ふるはしかずおの絵本ブログ3

児童文化財を子どもに与える3つのねらい

子どもに向けて、絵本、人形劇、紙芝居、パネルシアターなどを演じようとする時、子どもに与えるねらいとは何かについて考えてみることにしましょう。

児童文化の実践のなかには、3つの教育的なはたらき(知育・徳育・美育)があるようです。主として絵本を例にして考えてみましょう。

  

1.ことば・知識・人間-知育のねらい

 

絵本、紙芝居、人形劇を通して、子どもが、ことばについて学ぶことがあります。ことばを知ること、ことばとことがらの対応について知ること、そしてことばのきまりについて知ることです。 また、人間、自然、社会、歴史についての知識をひろげることもできます。なかでも人間についての認識をふかめることができることは、とてもたいせつなことです。

 

「わたしは知識を与える本を愛する。・・・幼い魂のなかに知識の種を蒔いて、それをすこやかに育てようとするような、そういう本を愛する。・・・特にわたしが愛する本はというと、それは、あらゆる認識のうちで最もむずかしいが、また最も必要なそれが認識、つまり人間の心情についての認識を与える本である」(ポール・アザール)。

 

『ぼくにげちゃうよ』という本があります。家をでて親から自立したいこうさぎとかあさんうさぎの会話からできています。

 

こうさぎは、家をでて、どこかへいってみたくなりました。

「ぼくにげちゃうよ」。

すると、かあさんうさぎは、言います。「おまええが にげたら かあさんは おいかけますよ。だって、おまえは、とっても かわいい わたしの ぼうやだもの」。

 

このあと、親子の会話がつづきますが、さいごは、お母さんの子どもでいることになります。この絵本は、くりかえしの表現方法をもちいて、イメージと意味をせりあげ、ひとつの方向に向かって強調します。それは、子どもをいつくしむ母親の愛情です。かあさんうさぎは、会話のなかで「愛」という言葉をひとつも使いませんが、こうさぎを愛しているかあさんうさぎのこころを、読者は十分感じとることができます。子どもは、くりかえしの表現を通して、目には見えませんが、考えればわかる母親の愛の本質を認識することができるのです。

 

しかし、子どもは、このような真実を受け入れる力を持っているのでしょうか。アザールは言っています。「子供たちに愛と言うことがわかるのだろうか。 いや、 彼らも、 ピーターパンのように、 愛についてはなにも知らないのだ。 しかし彼らは愛がどんなものかを予感している。 最も気高い、 最もりっぱなものとして」。

人間について知ることは、生き方について考えることでもあります。

 

2.人間の生き方を学ぶ-徳育のねらい

 

第2は、生き方を学ぶねらいです。どのように生きるのかという問題は、ちいさな子どもにとってもたいせつなことです。

なにがよいことなのか、なにが悪いことなのか。どのように生きることが幸せにつながるか。どのように生きることが自分をも相手をもよりよく生かすことになるのか。絵本、紙芝居を聞き、人形劇を観ることで、どのように行動すべきかという道徳の問題に出会うのです。

 

子どもは、絵本の世界の人物や人形劇の舞台のうえの人物の姿のなかに、自分の姿を発見します。また、自分のなかに、その人物の姿を発見するということがあります。絵本、人形劇を聞き、観る喜び、楽しみ、おもしろさは、作中の人物、劇のなかの人物のなかに自分とつながってくるもの、ということは人間そのものに普遍する本質的なものを見いだすというところにあります。

 

『めっきらもっきらどおんどん』という絵本があります。

かんたが、穴をのぞき込むと、ひゅうっと吸い込まれて不思議な世界ヘもんもんびゃっこ、しっかかもっかか、おたからまんちんという三人のお化けと楽しく遊んで帰るという、子どもに人気の絵本です。

おたからまんちんが、「ほら、のぞいてごらん。うみが みえるよ」と、ふしぎな水晶玉をくれる場面があります。この場面に関して、作家の柳田邦男さんが、次のようなエピソードを紹介してくれました。 

 

S君は、りさちゃんを泣かせてしまいました。そのS君に、保育者が「ねえ、ビー玉のなかになにが見える?」と問いかけました。ビー玉をじいーっと見つめるS君。そして、S君はいいました。「りさちゃん、かわいそう。さっきはごめんね」。S君は、自分とりさちゃんの関係性を見つめなおしたのです。ビー玉の中をのぞくという形で、自分を客観的にふりかえっています。S君には、自分をみる、もうひとりの自分が芽生えはじめているのです。

 

3.美の意識を培う-徳育のねらい

 

第3は、美意識を培うねらいです。

人間のこころと行いについての美を発見すること、美を理解する力を培うこと、いろどり豊かなイメージをきめこまかにえがく力を養うこと、つまり、好ましい美意識を培うことです。

美の形式面について言えば、ことばそのもののもつリズミカルな美しさ、ことばのいいまわし、ことばづかいの美しさ、言語表現の美しさを体験するということがあります。

『ぼくにげちゃうよ』のなかで、こうさぎとかあさんうさぎの会話がくりかえされましたが、ことばづかいの形式的な美しさを感じることができます。

また、内容面についていえば、描きだされた人間のこころと行いの美しさ、行動の美しさ(逆に人間のこころと行動の醜さ)、自然の美しさがわかることです。 

 

「かあさんが~になって、ぼくをおいかけるなら、ぼくは、~になってにげるよ」「おまえが、~になってにげるのなら、、かあさんは、~になって、おまえをおいかけますよ」。仮定法の文型が、しりとりのようにして、くりかえされます。

 

幼児は、このような仮定の表現を日常生活では使いません。すこし背伸びをした表現です。

しかし、絵本のなかでこのように何回もくりかえされますと、使ってみたい気持ちになることでしょう。「仮定」して表現するおもしろさ、美しさを、しぜんと感じとることができるでしょう。また、このおはなしを通して、かあさんうさぎの愛の真実とこころの美しさを感じ理解するのです。

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絵本を読む、人形劇を観るということは、日常の世界に制約されている子どもの体験の幅をひろげることになります。また、児童文化があたえる、たのしく、おもしろい体験のなかには、教育性がとけこんでいます。作者によって意味づけられた世界のなかで、子どもは、楽しさ、かなしさ、よろこび、うれしさなどさまざまな感情を体験します。また、どのようにすることが正しいことなのかについて考えたり、自分を振りかえってみたりするなど、深くゆたかな体験をするのです。                   

 

場面の展開にしたがって、子どもは、予想し、期待して想像力をいきいきと働かせますが、子どものなかにひきおこされる想像と思考の触発力は、とてもたいせつなことです。絵本の読みかたりを聞き、人形劇を観るなかで、子ども自身が自問自答しつつ、思考、想像の力を自らひきだして育てています。

 

身を乗り出し、おもしろがって見たり、聞いたりするなかで、知育、徳育、美育の3つの機能がはたらいています。3つに区分して考えましたが、3つの機能は、不可分に、統一的にはたらいています。    (2021/10/16)

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