まず、滞在しているジュデッカ島から見て見よう。毎朝学校に行くときにヴァポレットに乗るフェルマータは、レデントーレという名だ。このフェルマータの名は、直近にある教会「イル・レデントーレ」に由来する。redimere「解放する、救う」→redentore 「解放する人、救う人」という意味で、この教会は16世紀半ば、ヴェネツィアに猛威をふるったペストからの救済をキリストに祈願するために建てられた教会である。
そしてペストからの解放を感謝して記念のお祭りがおこなわれるようになった。7月の第3日曜日には対岸のザッテレからこのイル・レデントーレ教会までジュデッカ運河を横断して仮設の橋がかけられる。人々は徒歩でザッテレからイル・レデントーレまで行列をつくってお参りし、夜には花火が打ち上げられお祭り気分が盛り上げられる。
Chiesa del Redentore
Isola della Giudecca,、Venezia
1580 Andrea Palladio
丁度結婚式が終わった時だったらしく、レデントーレの前は正装した人たちで賑わっていた。
ジュデッカ島は対岸のザッテレとジュデッカ運河を挟んで並行に東西に細長い島である。東隣にはサン・ジョルジョ・マッジョーレのあるサン・ジョルジョ島がある。ジュデッカ島にあるもう一つのパッラーディオの教会を見るため、レデントーレの隣のフェルマータ ジテッレまでジュデッカ運河沿いのフォンディメンタを歩く。ほどなく黄色いファシアのフェルマータが見えると、その先に見える教会が ジテッレ教会だ。狭い河岸に広場もなく直接ポルターレがあり、引きがないので写真を撮るのに一苦労する。この教会は、見てわかるように建物の一部が聖堂になっている。建物自体は恵まれない少女のための養護施設となっているようだ。この教会の別名は、ジテッレの聖マリア教会と呼ばれている。
今、Booking.comのヴェネツィアをチェックしていて解った。
なんと、この恵まれない少女のための養護施設であった建物が、超豪華ホテルになっている。
Bauer Palladio Hotel & Spa
http://bauerpalladio.hotelinvenice.com/
http://www.booking.com/hotel/it/bauer-palladio-spa.it.html?aid=339530;label=1578_recmd-dest_name3_v2UwcASgcAKgcATwcAQQcBJwcBTgcB0gYAAYBRQcBJgcAOgcB;sid=064977ee91ece2048330128e6b4ea039;dcid=1;checkin=2015-03-16;checkout=2015-03-17
私のような収入の人間にはとても宿泊できるレートのホテルではない。
資金に余裕のある方はぜひ宿泊してその感想などコメントいただけるとありがたい。
Chiesa del Zitelle (Santa Maria del Zitelle)
Isola della Giudecca, Venezia
1576 Andrea Palladio
さて、次は隣のサン・ジョルジョ島にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレを見に行こう。
これはヴェネツィアにおけるパッラーディオの代表作と言ってよい。彼はヴェネツィアにおける最初の教会堂の仕事であるサン・ピエトロ・イン・カステッロでまず大小2つのオーダーの複合を試みようとしたが、パトロンの死により工事は中断し、すぐにはその成果を確かめることはできなかった。そして2つ目のサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャでやっと確信することが出来、このサン・ジョルジョ・マッジョーレのディザインに取り掛かったのである。しかしながらその完成は彼の死後であり、かつ幾度かの改修工事は行われたが、その堂々としたファッチャータを我々は現在でも堪能できるのである。
Chiesa di San giorgio Maggiore
Isola di SanGiorgio-Sestiere di San Marco, Venezia
1576 Andrea Palladio
ティントレットの「最後の晩餐」
付属修道院の回廊
次は、パッラーディオのヴェネツィアでの最初の仕事、サン・ピエトロ・イン・カステッロ教会を見に行こう。サン・マルコの隣のフェルマータ サン・ザッカリーアから反時計回りでフォンディメンテ・ヌオヴェ方面に行くヴァポレットに乗る。アルセナーレ、ジャルディーニ、そして サンテレナと廻っていくと、華やかなカナル・グランデ沿いの表の顔のヴェネツィアとは正反対のうらぶれた光景がひろがる。使われなくなった造船所だろうか、廃墟がつらなる。しばらくするとサン・ピエトロ島のフェルマータに着く。下船したのは私一人だった。目指す教会はフェルマータのある海側とは反対の本島側にある。本島とは2本の橋でつながっている。その橋のたもとにサン・ピエトロ・イン・カステッロ教会はある。フェルマータからは建てこんだ古い住居の屋根の上にクーポラの頭だけが見える。それをたよりに狭い道を歩く。路地は何度か曲がり、本当にこの道でいいのだろうか、と疑い始めた時、傾いて建っている古そうな鐘楼のある教会前の広場に出た。この教会、相当古い時代から存在しパッラーデイオは改修工事でファッチァータだけディザインしたようだ。改修工事は1558年開始されたが、パトロンであった大司教ヴィンツェンツォ・ディエドの死により1560年に中止されてしまう。再開されたのは16世紀末、フランチェスコ・スメラルディの監理下においてであったが、パッラーディオのディザインのメイン・ラインは入念に現実化され、その姿はパッラーディオのディザインと一目でわかる堂々とした佇まいである。右横に寄り添うように建っている修道院はかなり古そうで廃墟ではないかと思われるが、なんとも味のある佇まいであった。
Basilica di San Pietro di Castello
Isola di San Pietro-Sestiere di Castello-Venezia
1558 Facciata desegnata da Andrea Palladio
さて次は、サン・ピエトロ・イン・カステッロに始まり、サン・ジョルジョ・マッジョーレに至るパッラーディオのヴェネツィアにおける教会堂建築ディザインの重要な位置をしめるサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャを見に行く。サン・ピエトロとは直線距離だとそう遠くはないが、間に巨大な造船所アルセナーレがあって直線では進めない。迂回してスキアヴォーニ河岸へ出て北上する。サン・ピエトロ島から橋を渡って比較的新しく運河を埋め立てて作られた広い通りのヴィア・ガリバルディに出て軽くランチをしてからにしよう。目的地へは、細い道をたぶん幾度か迷いながら北上し目的地にむかうことになると思われる。ヴィア・ガリバルディでは、昼時でランチをする客で込み合っている何軒かのリストランテがあったのでその内の一軒に入る。
目的地にたどり着く途中で良さそうな教会堂があったので立ち寄る。
Chiesa di San Martino Vesco
7世紀に建立され、16世紀サンソヴィーノにより改修工事が行われた。
カンパニーレは14世紀にゴシック様式で建てられた。
Chiesa di San Giovanni Battista in Bragora
建立は8世紀、改修工事は9世紀と15世紀に行われた。
幸いポルターレが開いていたので中に入る。
祭壇の前ではその夜開催される宗教音楽のコンサートのリハーサルが行われていた。
しばらく祈祷用のベンチに座って、絹のようになめらかな声のヴォーカルに聞き入ってしまった。洗礼者聖ジョヴァンニがヨルダン川でキリストに洗礼を施している祭壇画も素晴らしい。
予想とおり細いカッレを何度も行き止まりで引き返しながら,目的地へ真っすぐ北上してアプローチできるサリッザーダ・フランチェスコにたどり着く。リオ・ディ・フランチェスコを渡るとサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィニャの側面にあるカンポ・デッラ・コンフラテニタにでる。やっとファチャータの側面が見える。この教会の配置は不思議だ。正面からのアプローチがかなり細いカッレしかないのである。それも、狭いフォンディメンタ・サンタ・ジュスティーナからの枝分かれのカッレだ。そして教会堂前のカンポにでても正面の右1/3ぐらいは右がわの建物に隠れて見えないのだ。
Chiesa di San Francesco della Vigna
La costruzione della facciata era cominciata nel 1562 dalla desegna di Andrea Palladio
Sestiere di Castello-Venezia
着工して2年で中止されてしまったサン・ピエトロ・イン・カステッロで試みようとしたパッラーディオの「2つのオーダーの複合」は見事にこのサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャで実現されている。彼はこの後、自信に満ちて大仕事であるサン・ジョルジョ・マッジョーレのファッチャータのディザインに取り組めたに違いない。
ファッチァータの堂々たるディザインに比べ内部のディザインは貧相であるが、これはサンソヴィーノによるものである。
ヴェネツィアでパッラーディオの手になる建築は、まだ2か所ある。 一つは、今はアッカデミア美術館として使用されているカリタ修道院と、サン・マルコのパラッツォ・デゥカーレの2階の一部の部屋である。残念ながら滞在中これらを写真に撮る機会を逸してしまった。 さて、次の章では何を紹介しようか。。。?