちょと怖い・・・😅

しかし、

ここはもしかするとミシャグジではなく、

もっと神聖なスポットなのかもしれない✨🤔

ミシャグジの様な、降ろしたり上げたりするのではなく

石に彫られた顔の上の矢印の様に、

と繋がる場所、、😳

何より、

ミシャグジや諏訪大社の様な四本の柱が立っていない。

四本の柱は、春夏秋冬に対応しそれぞれ太さや長さが違い、季節ごとに真ん中に祭られている石や祠に影陽があたる様に配されている重要なものだ。

主祭神が、女神の場合は四本の御柱は立てないというが、、🤔

男性的な猛々しさは感じられない。(女性の神様には鳥居を立てるそうなので多分?10月には鳥居が立ってるのでしょう⛩️今年は7年に1度の御柱祭✨)

季節神事の必要性があった農耕民族ではない、

何かの聖地だったのだろうか、、😳


本当に宇宙と繋がるとか、UFOでも降りてきそうな雰囲気だ👽🛸

かつては石段の上のウテナ(高台)には特別な人しか上がれなかったのだろう、🤔

異聞では

本当は『稗の底村』ではなく、日栄え村であり

かつて栄えていた中心地だったが、

廃村『稗の底村』として隠したとも。

ミシャグジを司る神長には、黒魔術的な呪術もあり

神灰を撒くと土地に災いが起きたという、、😮

もしや稗の底村に人が住めなくなったのも、、?!と

あらぬ事を勘繰ってしまうほど、他とは違う場所に感じる。

ミシャグジの雰囲気の違いを感じ、

かえって理解が深まった気がする😌

では、ミシャグジとは一体何なんだ?!


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

ミシャグジとはトトロだ!

と、一言で言ってしまえればいいのですが、長くなるので少しだけミシャグジを加筆します😌興味がある方はご覧下さい🙏



(少しじゃないと思う🙄)



【古代信仰ミシャグジの謎】

かつて稗の底村には山神社(大山祇命を祭る)もあったようで、諏訪大社と同様「前社」があったので、この辺りにも地域のミシャグジがあったのかもしれない。

前宮とは弥生人の祭る神社に対し、それ以前からの祭祀場があった場所のことをさしていう。

人が住まない廃村になって500年経っても、今も大切に残されてる事からも重要な場所であったことが伺える。

通常、神社の本宮に対して

元宮、奥宮、など元々祀られていた神社が存在するが、

『前宮』という名称は諏訪独特だ。

社殿はなく、古代信仰ミシャグジの聖地が、弥生人の神道の神と習合した諏訪大社になった時に『前宮』と呼ばれる宮になった様だ、、🤔

出雲の国譲りで、天孫族に敗れた建御名方命が諏訪まで逃げてきて、元々諏訪にあったミシャグジと習合した。

諏訪には、狩猟民族の先住部族『洩矢氏』がミシャグジを司っていたが、

建御名方命は大祝となり、諏訪大社上社本宮に祭られ

ミシャグジの祭祀場が諏訪大社上社前宮となった。

諏訪大社下社『春宮』と諏訪大社下社『秋宮』は農耕民族の祭祀だが、

ミシャグジの季節神事にも対応していると思われ、

日本神道の神社となることで、そのまま神事だけを残した。

ちなみに『前宮』の神事は冬に対応している。

季節神事は弥生人の農耕文化に、ミシャグジが見事にマウントされた様な神事だ。

少なくとも農耕文化の神とか、狩猟文化の神とかでは

言い切れない、何か得体の知れなさを感じる、😑

ミシャグジは漢字で書くと

御社宮司、
御社宮神、
御佐口など
当て字が地方ごとに多数あり、200種類以上あるという。

漢字文化が伝来するずっと以前の古い信仰なので、元々の漢字の意味を考えても意味が無いが、かつては漢字の意味で答えを出そうとした「石神論争」などもあった。

ミシャグジ=御社宮神は、

神仏との習合で生まれた比較的新しい(といっても千年以上前だが)漢字表記で今に続くミシャグジの公式表現っぽく思える。

(室町時代の史書には、御佐口神と😌)

大和朝廷が日本を統一し、神道や仏教が広がる中でも、諏訪地方を中心に『ミシャグジ』という石棒や巨石を依り代にした古代信仰は根強く存在していた。


ミシャグジとは、

人・岩・木を依り代に降ろされたり上げられたりする得体の知れない何かだ。👽

人・木・岩は、その入れものにすぎない。


神道であれば『○○坐す○○神社』と御神名高らかに祭られ、必要があり封印する場合でさえ違う神の名で祭る。

ミシャグジはミシャグジであり、
果たして神名なのか
固有名詞なのかさえも分からない。

降ろす依り代になる、人・岩・木のことも
「ミシャグジ」と呼んでいる様なので、とりあえずまずその体で理解していくことにした。


大国主も人名ではなく大いなる国を建てる国主のことであり、
初代・大国主がスサノオで、
二代・大国主が大己貴命だが、

諏訪大社に祭られている大国主の子・建御名方も神名かどうかは分からない。

そのまま読めば建御名方=

『建国者の御名を持つお方』

という意味で、親方、賄方、勘定方など役割の呼称の類いと変わらない。

確かに、建御名方とその子らは佐久地方に農耕を拓いた開国者であり、土地を開墾することを、土地を「さく」と言うが、そのまま「佐久」という地名になったらしい。

ミシャグジ=御社宮神は、

御○○神、

ミ=御が敬語で、ジ=神が神であり
真ん中の「シャグ」二文字が、
信仰の依り代に降りてくる何かをさしているという説があるが、ここに「佐久」を当てはめる説もある🤔

(すると🙄開墾のパワーが降りてくるとか?)

諏訪大社なども、神社の名を冠しているが、甚だカムフラージュにしか思えず、『神道』ではなく『ミシャグジ』をただ神道風にふりをして祭っているだけの様にも感じる。

古神道の祭祀の様に社殿が無いか、あっても、ミシャグジを隠すために社殿で覆ってる気もする。

諏訪大社の様に四本の御柱を立てるのは、ミシャグジの特徴だ。

この6年に一度行われる諏訪大社の御柱祭を始めとして、諏訪地方の神社という神社は全て4本の御柱を立てる。

諏訪地方で祭りと言えば=『御柱立て』で、日本で唯一お神輿を担ぐお祭りが無いのも諏訪地方の特徴かもしれない。


ミシャグジを詳しく書くと

闇の部分、、😔

【黒歴史】生贄の話しがあり、

これは西アジアの

モレク信仰に似ている。

モレヤ氏(洩矢氏)が司ったというのでモレクと一脈相通ずるところはあるのかもしれない。


これ以上書くとまた長くなりそうなので、あらためてまた別の投稿で😌

ちょっと勇気がいるが

【ミシャグジの謎】を何回かに分けて

綴ってみたい。

ミシャグジが弥生人・建御名方の信仰と習合して諏訪大社となり祭られた様に、ミシャグジには他の信仰を取り込み習合する力がある。

こちらの大先神社も、もともとは今のミシャグジとは別の

神聖な場所だったのかもしれない。


、、

縄文との繋がりも確かに感じるが、
短絡的に、縄文と結びつけてしまったり

自然崇拝と結びつけたりといった、
初歩的な間違いはしたくないので、

(🙄もう終わりじゃないのか、)

古代ミステリーになるが、あえて
【ユダヤ人渡来説】からも考えて書いてみたいと思う。


縄文人は、約10万年前の今の人類の紀元であるアフリカ人に近いそうで種としての起源は古い

人類が7〜8万年ほど前アフリカを出てユーラシア大陸の西と東に広がる前に、暫くは西アジアにいたというので、私達日本人の起源が西アジアにある事は間違いない。

案外、ユダヤ人と日本人どちらも祖先は近しいのかもしれない、🤔


また、とりとめなくなりそうなので
これで終わります。😅

最後まで読んで下さってありがとうございました🙏✨😌


聖なる国 日本✨ 歴史も謎も深い🧙



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2 コメント

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興深く拝読 (HAKUJYA)
2022-09-08 23:18:59
いろいろ、思わされることがあり、
まとまらないまま、失礼します。
みじゃくし・みしゃくじ
は、石神井の読み方があるように
石神と考えたくなります。
「み」は、そのまま「巳」蛇ですね。
諏訪大社の伝説に、蛇になった男の話もあったと思います。
また、大社と、つくところは、
前の統治者を塞ぐ(怨念塞ぎ)かと、思わされる「大赦」に通じるところが多い気がします。
出雲大社・・とか。
出雲大社・大国主命となると
「巳」がかかわってくる大物主。
そして、建御名方
大国主命の子供ということになっているが・・
「巳」(大物主)が、かかわってきてもおかしくない。
建御名方をやっつけたのは、
大和朝廷側になるが、
これが、やはり、ユダヤ系かと?
その証拠のように、ユダヤの祭祀が残る諏訪大社。
建御名方は、「美穂須々美」という話もある。
出雲の美穂神社に居たという話もある。
みじゃくし、が、大国主命系統の「巳」に関わるのならば、
あるいは、諏訪大社から派生した信仰ではなかろうか?
まとまってないことを、長々、断片的に書いてしまいました。
石神は、石上神宮にもおもえて、
石神信仰は饒速日?と思ったり
判らないから、好きなように考えてしまい、迷路に入ってます。
Unknown ( )
2022-11-27 07:24:38
コメントありがとうございます。

大変興味深く拝読させて頂きました。

その後の、

諏訪巡りの参考にもなりました。


本当に奥が深く、深入りするほど解らなくなりますね。

出雲大社以外は、諏訪神社の様に
『大社』と呼ばれる様になったのはほぼ戦後の事で


明治時代の宗教政策と、
戦後のGHQの宗教政策の

移り変わりの時代に改名されたので

中世の怨念封じの様な呪術的な意味は無いと思います。

が、前統治を開示する政治的な意味合いはあるのかも?と、思います。



ニギハヤヒは
クマソタケルさんもそうでしたが、

御神名をあげて祭るのが憚られた時代があったと思うので、

つまびらかにせずに祭るうちに、
埋もれた感じはします、🤔


ブログでは、
建御名方命=ニギハヤヒ説

を書かせて頂きました。

私のブログを読んで頂いてありがとうございます。

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