貞観元年(859)中納言藤原山蔭卿が
平安京の守護神として春日大社の神を勧請し創建
第一殿 健御賀豆知命(武甕槌命)
第二殿 伊波比主命(経津主命)
第三殿 天之子八根命(天児屋根命)
第四殿 比売神
神官の吉田兼倶(かねとも)がでてからは
吉田神道の社として隆盛を極めました
摂社も多い神社です
神楽岡社は
吉田神社の鳥居の中にある地主の神で
延喜式に
霹靂神(はたたがみ=雷神)神楽岡に坐すとあり
御祭神は水や雷除の神で
大雷神・大山祇神・高龗神 (たかおかみのかみ)
その外には若宮神社
天之子八根命(天児屋根命)と比売神の御子が御祭神
「天孫のために天二上上りまして御膳水みけつみづを請うて献奉った水徳の神」
神龍社は吉田兼倶を祀る神社
明治13年に吉田神社の末社をなりました
こちらは菓祖神社
田道間守命と林浄因命を祀ります
昭和32年京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会が結成され建立
田道間守は日本に初めて橘(みかん)をもたらし
林浄因は中国より饅頭の製法をもたらした人で
奈良の漢國神社でもお祀りされています
すこし坂道がきつくなるところにあるのが
山蔭神社(やまかげじんじゃ)
吉田神社を勧請した藤原山蔭ですが
玉垣には料理学校などの名が並びます
HPに「藤原山蔭は日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけたといわれ、古来より包丁の神・料理飲食の祖神として、多くの料理店や業界の方々の信仰を集めております」とありました
そしていよいよ
坂道をあがりきって左手にあるのが
大元宮(たいげんきゅう)
文明16年(1484)
吉田兼倶が左京室町にあった社を現地に造営
吉田神道(唯一宗源神道)の根本殿堂です
反本地垂迹説(神が本地で仏が垂迹(仮の姿)を説き
「宗源宣旨」並「裁許状」を発行するなど
中世に生まれた神道ですが
明治になり神仏分離令で復古神道が基盤となり衰退
御祭神は天神地祇八百萬神
東神明社 天照皇大神
西神明社 豊宇氣比売神
東西諸神社 式内神3132座
初めてこの八角形の本殿を見た時
これが吉田神道なのだと記憶に残りました
説明書きによると・・
慶長6年(1601)の建物で平面上八角形に六角形の後房を付した形 屋根は入母屋造りの茅葺、棟には千木をあげ、中央には露盤宝珠、前後には勝男木を置く特殊な構造で、密教・儒教・陰陽道・道教などの諸宗教諸思想を統合しようとした「吉田神道」の理想を形に表したものと言われます
中世神道の世界観ですね