行動療法では、ごほうびや罰のようなもの(厳密には罰ではない)で行動の強化と消去を行う。
親は子に、上司は部下に、望ましい行動をしてほしくてアメを与え、望ましくない行動を減らしてほしくてムチを与える。
これが、本人の好奇心や真善美からの行動を抑制するため自主性を損ない、人の顔色で行動を決める習慣につながる。
学校でも、先生たちが良かれと思って、何かにつけて成績がとか点数がとか内申書がとか持ち出すことは全てコントロールである。
親と学校の言うことを素直に聞きすぎると自主性が育たないのはこういうわけ。それが続くと、自分の人生の主人公は自分であると思えず、褒められない場面でがんばることができず、自分の強み弱みを試行錯誤で知ることができず、本当の意味で社会に貢献しようという気持ちが起きず、生きてる意味を見失う、、、かもしれない。
自主性や当事者意識を健全に育てる、自分の頭で考える、自分の人生を生きながら社会の一員として存在する、そんな人間に成長するためには何が必要か? というと、好奇心を尊重して打ち込める環境をつくること。つまりコントロールしない、となる。
なんだけど、なんだけど。
好奇心と欲望のままに子を放置したら、すべてのことをやりたがる、あるいは目先の利のために長期的な利が見えなくなる、ということが起こる。
絶賛極悪期の次女は欲望最優先。
寝るとかお風呂に入るとか歯を磨くとか、ちゃんとした時間にごはんを食べるとか、そういう基礎的なことはむしろ全部なくていいっていうほどにのめり込むし、もはや良心の声=母の声は適当に流して胸に刻まない。
お ま え は ピ ノ キ オ か。
わかってるんですよ。学校でいいかっこするとか、習い事で褒められるとか、自分のためにがんばりたい気持ちだって彼女はまだ持ってる。
それに大人だって、欲望と理性の両方がせめぎ合ってる。
欲望を飼い慣らして、長期的な達成のために行動したいという時、大人だったらどうする?
自分にご褒美を与えることで、自分をコントロールするんだよ。
とゆーわけで次女に対してはわたしの育児の美意識「コントロールしない」を手放してニンジンをぶら下げまくっているというお話でした。
やっと冬休みの宿題(最低限)が終わったようー。はー疲れる。
(fasebook0107より)
おもしろい文が書けたらこっちにも転載することにした。
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写真は年末の次女。
宿題しながら音楽聞きながらストレッチしているとこ。
すべてをやりたいとこうなります。