福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は節分です.節分も仏教色を帯びています

2024-02-03 | おすすめ情報

「節分」関連資料

・「古事類苑」の一部を抜書してみます。

「追儺ハ、オニヤラヒ、又ナヤラヒト云ヒ、字音ニテツヰナト云フ、十二月晦日ノ夜、禁中ニ於テ惡鬼ヲ驅逐スルノ儀式ナリ、其式ハ、大舍人ノ身體長大ナル者一人ヲ取リテ方相氏ト爲シ、是ヲ大儺ト云フ、方相氏ハ黄金四目ノ假面ヲ被リ、玄衣朱裳ヲ著シ、右ニ戈ヲ執リ、左ニ楯ヲ執ル、又官奴等二十人ヲ以テ侲子ト爲シ、是ヲ小儺ト云フ、侲子ハ紺布衣、朱末額ヲ著シテ殿庭ニ列立ス、陰陽師先ヅ祭文ヲ讀ム、訖テ方相氏儺聲ヲ作シ、戈ヲ以テ楯ヲ擊ツ、侲子之ニ從ヒ、親王以下桃弓葦矢桃杖ヲ執リ、相和シテ以テ惡鬼ヲ逐フナリ、中世以降其制漸ク頽レ、殿上人等、桃弓葦矢ヲ以テ方相氏ヲ射ル等ノ事アルニ至レリ、又大寒ノ日ノ前夜ニ、宮城門ニ土牛童子ノ像ヲ立ツル事アリ、疫氣ヲ驅ルガ爲ナリ」

「おにやらひ」。 儺を訓ぜり、鬼を逐ふ也、東京賦に、卒歳大儺、敺除二群癘一と見え、乞食のお歳末とてする事も、熙朝樂事に、「丐者塗抹變形、裝鬼形を成す、叫跳して儺を驅り、利物を索乞す」といへり、又ついなの下に見えたり、

〔倭訓栞  前編十六都〕

「つゐな」。 追儺の音也、鬼逐をいふ、類聚國史に、「慶雲三年、始て土牛を作り大儺す」と見えたり、本は周家の禮也、我邦にては、大舍人寮鬼を勤め、陰陽寮祭文を讀、殿上人桃弓葦矢して射といへり、こは女官より獻と雲圖抄に見ゆ、又「儺主、侲子を率て仙花門に入る」とあり、桑弧蓬矢は西土の式也、さるを桑は扶桑國の意、蓬萊の意といふは、卜家の附會也、

〔倭訓栞  前編十九那〕

「なやらふ」。 源氏にみゆ、儺のやらひ也、又なやらはんともはたらかしていへり、神代紀に、逐をやらふとよめり、今鬼やらひといへり、

〔古今要覽稿  時令〕

「那那」。續日本紀、延喜式、内裏式、河海抄、按に那は儺の音なり、禮記月令の注にも、難音那とあり、是なやらふとも、なやらひとも、はたらかせていへり、年中の疫氣をはらふ義也、此事の始て行はれしは、文武天皇慶雲三年十二月より也、或は元年よりとも、二年よりともいふ説あれど、正しからず、

「難」。周禮、禮記月令集説、按に義上におなじ、禮記月令の注に、「難は儺に通ず」とみえたり、

「儺」。續日本紀、延喜式、内裏式、論語、後漢書、荊楚歳時記、南部新書、玉燭寶典、按に、「臘より先一日大儺、之逐疫といふ」と、後漢書禮儀志にみえたり、又儺人は厲鬼を逐もの也、いはゆる「儺人は厲鬼を遂ふ所以也」と、禮記にみえたり、

 

 

「なやらふ」。延喜式、小野宮年中行事、源氏物語、江家次第、河海抄、按に、河海抄に、儺を追事なり、鬼やらひといふ、追の字をやらふとよむなりとみゆ、

「おにやらひ」。年中行事秘抄、河海抄、建武年中行事、公事根源、按に、河海抄に、儺を追事なり、鬼やらひといふ、追の字やらふとよむ也、又儺の一字を鬼やらひと讀なりとみえ、又行事秘抄に、金谷を引て云、「陰陽の氣相激、化して疾癘之鬼となり、人家に病を作す為なり。」とあれば、此疫鬼をはらふを鬼やらひとはいへり、又後漢書禮儀志にも、惡鬼を禁中に逐ふとあるもこの義なり、

「行儺」。月令廣義に呂覽(呂氏春秋)を引いて、按に、行儺といふも、追儺といふに義同じ、行字やるといふ意あれば、やらふといふ義にて行儺と名付たり・・

 

 

・日本における節分の初出は、『続日本紀』(慶雲三年706) 「十二月己卯(9日)、是年天下諸國疫疾し百姓多く死す。始て土牛を作り大儺す(たいな・疫鬼を追い払う)」が節分の初出とされています。

・『延喜式』(10世紀)「儺の祭の詞」「今年今月今日今時 大宮内に神祇官宮主の祝ひまつり敬ひまつる。天地の諸御神たち平けくおたひにいまさふへしと申す。事別けて 詔りたまはく。穢く悪しき疫鬼の 所所村村に蔵り隠らふるをば、千里の外 四方の堺 東方陸奥 西方遠価嘉 南方土佐 北方佐渡より おちの所を なむたち疫鬼の住みかと定め賜ひ 行け賜ひて 五色の宝物 海山の種種味物を給ひて罷賜ひ 移し賜ふ 所所方方に 急に罷往ねと追給うと詔るに 奸心を挟んで 留りかくらば 大儺公 小儺公 五兵を持ちて追い走り 刑殺物ぞと 聞き食ふと詔りたまふ」

 

以下古典にある節分の記述をとりあえず集めてみました。

・「源氏物語 紅葉賀」「なやらふとて、犬君(いぬき)がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」(追儺をするといって、犬君(=童女の名)がこれ(=人形遊びの御殿)を壊してしまいましたので、直しているのです。)

・「源氏物語  四十一幻」「年暮ぬとおぼすも心ぼそきに、わか宮のなやらはんに、音たかヽるべきこと、なにわざをせさせんと走りありき給も、おかしき御ありさまをみざらんことヽ、よろづにしのびがたし・・」

・「枕草子」「すさまじきもの、昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。乳児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女児産ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などは、いとすさまじ。」(節分の時期に翌年の恵方 にあたる方角の家に宿を取って方違えをして邪気を避けるという風習があったそうですがこの時の来客をもてなすのが当たり前だったようです。

・「土佐日記・正月」「今日は都のみぞ思ひやらるる。小家の門の注連縄(しりくめなわ)の鯔(なよし)の頭、柊ら、いかにぞ」(今日は、都ばかり思い出される。小さな家の門にしめ縄として飾るぼらの頭や、ひいらぎなどは、今ごろどんなふうだろうか。これは当時の元旦の節分の描写でしょう。)

・「蜻蛉日記」(天禄二年971十二月の条) 「『忌みの所になん、夜ごとに』と告ぐる人あれば、こゝろやすからでありふるに、月日はさながら『鬼やらひ来ぬる』とあれば、あさましあさましと思ひ果つるもいみじきに、人は童、大人ともいはず『儺(な-)やらふ儺(な-)やらふ』とさはぎのゝしるを、われのみのどかに見聞けば、ことしも心ちよげならんところのかぎりせまほしげなるわざにぞ見えける」(年末に、大人も子供も追儺に興じている様子がかかれています)

・「栄花物語・月の宴」「今の上、童におはしませば、つごもりの追儺に殿上人振鼓などしてまゐらせたれば、上振り興じさせたまふもをかし」。
・「栄花物語・さまざまのよろこび」「つごもりになりぬれば、追儺とののしる。上いと若うおはしませば、振鼓などして参らするに、君達もをかしう思ふ。」

・「徒然草」「追儺より四方拝に続くこそ、おもしろけれ。晦の夜はいたう暗きに、松どもともして、夜中過ぐるまで、人の門叩き、走り歩きて、何事にかあらむ、ことごとしくのゝしりて、足を空に惑ふが・・」(室町時代までは節分は大晦日の行事でした。)

・「江家次第」(大江匡房12世紀)に描かれている追儺の様子。「(前略)方相、先ニ儺声ヲ作ッテ、以ッテ矛ヲ楯ニ三箇度叩ク。群臣相承ニ和呼シテ之ヲ追フ。方相明義・仙華門ヲ経テ北廊戸カラ出ヅ。上卿以下、方相氏ノ後ニ随ヒテ御前ヲ度ル。瀧口戸ヨリ出テ、殿上人、長橋ノ内ニ於イテ方相ニ射ル。主上、南殿カラ密カニ覧テ、還御之時ニハ扈従人 方相ニ行キ逢フサヘ忌ム。・・」

・「建武年中行事」(後醍醐天皇・十四世紀前半)の追儺に関する記述。「ツイナ、大舎人寮、鬼ヲツトム。陰陽寮ノ祭文モチテ南殿ノ辺ニツキテ読ム、上卿以下コレヲ追フ。殿上人ドモ、御殿ノ方ニ立チテ、桃ノ弓、葦ノ矢ニテ射ル。仙華門ヨリ入リテ東庭ヲヘテ瀧口ノ戸ニイヅ。」

・「塵添壒囊抄」の節分に鬼に豆を撒く故事の記述。「節分ノ夜大豆ヲ打事ハ何ノ因縁ゾ、是更ニ慥ナル本説ヲ見ズ、由來ヲ云人ナシ、但シ或古記ノ中ニ云、節分ノ夜大豆ヲ打事ハ、宇多天皇ヨリ始レリ、鞍馬ノ奧僧正、谷ノ美曾路池ノ端ノ方丈ノ穴ニ住ケル藍婆・揔主ト云二頭ノ鬼神、共ニ出テ都へ亂レ入ントシケルヲ、毘沙門ノ御示現ニ依テ、彼寺ノ別當奏シ申子細アリ、主上(天皇)聞召スニ、明法道ニ宣旨アリテ、七人博士ヲ集テ、七々四十九家ノ物ヲ取テ、方丈ノ穴ヲ封ジ塞デ、三斛三斗ノ大豆ヲ熬テ鬼ノ目ヲ打ハ、十六ノ眼ヲ打盲テ、抱ヘテ歸ルベシ、又聞鼻ト云鬼、人ヲ喰ハントスルヲバ、鰯ヲ炙リ串ト名付テ、家家ノ門ニ指ベシ、然ラバ鬼ハ人ヲ取ルベカラズト云御示現也ト云々」(毘沙門様が、鬼に豆を打つこと、鰯を炙り門に刺して人食い鬼を遠ざけること、をお告げになっています

・「知られぬ日本の面影・二つの珍しい休日」(小泉八雲) では節分について「私が話そうと思う今一つの祝日は節分である。それは日本の旧暦に従ふので太陽年の始・・冬が和らぎそめて春となる季節・・に當る。チェンバリン教授の語を藉りて云へば、一種の期日不定の祭日といふべきものである。して主として悪魔祓いの儀式の為有名で、節分の宵には日が暮れて間もなく「厄落とし」即ち悪魔を追い払う人が錫杖を鳴らして奇異な声を振り立てて「鬼は外、福は内」と叫びながら町中を巡る。彼は呼び入れられるとその家ではほんの少しの料金で以て簡単なお祓を行うふ。このお祓は仏教の経文のある部分を誦するのと、錫杖をガラガラ鳴らすだけである。それから白豆が四方へ向かって家中で投げられる。ある不思議な道理で悪魔は白豆を好かない。そしてそれを避けて逃げ出す。かやうにして撒かれた豆は後に掃き集めて春の初雷の鳴るまで入念に保存しておいてその後に及んで食べる習慣である。・・悪魔がすっかり追い払われた後、また戻って来ないやう小さな呪いの物が家のすべての入口の上に置かれる。これは焼串ほどの長さと厚さのある小さな一本の竹條と一枚の柊の葉と、乾鰯の頭から成っている。竹條を柊の葉の中央に突き刺し鰯の頭を竹條の一端の割れ目へ挟み他の端は戸の直ぐ上の柱の接目へ入れてある。・・」

 

 

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