福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

祈親上人示寂の日

2024-02-02 | 法話


高野山再興者。一に持経上人または祈親と號す。俗姓河合氏、和州葛城郡楠本邑の人なり。七歳にして父を喪ひ、能く母に事へ、十三歳興福寺に入り法相宗を学び、子島真興に師事し入寺仙救に随ひて密灌を受く。母歿するや常に法華経を讀誦して二親に追薦す。故に祈親または持経の名を得たり。年六十、両親再生の地を知らんと欲し大和長谷寺観音の宝前に参籠して好相を得、その霊告を蒙りて高野山に登る。時に長和五年1016三月なり。即ち弘法大師の霊廟に詣り、青苔を攞り燧を把りて誓て曰く、今此の石火、火億歳を伝へしむべくは炷苔上に薫らしむべし、と。言下一鑚するに鑚火忽ちに苔面に迸りて炷烟を生ず。師喜躍して之を千載の後に傳ふ。今奥院拝殿中の持経灯篭これなりと云ふ。当時高野山は検校雅真入滅して荒蕪甚だし、此に於いて師は之が再興を誓ひ、東室を営みて是に住し、長和五年1016五月検校成得を天野神宮院より迎へ、寛仁元年1017二月彼岸会を始行し、此の歳九枝灯を御影堂に挑ぐ。治安元年1021三月紀州田中庄神崎に於いて神足明算を得。翌年成得、職を辞して峯杲これに代わり、師とともに一山の人法興隆に盡す。永承二年1047二月二日釈迦文院にて寂す。壽九十.正平五年四月晦日後村上天皇勅して法印大和尚位を追贈し、常照の謚号を賜へり。(以上密教大辞典)

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