みなさんこんにちは~自愛の達人のmakiです^o^
実は今日は神戸に出かけて、相棒の映画を見たり六甲高山植物園に行く予定だったのですが、突然体調を崩しましてやめにしました。
昨日突然ノドが痛くなって、今は大分マシになったのですが、全身がとてもだるいです。私は冷えとりをしているので薬を飲まずにおとなしく過ごしています。病気=体内の悪いものが出ていく歓迎すべき現象。ってのが私の定義ですね。今は仕事をしていないので、前々から風邪を引いて毒だしをしたかったんですよね。
体調を崩すと多くの方がそうなると思いますが、今日は朝から気分が沈みがちでした。
何度も無職ということばかり書いて申し訳ないのですが、私は無職なので、その点から自分を責め、自分の将来を悲観する、そういう思考と不安に追い詰められていました。
もちろん私は、そういった思考が幻想であること、不安は昇華できることを知っているので、普段は自己観察や自分なりの浄化方法で対応するのですが、体がだるいせいかそういった対処法は出来ずにいました。
「もう風邪なんだから仕方ない!今はこの気持ちと感情にどっぷり浸かろう。悲しくなることを自分に許そう!」と思い、しばらく放っておきました。
それでスマホでゲームなんかをずっとやっていました。
ずっと無気力にゲームをしていたのですが、瞑想でもしようと思い、瞑想することにしました。
以前に上江洲義秀 先生の光話会に参加した時に瞑想のてほどきを受けたのですが、それ以外では人から習ったことがありません。だから私の瞑想は自己流です。
好きな姿勢になって背筋をまっすぐにして座ります。
瞑想しよう、と決めます。目を閉じます。
いろいろな感情や思考が出てきます。そうしたら、映画のスクリーンを見ているような感覚で、その思考と感情を観察します。
自分の意識を少し高い位置に持っていくと、今まで一体化していた思考や感情が自分の下部分にあるのが感じられるようになります。すると、その思考と感情とはもはや一体化していないので、客観的に、とても中立な気持ちで観察をすることが出来ます(最近、突然出来るようになりました)
感情が湧いたり色々あって、なんか突然スーッとした気持ちになります。
ボーっとするような、思考は流れるのですが、さきほどに比べて、明らかに量が減っています。今までと違うような…なんかとりあえずぼーっとしてきます。
なぜか分からんけど、クビがかくんと後ろに倒れます。
こんな感じで終了です。
とりあえず、いまの私はこれを瞑想と呼んでいます。毎日しているわけではなく、気が向いた時にやっています。
終わると気持ちがすごく楽になって、すっきりしています。ちょっと仮眠を取ったときのような感じです。
時間は30分以内にやります。
今日もこの瞑想をしたのですが、瞑想をする前は無気力にぼーっとゲームばっかりしていた私が、終わった途端「ブログを書こう」と思えるようになったのは我ながら凄いと思います(エヘン)。
今日は瞑想中に強い感情に襲われたのですが、すうと感情が引いていくのが分かって、その途端楽になりました。
私の瞑想は思考だらけなので、以前は「これでいいのかな?瞑想というのは思考が起こらないものと聞いたけれど」と思っていました。
けれど最近あるがままに というブログで「瞑想中に思考が起こっていもいい」という文章を読んで、安心して瞑想しています。思考まみれでも別にいいか、という気持ちでやっています。
以前だったら「思考が起こってはいけない」という気持ちだったので、瞑想中に思考が起こったら「ああ、また思考が起こった。私の修行(?)が足りないからだ、私はまだまだダメなんだ」という気持ちになったと思います。
その気持ちが無くなっただけでも、かなり楽です。
結局は、人生とは自分をただ受け入れることなんだ、と思います。
瞑想前は「私の人生は、仕事はどうなるのか、家族は私のことをどう思っているのか」という不安だらけだったのですが、瞑想後はすっきりして、とても明るい気持ちになっていました。
それからホ・オポノポノの本をぱらぱらとめくると、こんな言葉がありました。
「あなたのその「ああ、もう苦しくて、何もすることはできない」という感情さえ、ウニヒピリが「ほら、手放すチャンスだよ」と見せてくれていることです」ヒューレン博士
まさに私にぴつたりな言葉ですね!
ということで今回はこの辺で。