あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

歌い手としての覚悟

2022-01-14 | 私が歌手

「生きることは表現すること」

だと思っている。

「表現する」とは楽しくもあり

苦しくもあり。

自分だけで悦にいるならば

たぶんそうでもなかろうが

人前で表現して誰かに

認めてもらおうとすると

楽しさ以上に苦しさも倍増する。

そのことをこれまで嫌というほど

味わった。

歌う事が好きなんだと

気づいたことは何度かあるが、

何の為に歌うんだろうとか、

歌なんて嫌いだ。

と思ったことも同じ数だけある。

つまり活動自体にいつも迷いがある。

この頃の私は不機嫌だ。

起床した瞬間から不機嫌で、

母の一言とかあるいは

小さな迷惑行為で突発的に

切れモードに入る自分を発見して

「私はどうしてこんなに

機嫌が悪いんだろ」と思う。

何やかや些細な事があるが

その間隙をぬって歌う。

そうするといつの間にか機嫌が

治っているからね。

やっぱり歌が好きなんだなと思う。

ユーチューブの番組が目に留まった。

由紀さおりがゲストだった。

「守護霊が言っている」と

前置きして語られたことは、

由紀さんは前世ジャズシンガー

だったそうで、

歌うことが何より好きだったが

悩んだ末に結婚を選んだ。

歌をあきらめたことをとても

後悔したのだと。

今生は納得が行くまで歌うと

覚悟を決めているはずだと

言われていた。

「まさしくその通りです」と由紀さん。

子をなすことができなくなったこと、

2度の結婚に失敗したことを語り、

歌の為に結婚を選ばなかったから

その方たちの為にも

歌の世界で頑張らないと

「ご無礼だと思う」と由紀さん。

「明日歌う為にお風呂に入り

明日歌う為に食べる」と語った。

その下りで私は滂沱の涙。

歌う為に日常があり

その日常を淡々と送るー。

なんて美しいんだろうと思った。

「これは由紀さおりのことで

私のことじゃない」

頭の中ではそう思うのだけれど

自分のことのように思えたのだった。

最近の不可解な不機嫌さの理由が

分かったような気がした。

つまり自分が本当にやりたいことを

やっていない。

「魂の声に従う」という発想がある。

魂の声に従っていないのだ。

人生には限りがある。

歌う為に生まれたのかもしれないのに

日々の些細な事に気を取られ

何かの為とか誰かの為とか・・。

まだ来ない未来の為に

今やりたいことを先延ばしに

している気がする。

私なりの覚悟を持たなくては

いずれ後悔することになるだろう。

何年も前だが一念発起して

大掛かりな大舞台を主催主演した。

予算120万円。

応援して下さる方があり

損益0円を達成できたのは

奇跡以外の何物でもない。

その舞台を見た方が

「にいやは出雲の阿国だ」と

言われたそうだ。

そのことが気になり、

出雲の阿国さんのことを調べて

墓所にお参りに行ったことがある。

手を合わせると

「芸事への覚悟はあるか」と

聞こえた気がした。

「ありません」と即答した。

あれ以来ずっと気にはして来た。

「芸事」の域に達していないし、

その為に生活の全てを捧げるだなんて

私にはとうてい無理だと思った。

けれど以来、

モヤッとした気持ちがあるのは

確かだ。

「あの時、覚悟はないと言ったな」

と、いつも思っている。

本来の新年は2月の節分。

新年に向けて自身に決意があるのか

それともないのか。

もう一度確認に行かなくてはと

思っているところだ。

 

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