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今日(2日前)のハワイの新たな感染者は55人、オアフ島で28人、マウイ島3人、ハワイ島で7人、カウアイ島13人、モロカイ島0人、ラナイ島0人。これまでの感染者数の合計は88,440人。新たな死亡者は0人、死亡者合計は1,033人。ワクチン接種率は72.1%。
オアフ島:59,955、ハワイ島:11,802、マウイ島:10,095、カウアイ島:3,223、モロカイ島:244、ラナイ島:145

ハワイを襲った低気圧の嵐はオアフ島に大雨をもたらし、各地で被害が出ている。昨日は1988年以来33年ぶりの大雨だった。その前は60年前の1958年で、およそ30年ごとに大雨に見舞われていることになる。11月でハリケーンシーズンが終わり、今回のように12月に風雨で被害が出るのは珍しい。

12月からは雨季に入るものの、強風を伴うまとまった雨が降るのはめったにない。1941年当時にこの情報を日系人から聞かされたホノルル日本領事館のスパイ森村正(本名:吉川猛夫)は、すぐに日本に暗号として打電している。森村はまた、毎月第一と第三日曜日の早朝にパールハーバーに軍艦が集結することを日本に打電した。

ホノルルに送り込まれたスパイ森村正の情報から、日本帝国海軍は秘密裡に進めてきた真珠湾攻撃の日を12月の第一日曜日の早朝と決定した。80年前の今日12月7日午前6:15分に第一陣の183機のゼロ戦部隊が空母からオアフ島を目指して飛び立った。

今日バイデン大統領とロシアのプーチン大統領がウクライナ問題についてオンラインで会談している。ロシアのウクライナ侵攻をけん制する緊張感のある会談だった。ロシアの対応によっては戦争にも発展する問題だけにまだまだ不透明な問題だ。ロシア(ソ連)は今も昔も厄介な国である。

1940年の日本、ドイツ、イタリアの三国同盟に危機感を抱いたのが当時のソ連だ。ドイツはすでに戦争を始めソ連近くに迫っている。満州を領土とした日本がソ連に目を向けるのを避けたいスターリンは、日本との開戦を避けるためにアメリカに大量のスパイを送り込んだ。

ルーズベルト政権の大統領政務補佐官、財務次官補、国務省特別政治問題局長などのソ連のスパイたちが日米開戦をもくろんだ。1941年11月26日、日本との最後の交渉でコーデル・ハル米国務長官が最後通告を突きつけた。無理難題を押し付け日本を挑発するハルノートの原案を作成したのは、ソ連のスパイであった財務次官補ハリー・ホワイトだった。日本がアメリカを攻めるシナリオを作成したのはソ連スパイだった。

日系人としてハワイで生活し始めて今日の特別な日を意識するようになった。今日は当時の真珠湾攻撃の生存者32人を含めた関係者だけの厳かな80周年追悼式典が、小雨降るあいにくの天候下パールハーバーの特設テントで開催された。

80年前の12月7日は日が暮れるとハワイに戒厳令が布かれた。市民は日本軍が闇に紛れて上陸するかもしれないという恐怖に眠れぬ夜を過ごしたという。タンタラスの丘にある民家の点滅する壊れた電灯を、日本軍の上陸信号だと多くの市民がおびえたそうだ。

上空のプロペラ単発機エンジン音に空を見上げる。80年前にタイムスリップする。80年前は今日と違って快晴で、ゼロ戦はパイロットの顔がわかるほど低空飛行した。日本の若いパイロットたちは何を思っていたのだろう?ゼロ戦の攻撃を見て聞いて、ハワイの日系人は何を思ったのだろう?上空を飛び去る単発機のセスナを見上げるたびに、いつもそんな思いをはせる。

*戦闘前のゼロ戦を再現した画像はすべて真珠湾に展示されているもの。

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