震災からの過疎地の復興を簡単に諦めていいのか⁉ | 真の国益を実現するブログ

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2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。また、被災された方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

ところで、次のような意見を目にしました。
山本一郎氏、JBpressに掲載「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」
永江一石氏、AGORAに掲載「残酷ですが地方の過疎地を復興させる力はもう日本にはない」

両者に共通しているのは、「財源に限りがある中、被災地域の中には、地震前から維持が困難になっていた集落もあるので、そのような集落の復興のために多額の費用をかけるべきではない。」というような意見です。

いわゆる限界集落と言われる集落の存続に関して、地震前から様々な意見があるのは承知していますし、拙ブログでも全ての集落を存続させよと提言するつもりはありません。しかしながら、まだ震災から2週間しか経っていないのにも関わらず、このような意見を述べること、また財政面や集落の機能維持という面からしか見ていないことについて、非常に憤りを感じた次第であります。

財源の問題ですが、拙ブログで何度も主張してきたように、国家財政においては借金(国債)の額が膨らむことは問題でなく、あくまで人的・物的リソースを確保できるかが問題なのです(これに付随したインフレの問題もあります)。財源論についての詳細はここでは述べませんが、「財源に限りがある」とか「国債が多額になり納税者負担となる」、「国が破綻する」、「既にコロナで馬鹿みたいに使ったから、国には金がない」、「次世代に負担が回る」などは、はっきり言って間違いです。
もちろん、「災害復興にこれ以上税金を使うな」という国民の意見が大勢を占めるとか、国会で災害復興資金を賄うための増税決議とかは十分にあり得ますが、まずは会計的に国家財政には限りがあるとして、震災復興に関する論を進めるのは避けなければなりません。

そして、地震前から維持が困難になっていた集落について、多額の費用をかけてまで復興させるのか、という問題は当然検討すべきかと思いますが、ただ今ではないと考えます。
ここで欠けている視点が、人々の「ふるさとへ想い」です。
どんなに不便であろうと命が縮まろうと独りになろうとも、生まれ育ったところで暮らしたい、死にたいという人々の想いです。先祖の土地を守り抜きたいという使命感もあるでしょう。これらは人類共通の根源的な感情と考えます。
この人々の想いに至らない根無し草の識者に、復興計画に意見を述べたり、携わったりする資格はないと考えます。

まずは全ての集落の復興を目標に進めましょうよ。その過程で、住民自身が集落を放棄するなら仕方ありませんが、ただ集落を放棄せよというのは、東京等都会からの上から目線以外の何ものでもないでしょう。

次に機能論から言っても、輪島塗なぞの伝統文化は、技術が廃れると二度と復活は出来ないでしょうから、その担い手を半公務員化してでも残すべきです。伝統的な祭りも残すべきです。
また、被災した熊本県においては、半導体受託製造の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)が菊陽町という町に生産拠点を整備しています。能登半島のような交通の便が劣悪なところと同じように論じることはできませんが、ネットでビジネスが可能となった現在において、国策として積極的に企業を誘致することも排除すべきできないでしょう。
さらに言うと、人が住んでいること自体が、防災・国防安全保障上から有用・有効となります。そのような見地からは、東京等都会への一極集中は最悪の事態で、半島や離島にも人や生産拠点等を分散すべきとなります。

山本一郎氏の論は、まだ被災した地域住民の思いも考慮され、それなりにバランスがとれていると思いますが、永江一石氏の論は、とにかく財源がないから復興も国土強靭化も諦めよということが前面に出ており、全くもって論じるに値しませんね。

そもそも、次のように神戸大学大学院工学研究科 小池教授が論じていますが、能登半島のような過疎地を生み、道路が寸断された大きな要因として、道路等インフラへの過少投資が上げられます。
「能登半島地震、なぜ道路復旧が進まないのか?」

「鹿しか通らないようなコスパが悪い道路建設なぞ止めよ」との国民を上げての公共事業批判の大合唱により、地方の道路整備は後回しにされてきました。先のような識者をはじめ、それに乗った国民や政治家には猛反省いただきたい。インフラ整備等による国家財政の赤字増加は、問題ではありません。  

拙ブログで何度も書いてますが、国の借金が将来世代の負担なんて論も成り立ちません。問題になるのは、人的・物的リソースなので、将来から人的・物的リソースを奪ってきて今現在においてはそれを費消するなんて出来ないわけですから。

色々書いてきましたが、既に限界に近付いている全ての集落を復興せよとは言いませんが、一度、財源の問題はないものとして、当該地域住民の意見をよく聞いた上で、じっくりと冷静に議論すべきだと考えます。
今は、とにかく震災前の姿、元に戻すことを目標に、国家主体でインフラ復旧、各種支援に全力を挙げて進めていくことが先決でしょう。

(永江一石氏は、大阪万博を中止にしたとしても、万博工事に携わっている関西在住の労働者を石川県のインフラ復旧現場に回すのは非現実的と述べていますが、能登半島の惨状を目の当たりにして復興を意気に感じ、それなりの賃金が支給されるなら、石川県の復興現場の方に俺は行くぞと考える職工さんは多いと思いますけどね。)


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