このブログを書き始めたのは2013年6月、ラトガース大学でPhD2年目を迎えたときでした(初回記事)。当時の「日本の行政学を国際レベルに引き上げる」という意識は、今も変わっていません。ただ、ブログを始めたもう少し正直なきっかけは...寂しかった。シラキュースでも、ウガンダでも、日本人1人という状況は経験していませんでしたから。また、アレンとザビエルが来るまで(参考記事1)、気軽に話せる仲間もいませんでした。
そんな個人的な理由で始めたブログが、人気ブログとは言えないものの、こんなに多くの方に読まれることになるとは思ってもいませんでした。何度かブログを辞めたくなり、投げやりにブログ記事を書いていたこともあったのですが、読者の皆様は本ブログを見捨てることなく、暖かく見守ってくださいましたm(_ _)m 結果として、人生最大の試練となった就職活動の際、読者様から暖かいお言葉や叱咤激励を頂くことができ、なんとかアカデミアで生き残ることができました。就職は研究者としてのゴールではないものの、35歳から始まった挑戦が一区切りを迎えたことに疑いはなく、皆様にお伝えしたい5つのことを書き残し、本ブログ『35歳からのアメリカ行政学・公共経営PhD挑戦』を締めたいと思います:
1.目標は達成できなかった
PhD入学以来、アメリカの研究大学に就職することを目標にしてきました(参考記事2)。仕事のオファーがない中、自分の主要論文が日本の事例を扱っていたこともあり、日本へと就職活動の幅を拡げていきました(参考記事3)。自分は都合の良い人間なので、そのうち「本当はアメリカで就職できたのですが、日本のために帰ってまいりました(`・ω・´)ゞビシッ」とか言い出しかねないので、そんな自分を見かけたら「アメリカで就職できず帰ってきたでしょう...(-д-)」と周囲に気付かれぬようツッコんでください(笑)アメリカ行政大学院に就職したいなら、アメリカの事例を研究するのが一番の近道です。
2.アメリカだから勝負できた
日本には海外留学用奨学金や若手向け研究助成金がいくつかありますが、自分はいずれも受け取ることができませんでした(参考記事4)。助成金を申請した自分の研究がトップジャーナルに掲載されたことを鑑みると、奨学金や助成金を得た他の日本人PhD学生にあって自分になかったものは、日本の有名大学(学部)出身という「学歴」です。また、有名国立大学等で行政学のポジションが公募されず、内部のコネクションで決まっていく現状では、アメリカ留学を経ず日本で優れた研究環境を得ることは不可能でした。一方で、ラトガース大学行政大学院PhD DirectorだったNorma M. Riccucciは、自分の志望動機書と研究計画を読み、GREスコアが高い他の志願者を差し置いて、自分に奨学金付き入学オファーをくれました。指導教授のFrank J. Thompsonは、ピッツバーグ大学やソウル国立大学出身者ではなく、自分を弟子に選んでくれました。この2人のラトガース大学教授は、アメリカ行政学会最高の栄誉「ドワイト・ワルドー賞」を受賞しています。実力もないのに、出会いだけは恵まれています(゚ー゚; アメリカの就職に固執したのは、2人に喜んでもらいたい...それだけだったのかもしれません。
3.就職はゴールではない
多かれ少なかれ、PhD学生は有名大学に就職することを夢見ます。一方で、競争率100倍を超える大学教員の採否には、大学のニーズや選考を担当する教員との相性など、積み重ねた研究業績以外の様々な要因が影響します。実績=就職でない現実を理解しているつもりでも、面接の不合格が続くと、自分の努力が否定されたようで精神・身体に支障をきたします。自分は就職活動が1年を超えた頃から、額の皮がボロボロと剥がれ落ちる症状が出始め...内々定後すぐに完治しました(^。^;) 就職後勝手にゴールインして、研究をしなくなる教授は論外として、就職は研究者としての長い道程の出発点に過ぎません。研究者として終わりのない旅をする覚悟があるのなら、新しい環境を選ぶ機会もやって来るでしょうから、早めに就職活動に見切りをつけ、安定した生活基盤を手に入れることも、長期的に有効な戦略だと強く感じています。
4.失敗を笑い飛ばす
本ブログの中心テーマです。才能がない中年オヤジが夢へ挑戦するために所持していた唯一の武器は、「あきらめない」ことでした。5度に亘るPhD受験、初論文に対する4度の審査不合格、そして10度以上の就職面接失敗...こうして振り返ると壮観でさえあります( ̄ー ̄) 全力で失敗しているので、その度ごとに辛いです(〒-〒) ただ、失敗を繰り返すうちに、そこから早く立ち直る方法が身についていきました。大声で泣いてみたり、大音量で好きな曲を聞いたり、好きな食べ物を爆食して、とにかく早く忘れる!我慢は禁物d(-д☆) ただ、親しい人に愚痴るぐらいはいいですが、決して「辞めたい」とか「死にたい」とか口に出してはいけません...ネガティブが周囲の人に伝染するほか、自分の行動にまで影響を及ぼし始めます(参考記事5)。自分はまだ夢に向かう旅の途中、たとえ大幅な遠回りをすることになろうとも、厳しい旅路を鼻歌交じりに進んでいきたいと思います!
最後に、4年半もの長い間ブログを続けてこれたのは、こんな駄ブログを楽しみにしてくださる稀有な読者様がいると、訪問者数やコメントを通じて実感してこれたからです。
ありがとうございました、ありがとうございましたm(_ _)m
名残惜しいのですが(┬_┬)
暫しの間、さようなら、さようなら...
最後の最後に、人生を笑いで彩ることの大切さを知る読者の皆様にお知らせです...
2018年4月より、新ブログ『国際派行政学者の挑戦』始まるよ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ♥
そんな個人的な理由で始めたブログが、人気ブログとは言えないものの、こんなに多くの方に読まれることになるとは思ってもいませんでした。何度かブログを辞めたくなり、投げやりにブログ記事を書いていたこともあったのですが、読者の皆様は本ブログを見捨てることなく、暖かく見守ってくださいましたm(_ _)m 結果として、人生最大の試練となった就職活動の際、読者様から暖かいお言葉や叱咤激励を頂くことができ、なんとかアカデミアで生き残ることができました。就職は研究者としてのゴールではないものの、35歳から始まった挑戦が一区切りを迎えたことに疑いはなく、皆様にお伝えしたい5つのことを書き残し、本ブログ『35歳からのアメリカ行政学・公共経営PhD挑戦』を締めたいと思います:
1.目標は達成できなかった
PhD入学以来、アメリカの研究大学に就職することを目標にしてきました(参考記事2)。仕事のオファーがない中、自分の主要論文が日本の事例を扱っていたこともあり、日本へと就職活動の幅を拡げていきました(参考記事3)。自分は都合の良い人間なので、そのうち「本当はアメリカで就職できたのですが、日本のために帰ってまいりました(`・ω・´)ゞビシッ」とか言い出しかねないので、そんな自分を見かけたら「アメリカで就職できず帰ってきたでしょう...(-д-)」と周囲に気付かれぬようツッコんでください(笑)アメリカ行政大学院に就職したいなら、アメリカの事例を研究するのが一番の近道です。
2.アメリカだから勝負できた
日本には海外留学用奨学金や若手向け研究助成金がいくつかありますが、自分はいずれも受け取ることができませんでした(参考記事4)。助成金を申請した自分の研究がトップジャーナルに掲載されたことを鑑みると、奨学金や助成金を得た他の日本人PhD学生にあって自分になかったものは、日本の有名大学(学部)出身という「学歴」です。また、有名国立大学等で行政学のポジションが公募されず、内部のコネクションで決まっていく現状では、アメリカ留学を経ず日本で優れた研究環境を得ることは不可能でした。一方で、ラトガース大学行政大学院PhD DirectorだったNorma M. Riccucciは、自分の志望動機書と研究計画を読み、GREスコアが高い他の志願者を差し置いて、自分に奨学金付き入学オファーをくれました。指導教授のFrank J. Thompsonは、ピッツバーグ大学やソウル国立大学出身者ではなく、自分を弟子に選んでくれました。この2人のラトガース大学教授は、アメリカ行政学会最高の栄誉「ドワイト・ワルドー賞」を受賞しています。実力もないのに、出会いだけは恵まれています(゚ー゚; アメリカの就職に固執したのは、2人に喜んでもらいたい...それだけだったのかもしれません。
3.就職はゴールではない
多かれ少なかれ、PhD学生は有名大学に就職することを夢見ます。一方で、競争率100倍を超える大学教員の採否には、大学のニーズや選考を担当する教員との相性など、積み重ねた研究業績以外の様々な要因が影響します。実績=就職でない現実を理解しているつもりでも、面接の不合格が続くと、自分の努力が否定されたようで精神・身体に支障をきたします。自分は就職活動が1年を超えた頃から、額の皮がボロボロと剥がれ落ちる症状が出始め...内々定後すぐに完治しました(^。^;) 就職後勝手にゴールインして、研究をしなくなる教授は論外として、就職は研究者としての長い道程の出発点に過ぎません。研究者として終わりのない旅をする覚悟があるのなら、新しい環境を選ぶ機会もやって来るでしょうから、早めに就職活動に見切りをつけ、安定した生活基盤を手に入れることも、長期的に有効な戦略だと強く感じています。
4.失敗を笑い飛ばす
本ブログの中心テーマです。才能がない中年オヤジが夢へ挑戦するために所持していた唯一の武器は、「あきらめない」ことでした。5度に亘るPhD受験、初論文に対する4度の審査不合格、そして10度以上の就職面接失敗...こうして振り返ると壮観でさえあります( ̄ー ̄) 全力で失敗しているので、その度ごとに辛いです(〒-〒) ただ、失敗を繰り返すうちに、そこから早く立ち直る方法が身についていきました。大声で泣いてみたり、大音量で好きな曲を聞いたり、好きな食べ物を爆食して、とにかく早く忘れる!我慢は禁物d(-д☆) ただ、親しい人に愚痴るぐらいはいいですが、決して「辞めたい」とか「死にたい」とか口に出してはいけません...ネガティブが周囲の人に伝染するほか、自分の行動にまで影響を及ぼし始めます(参考記事5)。自分はまだ夢に向かう旅の途中、たとえ大幅な遠回りをすることになろうとも、厳しい旅路を鼻歌交じりに進んでいきたいと思います!
最後に、4年半もの長い間ブログを続けてこれたのは、こんな駄ブログを楽しみにしてくださる稀有な読者様がいると、訪問者数やコメントを通じて実感してこれたからです。
ありがとうございました、ありがとうございましたm(_ _)m
名残惜しいのですが(┬_┬)
暫しの間、さようなら、さようなら...
最後の最後に、人生を笑いで彩ることの大切さを知る読者の皆様にお知らせです...
2018年4月より、新ブログ『国際派行政学者の挑戦』始まるよ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ♥