摠見寺開山忌並びに信長忌 | ゆうの日単「己事究明」

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滋賀県東近江市能登川町にある禅寺、大徳寺の住職です。「禅は己事究明である」とは、学問の師の言葉。日々の活動や思ったことを気ままに更新していきます。見て楽しんでいただけたら光栄です。

昨日6月2日は、織田信長公の命日。

例年通り、安土の摠見寺では、開山忌並びに信長忌が厳修されました。

 

全国的に雨の被害が報じられましたが、

当地域においても大雨でした。

行事に雨が降ると、何かと大変です。

 

階段の水路は滝のよう。

 

私が知っている限り、この日は毎年晴れるのですが。。。

 

そう言えば、明智光秀が謀反の直前、天正十年(1582年)5月28日に愛宕山連歌会で詠んだ歌にも雨が登場しますね。

謀反をほのめかしているとも言われています。

「ときは今 あめが下知る 五月かな」

そんな目立つところで本心を表すとは思えませんが、、、

この場所、安土城での徳川家康の接待役を下ろされて、落ち込んでいたとも考えられます。

 

現在、摠見寺が建っている場所こそ、徳川家康邸跡なんですよね。

そして住職不在の時期に、圓鑑禅師を住職としてここに呼んだのは、豊臣秀吉らしいです。

歴史上の人物達の心を想像すると、恐怖や不安、闇など、色々なことを感じます。

 

ちなみに私が住職の大徳寺は、永禄年中(1558~1569)、六角氏と織田氏が争った際の兵火により境内建物が消失し、荒廃しました。うちは六角氏の重臣である伊庭氏の菩提寺です。

ここにも闇が。。。

大徳寺の歴史

安土城跡に仏教寺院が建っていること、そしてそこでお経を唱えて供養することは、様々な人々の思いを鎮めるために必要であったのだと思います。