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北京旅行・天安門と"廃墟"万里の長城巡り(その5)

2019年03月24日 17時42分34秒 | -旅日記-
■"廃墟"の長城を歩く

金山嶺長城の東門から入って3時間弱。
激しいアップダウンの長城をひたすら歩いて西方台と呼ばれる山と山に挟まれた谷あいに建てられた砲台に到着した。

ここから山を下りると出口があり、ここで長城巡りを終えることもできたのだが、
このまま先に進んで行けるところまで行くことにした。

長城沿いにひたすら進めば、宿泊したゲストハウスの裏山まで行くことができ、ゲストハウスへそのまま戻れる。

ということで、長城巡り再開。



西方台を過ぎると、途端に他の観光客の姿が見当たらなくなった。

前日の臥虎山長城に続いて壮大な長城の景色を独り占め。






高い山を登ったところで来た道を振り返る。
相変わらず霞んだ風景だが、山の尾根沿いに長城が続いているのがよく見える。


谷あいにある西方台は山に隠れて見えない。アップダウンの激しさがよく分かる。


西方台を過ぎて山を二つ越えると、西五眼楼と呼ばれる望楼に到着。



二層構造になっている望楼だが、所々二階部分の床が崩れ落ちて、一階部分から空が見える。



さらに長城を進んで行くと、だんだん"廃墟"感が増してきた。

側壁は完全に無く、長城のレンガの下の土を固めた部分がむき出しになり、雑草が生えて風に揺れている。



階段も崩れてちょっと歩きにくい。



何年も前にこのブログでも紹介した、『シュリーマン旅行記 清国・日本』という本がある。

19世紀半ば、ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンが、有名なギリシャのトロイ遺跡を発掘する前に世界各地を旅する途中、
当時清朝だった中国と、幕末の日本を訪れた。

「シュリーマン旅行記 清国・日本」
https://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/f39ce12a257968865d7105efff805a64


その時の様子を克明に記録した旅行記なのだが、欧米列強国に半植民地化させられ堕落していた当時の中国のことは
かなり辛口というか毒舌全開の評価をしているのに対して、江戸時代末期の日本については景色・文化・人びとについて大絶賛しているのが特徴だ。

旅行記の中で、シュリーマンが唯一?中国を絶賛する場面があるのだが、それが、北京郊外の万里の長城を訪れた時だった。

シュリーマン旅行記の一節:
『私は(世界の)素晴らしい眺望をたくさん見てきた。しかしいま、眼前に展開された光景の壮麗さに匹敵するものは何もなかった。
私は呆然自失し、言葉もなくただ感嘆と熱狂に身をゆだねた・・・。』




まさにシュリーマンが表現する素晴らしい景色が眼前に広がっている。

そして、誰もいない中、この景色を独り占め。



途方も無い労力と財と時間を投じて建設された万里の長城。
人類史に残る壮大な事業も、朽ち果てるままとなっている様は、まさに「諸行無常」・・・。



なお、シュリーマンは、素晴らしい長城の景色を見た一方で、長城を見に行く際に訪れた村で、
中国人の特徴的な気質について理解したのだった。

シュリーマン旅行記の一節:
『(村人に)旅行の目的は何かと聞かれて、・・・長城を見ることだと答えてしまった。彼らはみんな大口を開けて笑い出した。
石を見るためだけに長く辛い旅をするなんて何と馬鹿な男だろうというわけだ。
どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である。』

自分自身も、中国に10年近く暮らて働いて、この中国人の気質は身をもって思い知ったなあ。。。

そしてこの旅を最後に日本へ帰国します。


さて、そんなことを思いながら長城を進んで行くと、六眼楼と呼ばれる望楼までやってきた。



ここでふと、このままさらに進んで行くべきか、西方台まで戻って山を下りるか考えた。
そもそも、この日じゅうには北京まで戻らなければならない。

この時午後1時半。
古北口村から北京市街まで約4時間かかる。
それを考えると、もう山を下りなければ。

ということで、来た道を西方台まで引き返した。


最後に"廃墟"万里の長城の景色を目に焼き付けた。



西方台から長城を下りて一本道を正門へひたすら歩いていく。

東門と比べて緩い坂で道も整備され歩きやすい。


道端には数日前に降ったという雪が残っていた。


金山嶺長城の正門。



ここから古北口村のゲストハウスまで戻らなければならないが、一緒に来た2組の家族とは途中から別れていて、一人で戻らないといけない。
正門前に止まっている暇そうにしているタクシーの運ちゃんに声をかけて、古北口村まで乗せて行ってもらうことにした。

タクシーは順調に田舎道をすっ飛ばし、古北口村のゲストハウスまで戻って来た。

ゲストハウスで預けていた荷物を受け取り、お世話になったJOEさんに別れを告げて、北京に向けて出発した。



■北京で北京ダックの夜

古北口村のバス停でしばらくバスを待っていると、密雲行きバスが来て飛び乗る。

バスはのどかな田舎道を進んで行く。



1時間以上バスに揺られて、蜜雲バスターミナルに到着。
ここからさらに北京の東直門バスターミナル行きバスに乗り換えなければならない。

密雲バスターミナル。



バスの乗り換えはスムーズにいき、北京へ向かって順調に高速道路を突っ走って行ったが、
北京市街に入り高速道路を下りると道は大渋滞。。。

北京の酷い渋滞は聞いていたけど、バスは全然進まない。
日もすっかり落ちてお腹も空いてきた。。。

結局、通常の倍ぐらいの時間がかかり、やっと東直門バスターミナルへ到着。

長かった・・・。


バスターミナルからほど近くにある前々日にも宿泊したホテルに再びチェックイン。
フロントのおねえさんに覚えられていたらしく、「あら、また戻ってきたの?」と言われる。

時刻は夜8時近くになってお腹がとても空いていたけども、北京最後の夜は何を食べようか考えた挙句が、
ベタに「北京ダック」。

北京ダックといえば、超有名店の「全聚徳(ゼンシュトク)」。

ホテルから地下鉄1本で行ける前門店へ行くことにした。

前門は、天安門広場の南側にある巨大な門で、正陽門とも呼ばれる。奥の大きな建物が正陽門の箭楼。



前門から南へ約1キロの通りは前門大街と呼ばれ、沿道には数多くの商店やレストランなどが並ぶ。
前門大街の歴史は古くて、明王朝、清王朝の時代から栄えた下町風情が残る繁華街だ。

そんな歴史ある通り沿いに北京ダックの名店「全聚徳」がある。

前門から数百メートル歩いて通りの左手に全聚徳の看板を発見。



さっそく中に入るが、なんだか人がまばら。
どうやら閉店間際の時間だったようで、ガランとした広い部屋の一席に案内された。

北京ダックというと、大勢でダック一匹丸ごと食べるようなイメージだが、親切にも一人用メニューもある。
ということで、一人前分を注文する。ついでにバンバンジーも注文。

程なくして薄切りされたダックがきれいに並べられたお皿と、ダックを包む生地、そしてダックと一緒に包むネギと濃厚味噌が運ばれてきた。



さっそく生地にダックとネギ、味噌を少々つけて包む。



うん、うまい。
全聚徳は、16年前に初めて北京を訪れた時(前門店とは別の店)と、上海で行ったことがある。
その時は複数人で訪れてダックを丸々一匹注文したけど、かなりの量で油っこいダックと生地がお腹にたまってすぐに満腹になってしまった。

今回の一人前分ぐらいが丁度いい量だったかもしれない。

北京ダックを堪能して、北京最後の夜は更けていきました。


翌日は北京旅行最終日。
再び天安門広場を訪れます。


(つづく)




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1 コメント

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Unknown (半杭正幸)
2019-07-22 16:40:01
行って見たい場所ですが、既に年寄りだから写真で我慢します。良い写真を有難う!

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