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大中遺跡 いせきくん やよいちゃん

ようこそ、考古学のワンダーランドへ!ハローいせきくん やよいちゃん  f:id:ekobiiki888:20220116220248j:plain播磨町(はりまちょう) 兵庫県南方面に位置する。町の産業を担っているのが播磨臨海工業地域 明治なかばには一大紡績工業地帯となり昭和初期には重工業が発達 後の日本の成長に大きく貢献した。最小の面積の自治体だが財政は豊か まちの歴史は古い。f:id:ekobiiki888:20220117001702j:plain 播磨町野添にあるJR土山駅から西側に旧・別府鉄道軌道跡の緑道(歴史とのであい ミュージアムロード)を歩く、播磨大中古代の村(大中遺跡公園)までの道のりf:id:ekobiiki888:20220117093058j:plain遊歩道には百年刻みで歴史上の出来事を記した解説板プレートがあり、二千年の時間旅行を楽しめます。 f:id:ekobiiki888:20220117103859j:plain喜瀬川流域に広がる一帯は弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初頭の大規模な集落跡が見つかっている。また水利を活かした稲作が行われていたと推定、播磨町は古代人の故郷としての盛んにまちづくりが行われていました。f:id:ekobiiki888:20220116233901j:plain大中遺跡 1962年 播磨中学校生徒3人によって発見されました。f:id:ekobiiki888:20220117001115j:plain

弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初頭(邪馬台国 卑弥呼と同時期)の代表的な遺跡群 遺跡内には少なくとも250軒位の住居があると推測され、73軒の竪穴住居跡が発掘、調査されている。竪穴住居跡の一部は復元され、古代の植物の森を再現しているので弥生時代の村の雰囲気が蘇ります。f:id:ekobiiki888:20220117173941j:plain第一土器群下住宅 f:id:ekobiiki888:20220117213445j:plain特徴的なのは 大量の土器の出土の中にイイダコ壺がありました。土錘・石錘(漁に使われた石や土のおもり)も見つかり、古代から播磨灘でイイダコを獲る漁業が盛んにだったことがわかります。f:id:ekobiiki888:20220117221735j:plainオポナカムラ名物イイダコ漁 昔も今も播磨灘名物はタコですね!※播磨資料館は日本で唯一弥生語の体験できる施設、オポナカムラはここ大中村のことだそう。上代日本語と大陸の語源や朝鮮語の表現、発音を組み合わせ弥生時代後期の言葉を復元した。テープで弥生語を聞くこともできます。f:id:ekobiiki888:20220117221158j:plain1101号住宅f:id:ekobiiki888:20220117222815j:plain住居は4本の柱で屋根を支えていたことがわかります。炉は床面の中央より奥の壁側、反対側に出入口が設けられ壁際の床面には周溝と呼ぶ溝が掘られているのが一般的、地面より掘り下げてあるので暖かく心地よい土の香りがしました。f:id:ekobiiki888:20220117224223j:plain大中遺跡公園内には播磨資料館と、遺跡数が全国1位である兵庫県の考古学の拠点・兵庫県立考古博物館が併設されています。f:id:ekobiiki888:20220117235416j:plain展示内容はここではあえて写真はだしませんが素晴らしいの一言!また常設、テーマ展示だけではなく、埋蔵文化財調査部を設け、国・県等が実施する遺跡の発掘調査・研究が日々進められています。f:id:ekobiiki888:20220118000955j:plain考古学の主役は土の中から出てきた考古資料、そして、もう一人の主役はあなた・・発掘や火起こしなど、ふれて見て体験することができる。f:id:ekobiiki888:20220118003405j:plain内行花文鏡片 大中遺跡住居跡から出土、中国の後漢時代に作られたものと推定。片方を磨いて一直線に2つの穴があいている。紐を通し首輪にして祭りなどに使っていたと考えられる。播磨町の指定文化財になっています。f:id:ekobiiki888:20220118010903j:plain あのときも今も 人が渡り歴史がはじまる。人が動き文明が生まれる・・未来をつくるのは私とあなた、空を飛び海を渡る準備好了!!

※いせきくん、やよいちゃんは平成元年生まれ・播磨町の共に生きようふれあいのまち宣言をしたときのイメージ・キャラクターです。かわいいでしょ