はろはろ。みなさん、こんにちは。猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

僕がよく出没するとされている場所として、お寺や神社、ってプロフィールに書いてたと思いますけど、それはけっこうホントで、星影さんがちょこっと出かけた先で、時間があったら、その周辺の神社、必ずお参りします。

で、昨日はまたまた星影さん、都心の方へ行く用事があったので、昨日は、まず、新宿駅から代々木駅まで歩いて、そこからよし、渋谷駅まで歩くか、と思い、明治通りをてくてくお散歩しましたよ。

昨日は星影さんあんまりたくさん歩けるような靴はいてなかったし、おまけに携帯のバッテリーがあんまり残ってなかったんで、あんまりうろちょろしてへんな方向行って、おまけにナビが使えなくなって、迷って、歩き回って足が痛くなって歩けなくなったら困る、って思って、ちょっとつまらないな~と思いながら、明治通りを真っ直ぐ歩いて行ってたんですよ。

でも、そんな心配することなかったです。
今回初めて新宿から渋谷まで歩いたんですけど、いつも駅のまわりからの風景しか知らなかったのが、初めて、あ~ここを通るとここに出るのね~、あ~そうだそうだ、って感じですごくおもしろかったですよ。

まず、おもしろかったことその1。
星影さん、アメリカに行く前、ちょっとだけ東京の学校に行ってたことがあって、その間、学校が代々木だったから、新宿駅の近くでバイトしてたんですよ。昨日、そのバイト先のお店があった辺りを20+年ぶりに歩いたんです。そしたらね、その場所、ビルの形とかは変わってなかったけど、お店のあった場所、今、はなまるうどんやさんになってました。 

おもしろかったことその2。
星影さん竹下通りをこれまた20+年ぶりに歩きました。明治通り歩いてたら、“Takeshita Street”って書いてる道があったから、“あれ?これってあの竹下通り?”って思って歩いたらやっぱりそうでした。いやいやって感じでしたね。星影さん、20+年前にも一度クレープ食べた覚えがあったので、今回も食べてみたんですよ。なんかさすがに種類がすごく増えてたけど、とりあえず、やっぱりバナナにチョコ、っていう定番選んで、今回は生クリームじゃなくて、カスタードクリームのヤツにしたんですけどね、不思議なくらい、同じ様な味がしました。すごくないですか?あの時もこういう味したよな~って覚えてるんですよ。人って。あんまり味自体には感動しなかった、ってところまで同じでした。

そして、人がメチャメチャ歩いてる表参道を横切りながら、“そうそう、ここに出るはずよね~”と思いながらそのまま明治通りを歩いて無事渋谷駅に到着した、って感じです。

で、前置きが随分長くなりましたが、今回途中で、御祭神が、勝利の神様、東郷平八郎命 である、東郷神社、に出くわしましたので、早速お参りさせていただきましたよ。

。。。っていかにも前から知ってました、みたいな書き方をしましたが、もちろん、歴史にあんまりくわしくない星影さんは当然のごとく“誰だっけ?”って思いまして、神社由緒を読みました。それで、東郷平八郎さんが、日露戦争のとき、バルチック艦隊を撃滅し、日本を勝利へと導いた、ということで勝利の神様、としてお祭りされるようになった、ってこと知ったんですけどね。

日露戦争、って言われて星影さん、思い出すことが2つありまして、ひとつは、“正露丸”ともう一つは、“村上水軍”なんです。

日露戦争、と言えば、日本海でのロシアとの戦争ですよね。それを勝利に導いた、っていう戦法に、かつて村上水軍が用いていた戦法が取り入れられていた、って言われてるんですね。(これは定かではないそうですが。)境内には“海の宮”って、日露戦争で亡くなった方をお祭りするお宮も設けられておりまして、海好き、+ 村上水軍ゆかりの島出身の星影さんは、ちょっぴりこの、東郷神社に親しみを感じてしまった、というわけです。

こちらが、その東郷神社です。
東郷神社、明治通りからの入り口です。ここを通ると原宿駅への近道になるんだとか。近くを通ってたサラリーマンの方が言ってました。

そして、こちらが本殿。

東郷神社の周辺には、東郷記念館があったり日本庭園のような池があったり、とても気持ちの良い空間が広がってます。

竹下通りからも入り口があって、そちらがメインの参道のようで, 東郷神社の正面に出ます。

日露戦争で、日本が世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げ、 その大勝が、日本を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、大きな喜びと希望を与えた。。。ということらしいのですが、とは言え、“戦争”ですからね。その根本的な部分っていうのは忘れてはならない、って思います。でも、今回この東郷神社に参拝できたおかげで、星影さん、少し “村上水軍”について調べる機会を得ることができました。子どもの頃、星影さんがピアノのレッスンに通う途中に見かけていたお墓の主が、村上雅房 で村上水軍のえらいさんってことは知っていたんだけど彼が村上水軍御三家のひとつ、能島村上水軍の最初の大将になった人だったんだ、ということや近所でお世話になってたお寺、っていうのが能島村上水軍の菩提寺だったということや、昔よく遊んでた神社、三島神社、という名前も、どうやら、村上水軍御三家が別名、“三島水軍”とも呼ばれていたから、そこから来ていたものなんじゃないか、っていうことも、今回初めてきちんとわかりました。おまけに村上水軍のことを海の航路案内や規制し治めている大名って感じで思ってたんですが、どうやら海賊っぽいこともやっていた、っていうあんまり誇れない事実も判明いたしました。あの辺り、舟折瀬戸(ふなおりぜと)と言われ、船の事故による怪談話が昔話にあるほど潮の流れが早いんですね。そんな所で、航路などよく知ってるからって海賊行為をするなんて、なんちゅうヤツや、って話ですよ。星影さん、アメリカにいた時、“Pirates of Caribbean ”っていう映画がはやってる頃、“I'm from the island of Murakami Pirates”(私、村上海賊の島出身です。)って冗談で言ってたんですが、そっちの方が意味的には間違ってなかったかもしれません。

ちょっと話それますけど、星影さんがアメリカにいた頃、和歌山県出身の、村上さん、て方にお会いした事があるんですけど、その方、村上水軍の子孫、って言ってまして、落ち武者が紀伊半島に流れ着いたかなんかの系列だ。。とか何とか言ってたんで、星影さん、吉野山に行った時、そこで壮絶な死をとげた、っていう村上義光(よしてる)っていう方のこと、もなんか和歌山県に近いし、村上水軍に関係あるかな。。。って思って調べてみたんですよ。そしたら、どうやら直接は関係はないみたいですね。その村上義光さんっていうのは、護良親王を逃がすために身代わりとなり、敵陣の目の前で、「これが武士の死に様だ~!よ~く見ておけ~!」って自分の腹を十字に切り裂き、その中から自分のはらわたをぐぁしっと掴み取り出して、敵に見せつけ、倒れこんだ。。。と、まぁ、弁慶さんにも勝る劣らずの死をとげた方らしいです。その結果護良親王は、その時は無事逃げ延びる事ができたそうです。歴史もくわしくない星影さんがなんでこんなことを知っているか、と申しますと、吉野山の金峯山寺行った時、ご開帳をしてまして、7メートルぐらいある青い蔵王権現様の前で長々と座って癒されてたんですね。蔵王権現様、あんなに真っ青で怖い顔してるのにメチャメチャ癒される空間で星影さんは驚きました。それで、時間が許す限りず~っとそこにいたわけですが、その時、吉野山の歴史みたいなのを録音で流しておりまして、村上義光さんのその壮絶な死に様が話されてたんです。最初は、「何?村上さん?」ってくらいで聞いてたんですが、それを3回通りぐらい聞いてるうちに、「なんちゅうことを。。。」と想像力豊かな(?)星影さんの頭には映像までが浮かんでしまい、結果脳裏にしっかりと焼きついてしまった。。。というわけです。

吉野山については、星影さんが好きな江ノ島と同じぐらい、星影さんがとってもご縁を感じる場所の一つで、いくつかちょっぴり不思議な体験もしてるんですが、こちらの村上義光さんについても、そう言えるかも、って思いました。今回村上水軍について調べててわかったんですが、一昨年、星影さんがお参りして、こちらのブログでもちょっぴり紹介した、“鎌倉宮”に、“身代わり様”として、村上社ってお祭りされてたんです。そういや、身代わり様の像、ありました。あれが、村上義光さんだった、って知って、またまたご縁を感じたわけです。鎌倉宮が、明治天皇によって、護良親王をお祭りするために作られたということは当時お参りして知ったんですが、それが、村上義光さんが逃がすために身代わりとなった方だったとは、つながってなかったんですね。いろいろ回ってるとふとしたところでいろんなことがつながってきたりするもんなんですね。それが今回またおもしろいな~と思ってお話しさせていただきました。


。。。。っていうことで、いつものように ぐるぐるとまわりまわって、最後にどこに到達したのかわからないような状態になってしまいましたが、とにかく、偶然にも 東郷神社 にお参りすることができてよかったな、ってことでした。(こうしていろんな事がまた少しつながりわかったわけですから。) 

東郷平八郎さま、ありがとうございました。

いやいやお散歩してると発見する事たくさんありますね。
これからも続けよ~っと。

それではまたね。

ようたろうようたろう