ブログしばらく放置してました・・・。

年度末にて、仕事に追われています。

今日の記事は、医療記事です。久山療育園の宮﨑医師の書かれた文献からまとめてみましたァ♪

●医療の役割「治療」と「配慮」

医療の役割は、領域こそ異なっても、利用者(患者)の心身の健康回復を援助し、安全、安楽、安心を実現することにあります。しかし「健康」の概念は広く、1948年に発足したWHO(世界保健機関)憲章の健康の定義には、「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」とされています。またその後、「肉体的、精神的、社会的」に加えて「スピリチュアル」(「霊」・「魂」)という考え方も提言されました。さらに近年、福祉の領域では「生の質」(QOL)が強調されていますが、障害者福祉の領域では、この考え方をより深く「生活の質」、「生命の質」、「人生の質」ととらえ、その各々の向上を目指す動きが見られています。

医学概論(医学・医療の基本)には、キュア(治療)とケア(配慮)という要素があり、前者が「治す、元通りにする、延命をはかる、社会復帰をはかる」を目標とする要素に対し、後者は「たとえ不治であっても、社会復帰出来なくても、とにかくケアする」ことに重点がおかれ、利用者(患者)と医療者との間の対等な人間関係(配慮的人間関係)を重んじるものです。

狭い意味での医療はともすれば技術面へ偏りがちであり、医療技術の進歩や専門分化、家庭よりも病院中心になりがちで、その人の人格や個性を忘れる恐れがあります。これに対して「全人医療」はその人の健康のあり方を広くとらえ、知識や技術に加えて、対等な人間関係を基礎とした利用者中心の医療を目指すものです。ここに重症児者医療の根拠は置かれるべきものと考えています。

●終末期医療とターミナルケア

重症心身障害の原因となる病気や事故は、ほとんどが回復不能であり、また重症心身障害の定義も身体障害と精神障害が固定し、またそのために重い合併症を引き起こしたり、退行や機能障害の進行があるのが一般的です。そのため、悪性腫瘍や難病と同じように、重症心身障害が進行した状態に対しては特別の配慮を必要とします。愛するわが子の終末期を考えたくないという保護者の思いは当然ですが、人間全てが限りある命であることと同じく、やがて来る進行期への配慮や備えが大切です。

終末期医療についての優れた本としては、淀川キリスト教病院が編集した「タ-ミナルケアマニュアル」があります。その中で終末期とは、「現代的医療が可能な集学的治療の効果が期待出来ず、積極的治療がむしろ不適切と考えられる状態で、生命予後が6ヶ月以内と考えられる段階」と位置付けられています。そしてターミナルケアの対象となる疾患・状態としては、①原疾患が進行性かつ不可逆のもの ②退行や変性疾患で、機能障害が通常の治療で回復が望めないもの ③悪性腫瘍などの合併症で、医学的治療により単なる延命以上の効果を得られないもの ④治癒を目的とする治療が延命の域を出ないか、重症児に著しい苦痛を与えるものとされていますが、重症心身障害医療でも多くの先天性疾患、遺伝性疾患、染色体異常や、成長後の重い合併症、そして中高年となった時期の悪性腫瘍や重い成人病などがその対象となります。

●ターミナルケアの基本姿勢

重症心身障害児者医療の領域では、特に成人の重い合併症(呼吸不全、心不全、腎不全、腸閉塞、悪性腫瘍など)が主な死因となります。突発的な病気ではなく、進行性の病気については、保護者と共に医療者や介護職員も重症児者との限られた時間を大切に過ごしたいと願います。また何よりも重症児者ご自身にとって、そのような配慮が大切です。医療福祉の援助に携わる者の基本姿勢としては、治癒が望めない終末期では、①治療者の自己満足ではいかなる治療手段をとらないこと ②積極的な緩和ケアを心がけること ③家族や職員との交わりを十分に保障することが求められます。

またその時期によって、予後(推定される余命)が、①6カ月から数カ月(終末期前期)であれば症状のコントロ-ル、緩和治療、精神的支持が基本となり家族に対する死の受容への援助に努めます。②終末期中期(数週間)であれば、日常生活の援助や利用者本人や家族に対する予期悲嘆、延命と緩和医療との葛藤への配慮や宗教的配慮を必要とします。③終末期後期(数日)になると、安楽姿勢の工夫や混乱への対応、沈静の考慮に努めます。同時に家族に対する看病・付き添い疲れへの配慮が必要です。④死亡直前期(数時間)では、医療処置の役割は少なくなりますが、人格を持った人として接することに重きを置きますし、ご家族に対する死亡直前の症状の説明は欠かせません。一般医療でもそうですが、重症児者は発語はなくとも感性は豊かであることを忘れることなく、意識が低下しても、ご家族と共々に手を握る、腕をさする、髪をなでるなどの非言語的コミュニケ-ションが中心となることを大切にします。