風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

昭和の国鉄特急

2022年10月08日 11時04分01秒 | 随想

国鉄時代の東海道線ビジネス特急「こだま」の特急列車の先頭車両の模型収集をヤフオクで始め、最近781系と185系電車を落札、キハ185系をゲットすると完結する。

キハ185系は四国遍路に熱中した時に徳島から牟岐線と今はDMVが走る阿佐海岸鉄道で甲浦を経由して室戸岬の24番札所最御崎寺を参拝した時に特急「剣山」で乗車し、折り返し特急「むろと」になった。

少年時代は国鉄長野駅の蒸気機関車の煤煙に悩まされ母親が洗濯物の汚れの愚痴を聞かされたからよい印象はなく、また青春時代は貧乏で暗い時代だったが、東海道線が電化され2年後の昭和33年に登場した国鉄色のクリームに赤帯の151系電車を目にし、国鉄に対する憎しみが愛に劇的に変化し、鉄道愛好家に変身したのだった。そして東海道新幹線〇系の時代で最高潮に達した。

国鉄分割民営化やアベノミックスの時代になり、速度追及の時代になり、鉄道愛は急速に冷却したのだった。

JR時代の新幹線や建設途上で完成が不透明なリニア新幹線には懐疑的で興味は向かわないのである。己唯足るを知る、鉄道の速度は210キロで十分である。

煤煙をまき散らす蒸気機関車に偏る、速度に囚われる、中道を行く昭和の国鉄特急時代に拘るのが仏道に叶うのだろう。


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