こんばんは。
今日の夕食は塩サバでした。
炭火焼きしました。
美味かった。
焼き魚と白飯は、やはり最高です。
さて、長兄の人生について色々と思いを巡らせています。
少し調べてみたら、彼が亡くなる際に残した現金は、亡くなる3ヶ月前から用意したものである可能性が大きいことが分かりました。
つまり、それまでは全て使い切っていたということです。
これがどうしても理解出来なくて。
使い切るような生活習慣なり、返済なりがあったのであれば、現金が残っていることが不思議だし、現金を残すような生活習慣であったなら、19年間の貯蓄なりがあるはずだし…。
ちなみに、銀行口座はありませんでした。発見された時に既に亡くなっていましたので、警察の調査もありましたから、間違いないと思います。
もっとも、これ以上調べるつもりもありませんが、非常に不可解でした。
何も残さず、亡くなるって、不可能だと思っていました。資産なり負債なりが残ると思うのです。
ある意味、人生の捉え方が大きく変わりました。
それはどういうことかと言えば、「所有」という概念が人生を複雑にしているということが明確になったこと。
長兄は殆ど「所有」していませんでした。それは、人間関係も含めて。
それが故に、限りなくシンプルな生活をしていたようです。
仕事がある日は、朝晩コンビニで食料を買い、休日はパチンコに行き、必要以上の現金を消費する。
家も車も、資産となるようなものは一切所有せず、契約が必要なものは、衣食住にまつわるものだけ。携帯電話もクレジットカードも銀行口座も持たない。
そんな風であっても、「生きる」ことは充分に出来る。
「所有」という概念に縛られて、不自由になっている僕らより、ずっと「自由」で「幸せ」であったのではと…。
彼の遺体を見た時、あまりに白髪が少ないので、驚きました。もちろん、顔は年相応に老いていましたが、気苦労した感じが無かったのです。
これから先、「所有」という概念を考え直す時代になっていくかもしれませんね。
では、また。