60歳からの輪行の旅

目標を持てば、生き甲斐は見出せる

私と同僚とのサイクリングの始まり

2013-11-01 10:05:41 | 60歳からの輪行の旅

おはよう デコメ

読書、食欲、サイクリングの秋で~す、お元気ですか。

私の職場の部署は8人で構成され交替で勤務しています。

それぞれ趣味も違い私だけがサイクリングしてます。
各地へ輪行の旅、自転車と健康との因果関係、ブログに投稿してランキング入りしている話など、聞いてくれるのですが、それだけです。
その中で一人だけ興味を持って聞いてくれる同僚がおり、「俺もやって見たいな~」と言って私に質問して来るようになりました。

そして自転車の種類、値段、服装(スタイル)等聞いてくるうちに買おうかなと言い出したのですが、有言実行には至らず躊躇しておりました。
彼の家ではママチャリを奥さんと兼用で乗るだけで、新たに買う決断が着かなかったのも事実です。

そうこうしているうちに半年が過ぎ、私はMTBで輪行の旅を続けていました。
約20kgの自転車を輪講袋に入れ、肩に担いで移動する辛さが次第に苦痛になって、何とか軽い自転車はない物かと探している時、ロードバイクに出合い買ってしまいました。

何日かして、彼にその話をすると、「2台の自転車が在ってもしょうがないじゃない、一台安く譲ってくれ」と言うのでMTBを5千円(2年半使用)で売りました。

それからの彼は譲った自転車を磨き、我が子のように可愛がり、会う度に自転車の話になりました。
必要な服、ヘルメット、手袋、サングラスを買い揃えている状況を嬉しそうに話してくれるのです。
彼から聞いた話ですと、ここまで凝ったのを見て奥さんは呆れてるそうですが、健康の為反対はしてないそうです。

ついに彼と初めてのサイクリングをすることになり、大蔵海岸の龍の湯駐車場で待ち合わせ10時30分出発して江井ヶ島まで往復してきました。

私は何度も走り慣れた道ですので、私が先頭に立ってリードして走り、二人とも同年代でアウトドア好きと来ているので体力的にも同レベル、海の香り、景観を堪能しながら楽しんで来ました。

ゴール龍の湯に12時25分到着
近くで昼食を取りながら色々と話しているとサイクリングの魅力に取り付かれたようでした。
自転車を譲った事、サイクリングを勧めてくれた事、一緒に走った事等感謝して、お礼を言うのです。
よっぽど気に入ったのでしょうね次回のサイクリングコースと日程まで決めてきました。

お互いが60代ということもあって話も合い、生き甲斐を探している時に出会ったサイクリングはまだまだ続きそうです。

  

最後までお付き合い

お疲れ様 デコメ    で~す。


大阪駅周辺を自転車で川めぐり(ポタリング)

2013-10-17 12:29:51 | 60歳からの輪行の旅

10月16日大阪市北部の川沿いをポタリングしてきました。

今回の輪行の旅は大阪市北部を流れる、大川、淀川、神崎川の順に反時計回りに河川敷と土手を走るポタリングに行って来ました。
時間も余裕があったので、昼得切符を利用して朝霧駅10時10分発大阪10時58分着、大阪駅スタート/ゴールとして、南中央改札口より離れた位置で自転車を組立て駅の南から東に走り南北線の御堂筋に右折して南下、大阪市役所を左に見て交差点を左折すると、大正7年完成ネオ・ルネサンス様式のレンガ造りの建物で国の重要文化財大阪市中央公会堂前の交差点で北側の歩道に渡り、更に東へ、ライオンの像が有名な難波橋を北へ渡ったら直ぐに難波橋北詰を右折。
少し進み大川河川敷の公園に下りて、上流へ向かう。
さくらの通り抜けで有名な大阪造幣局の門が左に見えたら、川崎橋(地図では載ってない、歩道と自転車走行用の橋)を渡って対岸へ、東側沿いを北上する。
桜ノ宮を越えて毛馬閘門の脇を通れば淀川に出る。
蕪村生誕地の碑が立ち、左手に淀川大堰がある。
土手を1kmほど走り、赤川鉄橋の下を潜って上がり、この橋を北へ渡り終えたら土手の上を上流へ。
河川敷へ下りるスロープを下りて北進する。
淀川を上流へ自転車を走らせ河川敷に造られた京阪ゴルフ倶楽部迄行き折り返す。(時間の都合上)。なんと此処まで行くのに凶悪極まりない車止め通常なら自転車に乗ったまま通過出来るのに此処の車止めは、必ず自転車から降りないと無理。
王子製紙工場の煙突を目印に右折、神崎川に沿って西へ走る。
ここら辺りからなにわ自転車道に入る。
周囲は団地と工場ばかりだが、淀川のような凶悪な車止めは少ないので走り易い。
国道176号線の新三国橋を潜れば三国防災船着場を左に見て更に下流へ、JR東海道本線の高架を潜って、神崎大橋南詰でなにわ自転車道に別れを告げ国道2号線を左折して、大阪市街方面へ向かう。
淀川大橋から梅田の高層ビル群を眺めながら中海老江交差点を左折、1km弱で鷺州交差点を右折、阪神電車の高架を潜り国道2号線を左折、600mほど走れば浄土橋の交差点を右折し、お洒落なカフェやレストランを眺めながら、なにわ筋へ入る。
100m行くと右手に福島天満宮が見える。
その後、玉江橋を渡らず手前の堂島川沿いを左折、河川敷の道沿いに福島港桟橋がある。
直ぐに田簑橋を渡り、南詰めの交差点を過ぎると、右手に大きなドームは大阪市立科学館。
その手前の交差点を左折四ツ橋筋の交差点を横切って過ぎると、オブジェが沢山ある中島緑道へ、更に東へ進むと大阪市役所が前方に見え、手前の交差点を左折して御堂筋を北に走ると左手に大阪駅が見えて来る。
ここでゴール。

以前サイクリング雑誌で調べていたので、行ってきました。
まだ山間に色付く紅葉には早く、大阪駅の周りを一周した川めぐりのルートを選びました。
慌ただしい人の流れ、高層ビル群、車の騒音等、喧騒の中をポタリングしながら、時間が脈打つが如く動いている様は、その流れに自分も共鳴させられ、景色よりは時間の流れが速く感じらました。
今回のポタリングコースは、お奨め出来ない。
サイクリングの為ではなく、散歩道といった感じです。到る所に車止めがあり、その度に降りなければならない。うんざりです。
しかし、行かなければ分らない、不便さそして河川敷にホームレスの掘っ立て小屋等が美観を損ねていました。
達成感は無いが思い出作りが出来ました。

 

ア 大阪駅出発地点(此処で自転車組み立てる) イ 大阪市中央公会堂前の公園

ウ 大阪市中央公会堂 エ 大川河川敷を自転車で走る

オ ライオン像の難波橋 カ 桜ノ宮公園 キ 川崎橋 ク 川崎地蔵

ケ 藤田邸跡公園(公園内を観覧) コ 大川河川敷 サ 毛馬閘門 シ 蕪村生誕地の碑

ス 赤川鉄橋 セ 淀川の土手を上流へ走行中

 

サイクルメーター
走行時間:3時間1分38秒
走行距離:44.9km
走行平均速度:14.8km
\(^▽^)/

最後までお付き合い有難う御座います。

 


片鉄ロマン街道輪行の旅

2013-10-10 17:31:04 | 60歳からの輪行の旅

10月8日片鉄ロマン街道サイクリングロードにに行ってきました。

片上鉄道は岡山県に位置し、片上の街から吉ケ原までを南北に結んでいた鉱山鉄道で同県柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで輸送することを目的とし、また沿線住民の通勤、通学の足としても重要な役割を果たしてきましたが、鉱石輸送廃止後(硫化鉄の海外安価な輸入と石油から硫化が産出される事、等の理由により採掘廃止)、路線廃止への一路をたどり、1991年6月に72年間に亘る鉄道の歴史に幕を降ろしました。
1998年11月15日には1991年に閉山となった柵原(やなはら)鉱山の歴史を後世に残す為、吉ヶ原駅後に資料館「柵原ふれあい鉱山公園」がオープンしました。東洋一の硫化鉄鉱山として栄えてきた柵原鉱山の鉱山町のコーナーも有ります。
2003年11月24日には線路跡の舗装や駅舎の修復などの整備が進められていたサイクリング道が「片鉄ロマン街道」として開通しました。
約10年の歴史で余り知られていないところです。
このサイクル道は鉄道跡を整備されているので走る途中に駅名とプラットホームがそのまま残された状態です。
 ここ迄はインターネットで拾い書きしたものです。

台風24号が奄美大島を通過し九州西に位置する五島市より300Kmを北北東に進行中とのこと、岡山県備前市の天気予報を検索すると午後3時より雨模様、神様お願い、雨を降らさないで下さいと祈りながら、自宅を朝7時50分出発、朝霧駅に着くなり改札口より離れた場所で自転車の前輪、後輪とも外し本体にバンドで締め輪行袋に入れる。時間帯が通勤、通学と重なり、肩身の狭い想いでホームに降り立つ、幸いにも東方向より西方向の乗客数は少なく大きな輪行袋を運転車両の最前部に置く。
朝霧駅8時28分発車後、西明石、姫路、播州赤穂と乗り換えて備前片上駅に10時30分到着改札口には駅員は居らず、無人駅で切符は改札口のボックスの中に入れて出る。
ふと、こんなんだったら切符の不正も簡単に出来るん違う。
うらびれた周りの佇まいに田舎の郷愁を思わせる。

駅前で輪行袋から自転車を取り出し組み立て、いざ駅前の道路を西に走り500mの三叉路を右に入り西片上駅手前を右折し北へ向かう、なだらかな坂を登って行くとサイクリングターミナルが現れる。
そこからもう少し登ると最初の清水トンネルに着く。
山陽自動車和気インター近くを走行、高速道の下を走り、少し行くとJR山陽本線和気駅に出る、和気駅の南側を通過し立体交差で緩やかな上りを上がり和気の街を抜けると右手に和気交通公園と鵜飼谷温泉が見えてくる。
田園風景の中を走って行くと吉井川の新田原井堰が見えてくる。
往時が偲ばれる天瀬駅の綺麗に修復された駅舎とプラットホーム、吉井川に沿って大きくカーブしたサイクリング道は備前矢田駅に到着し少し走ると踏み切り跡の信号機が残されている。
木々に囲まれた苦木駅はプラットホーム、駅舎等当時をかなり残して修復されていた。
吉井川に沿って上流に走り備前福田駅を通って周匝(すさい)橋で一旦東へ迂回してから再度吉井川の堤防に戻って行くと道路沿いにコスモスまつりをしていました。
その後、最終駅の吉が原駅に13時25分到着、片鉄ロマン街道もここで終点
吉が原駅構内の敷地に鉱山資料館も有り、全体を柵原ふれあい鉱山公園として土、日、祝祭日等は賑わっているものと思われます。
私が訪れたのは火曜日で唯一人でした。
公園内で写真撮影、資料館の見学で30分間取り帰路に着く。
JR山陽本線和気駅まで27.3Kmの道程を雨予報を気にしながら一回の休憩を取り平均時速約24.5Km走り、15時25分和気駅に到着。
備前片上駅と比べるとかなりモダンな造りの駅でバス停、タクシー乗場等があり、乗車客の多さを物語っている。
16時13分発に乗車し朝霧駅17時54到着し輪行の旅を終わる。

一ヶ月前から今度行くところは片鉄ロマン街道と決めていました。
自転車で走ると、片鉄ロマン街道の入口が標識も無く、分り辛く迷いました。しまなみ海道を走った時の分り易さから比べば、不親切です。
自転車道としては起伏もそんなに無く初心者でも楽しめるところです。
しかし、もう少し綺麗に街道の整備がなされていれば女性のサイクリングも増えるのではないかと思います。
でも私にとって、よい思い出作りが出来ました。
又達成感も味わえたし満足です。

サイクルメータ

走行時間  3時間42分55分

走行距離  73.4km

平均速度  19.8km

 

この度の片鉄ロマン街道輪行の旅の写真投稿してますので見てください。

①輪行の旅開始、電車の中 ②備前片上駅下車、出発 ③片鉄ロマン街道入口 ④サイクリングターミナル(無料駐車場)

⑤片鉄ロマン街道 ⑥清水トンネル ⑦ロマン街道の標識 ⑧山陽自動車道和気インター近く

⑨所々にロマン街道標識 ⑩吉井川堤防より ⑪本和気駅プラットホーム ⑫和気ドーム(スポーツ振興に利用)

⑬新田原井堰 ⑭吉井川 ⑮天瀬駅ホーム ⑯天瀬駅の駅舎

⑰国道沿いを走るサイクリングロードから吉井川を望む ⑱備前矢田駅プラットホーム ⑲踏切跡の今も残されてる信号機 ⑳苦木駅プラットホーム

①苦木駅の駅舎 ②ロマン街道の標識 ③備前福田駅 ④ロマン街道

⑤吉井川堤防沿いにコスモスが咲き、この日コスモスまつりたけなわ ⑥~⑧まつりに手作り人形が添えられ、等身大に近い大きさで和ませてくれました。

⑨終点、吉が原駅往時を偲ばれる ⑩駅社内切符売り場 ⑪~⑬まで駅構内の風景

⑭この船は硫化鉄鉱を片上港から各港に搬送 ⑮鉱山資料館 ⑯資料館前に幸せの彫り石(手を載せ幸せを祈る)

⑰~①まで柵原鉱山の栄えし頃の時代にタイムスリップ

②片上港 ③~⑤硫化鉄鉱の採掘及び搬送状況 

⑥吉が原駅から片上駅まで続いていた線路

最後までお付き合い有難うございます。


9月5日大蔵海岸から江井島漁港までの往復、自転車で散走してきました。

2013-09-05 11:46:25 | 60歳からの輪行の旅

台風17号がやっと東に抜け日本各地に大きな被害をもたらし遠ざかって行きました。

被害に遭われた方々には、お見舞い申し上げます。

 

週に2回は続けている、私の練習サイクリングコースを紹介します

 

No.1  No.2 No.3

No.4  No.5 No.6

No.7  No.8  No.9

No.10No.11No.12

No.1 明石港、今は無きたこフェリーのりば跡

No.2 岩屋神社を前を通過、時々お参りします。

No.3 明石浦港沖の防波堤より明石海峡大橋を見る

No.4 明石市松江海岸東サイクリングロード入り口

No.5 No.6 明石市松江海岸海水浴場のシーズンも終わり、後片付け中

No.7 快適なサイクリングロード

No.8 江井島海岸近くのサイクリングロード

No.9 江井島の浜の散歩道

No.10 江井島海岸

No.11 江井島海岸と漁港

No.12 江井島海岸より明石海峡大橋を見る。

 

走行時間:1時間25分

走行距離:30.12

平均速度:20.7

最後まで読んで頂き有難うございます。


62歳だからこそ、これからの人生

2013-08-04 11:00:07 | 60歳からの輪行の旅

62歳だから、今から出来ることを考える

 こんにちは デコメ  かわいい系☆ゆるキャラ☆メッセージ☆イヌ☆あづい~☆暑い デコメ

62歳まで元気でやってきた私は、突然、年を取ったのだと感じ、愕然として覚ったのが自転車での輪行の旅で走っていると己の体力に限界を感じ、俺も老いたのだなと密かに感じました。

そして最初は誰にも知られずに密かに回避しょうとしたり、自分で自分に適当な言い訳をしてみたりして、俺はまだ若いと理屈をつけて拒否していたが、更に時がたてば結局それを受け入れざるを得ない。それも他人の前で降参しましたと手をついて認める訳ではなく、一人密かに自分自身を言いくるめて過ぎていく時間というものを改めて認める以外に無いと覚るのです。

つまり老いは時間のもたらす必然の結果であって、それを拒否したり防いだりすることは出来ない、ならばあらかじめそう覚っておいて、その覚悟の上で自らの老いを真正面から見つめて立ち向かって行った方が老いることでの損害も少なく、それに自分なりの正確な理解や準備や対策が有効に出来て、老いていくことの中での予期した以上の充実や満足も積極的に取り組めば起こりうることである。

懸命に生きるという姿勢は一種の執着かも知れないが、生への見苦しいまでの執着は懸命に生きることとは違って私自信の弱さを感じささせるのではないだろうかと思う。

生あるものは必ず滅びるのだという公理をわきまえていればこそのことで、これからの生涯を第二の人生など言わずに人生そのものの仕上げの一番成熟した季節と心得て、その為に何をすべきかを考えて生きたい。

思ってみるとこれからの十余年の歳月ほど奥の深い幅のある興味尽きぬものはないのかも知れない。

どんなドラマでも最後の幕が一番実があり感動的なものではないだろうか、それを俺は歳だからと言って諦め投げ出すとしたら、それは人生に対して申し訳ないような気がする。

誰しも歳は取りたくはない、誰しも老いたくはない、しかし誰しも必ず歳を取り老いていく、それは当たり前のことを前にして、なんでくよくよしたり、怯えたり、腰が引けたりする。 正面切手向かい合い、こちらから仕掛けていけばこんなにやり甲斐、生き甲斐のある人生の時は他にあるものではない。人間は必ず老いて衰えていく肉体を機軸にして人生を考えていけば自ずから見えてくる、何よりもまず変化と言うことを受け入れることで、今在るものを今在るままに保とうと、又この姿のままでいたいと願うことが所詮無理なのだと覚るべきである。

決して諦めではなしに、覚悟の上の開き直りがあれば焦りも苦しみも薄らいでくるに違いない。 しかしろくにトレーニングもせずにほっておけば、衰えるばかり、しかし人間がいくら懸命に努力をしてみても肉体の老いを食い止めることなど出来ないが、その努力こそが大切だし尊いものあって、放置された肉体は手入れを忘れた庭にあっという間に雑草がはびこるように忽ち無残なものに成り果ててしまう。 

老いを食い止めようとする如何なる努力も、時のもたらす老いには及ばず、ジリジリと後退していくという事実を忌々しくも直視するということは決して不条理なことではないし、これこそが実は人生の条理だと覚り、忌々しくあっても抵抗しながらそれを受け入れることで、人間は肉体以上のもの、つまり肉体を超えた心の強さを体得できるものと信じている。 

アンパンマン、いつもありがとうございます、敬語 デコメ

又宜しくお願いします。