銚子ポートタワーと文学碑【ミレニアムの銚子電鉄を回顧(3)】 | ゲイムマンの日本縦断紀行 + ご当地ゲーム制作・配信

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

 本銚子(もとちょうし)・笠上黒生(かさがみくろはえ)周辺('00.1.29)

 


利根川の河口に建てられた一ノ島灯台。

 

この辺りは、かつては船の出入りが困難だったそうだ。
1614年には漁船が強風にあおられて、千人以上もの溺死者が出るという大惨事があった。
河口に作られた千人塚は、その死者を埋葬したもの。
慰霊塔の文字は、岸信介氏が首相時代に揮毫したもののようだ。

 

立ち並ぶ建物の向こうに、ポートタワーの頭が見えてきた。
カモメが空いっぱいに飛び交っている。

 


崖にある階段を上って、15時26分、銚子ポートタワー着。

 


いきなりたくさんの人がいた。
車もいっぱい止まっている。
崖の上と下でこうもギャップがあるとは。

 


タワーの高さは57.7メートル。
展望台は46.95メートルだが、前述のとおり、タワー自体が高台にあるので、海抜は60メートルになる。
よく晴れていて、きれいな眺めだった。

 


売店で、話題の「世紀越えせんべい」を購入。
売店の上には、全日本タワー協議会に加盟している16の塔のパネルが飾られていた。
(※その後、協議会に加盟するタワーは20ヶ所まで増えたが、香川県宇多津町のゴールドタワーが退会し、現在は19ヶ所になっている)
全日本タワー協議会

 


渡り廊下を渡って、隣のウオッセ21へ。
海産物を中心に、銚子の特産品が販売されている。

 

ぬれせんべいを4枚買って、外に出ると16時12分。
でも今日はまだまだ歩くのだ。

 

公式動画(銚子市)

 

銚子ポートタワー  ウオッセ21

 

南へ南へと進み、途中細い道を下って海岸へ。
黒生(くろはえ)漁港に来た。
1868年、江戸から函館に向かう榎本武揚の幕艦8隻が暴風雨に遭い、その中の1隻、美加保丸が、この海岸に座礁。13名が死亡した。
現在ここには、彼らを供養する碑が立てられている。
夕方に訪れたためか、人よりカモメのほうがはるかに多い、ひっそりとした雰囲気だった。

 

さらに南下する。
「国木田独歩碑」の矢印を見つけたので、いったん内陸の道へ。

 


住宅街の中の細い路地、上り坂のてっぺんに、巨大な碑があった。
国木田独歩はここ銚子の生まれということで、この「巨象の横たわるような形の自然石の碑」(横の説明文より)が造られた。
「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」
(『山林に自由存す』より)

 


海岸へ戻る。
その昔アシカがいたことから名がついたという海鹿島(あしかじま)海岸は、ごつごつした岩の多い海岸だ。

 

……ここで鞄の肩ひもに、カモメのフンを落とされた。
警戒はしていたつもりだったが。
まだ私自身に直撃でなかっただけよかった。

 


季節はずれで誰もいない海水浴場に、河童をよく描き、「河童の芋銭(うせん)」と呼ばれた画家、小川芋銭の句碑があった。
芋銭は晩年、毎年のように海鹿島を訪れ、滞在していたそうだ。
「大海を飛びいづる如と 初日の出」
芋銭が銚子滞在中に、現在の上皇陛下がお生まれになり、そのことをよろこんで詠んだ句だそうだ。

 


ついに犬吠埼灯台が見えてきた。
しかし既に日は落ちて、薄暗い状態。
「尾崎咢堂歌碑」の矢印を見つけたので、またまた内陸の道へそれる。

 


歌碑はすぐに見つかった。
尾崎咢堂(がくどう)(尾崎行雄)といえば、明治から戦後まで活躍した政治家だ。
咢堂はここ銚子で、太平洋をはさんだ向こう岸、アメリカのことを思っていたようだ。
「朝またき 彼方の岸はアメリカと 聞きて爪立つ おはしまのはし」

 

地図を見ると、北のほうに竹久夢二の碑があるらしい。
その近くに海鹿島駅があるので、今日はそこで締めることにしよう。
いったん海岸沿いに戻って北へ進み、再び内陸へ。

 


やはり住宅地の中に、夢二の碑はあった。
あの有名な『宵待草』の詩。
この詩は海鹿島の南、君ヶ浜海岸で書かれたものだそうだ。
「まてど暮せど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」

 

日の暮れた住宅街を、駅に向かって歩く。
時折、犬の声に脅かされる。
もう駅が見えてきてもいい頃なんだが、暗くなったので、線路も架線もどこにあるのかわからない。

 

幸い、今歩いている道路に踏切があった。
すぐ横にはホームも見える。
17時34分、ようやっと駅にたどり着いた。

 


あれ?
ここ、海鹿島じゃ……。

 

 西海鹿島(にしあしかじま)

 

海鹿島駅が見つからないまま、その先の西海鹿島駅に着いたみたいだ。
ホームと待合室だけで、改札もない無人駅。
観光客の来る駅ではないから、こういう状態なのだろう。
待合室に、地元のかたとみられる男性が一人立っているだけの、寂しい状態。

 

ここから下りに乗って、犬吠まで行こうかな? とも思ったのだが、特急の時刻が気になるので、今回は素直に帰ることにした。
17時46分の上り電車で銚子へ。
55分に終点・銚子着。先週と同じ、18時39分の特急で東京へ帰った。

 

銚子電鉄

 

 

 

 

 

 

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