問い直すべき12月8日の意味 ~知られていない「開戦の詔勅」~

 

 12月8日。大東亜戦争が始まった、いわゆる「開戦の日」。今年も普段よりも早く自宅を出発し、出勤前に松竹院さん(前橋市本町)にお邪魔させて頂きました・・・

 

 今から75年前の今日、12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩(たくみひろし)陸軍少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始。ここに大東亜戦争の火ぶたが切って落とされました。

 

 さらに、その約2時間後の同3時19分(日本時間)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「ト・ト・ト……」(ト連送)、すなわち「全軍突撃」を下命。日本海軍はハワイ・オアフ島の真珠湾に展開していたアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に奇襲攻撃を敢行。

 

 同3時22分、淵田中佐は旗艦「赤城」に対して「トラ・トラ・トラ」(トラ連送)を打電。これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号略号でした。

 

 とりわけ真珠湾作戦における米国側の被害は甚大で、犠牲者は2413名(民間人68名を含む)にも及びました。合掌 

 

 こうした非常事態を受け、12月8日12時29分(ワシントン時間)にF.ルーズベルトは連邦議会でアメリカ国民に向けてラジオ演説を行い、日本海軍の攻撃により真珠湾に展開中のアメリカ海軍が壊滅的な損害を被った12月7日(アメリカ時間)を「アメリカにとって恥辱の日」と表現し、奮起と団結を呼び掛けました。

 

 一方で、日本軍側の損害も決して忘れてはいけません。

 

 作戦成功を派手に宣伝された真珠湾攻撃は奇襲作戦の成功を過剰に宣伝されましたが、実際には64名もの日本軍将兵が散華されました。祖国の平和と発展を願い、その礎となられた誇り高き先人たちに対し、深く哀悼の意を表します。合掌

 

 その64名の中には、前部に45センチ魚雷発射管を備えた特殊潜航艇「甲標的」で出撃して真珠湾内で散華され、後に「九軍神」として顕彰された9名の海軍将兵も含まれています。それは事実上の水中特攻の先駆けであり、後に大本営は5隻の甲標的で編成された部隊を初めて「特別攻撃隊」と命名しました。

 

 そして、その特別攻撃隊の指揮を執った人物こそ、わが郷土群馬県が生んだ至尊の英雄、岩佐直治海軍中佐(前橋市天川原ご出身)です。

 

 つまり。私にとって12月8日は、尊敬する岩佐直治海軍中佐の御命日。毎年欠かさず、岩佐中佐の御墓所である松竹院さん(前橋市本町)にお邪魔させて頂いております。(参照:12月8日は特別な日なんです!12月8日は特別な日なんです! (2) )・12月8日は特別な日なんです! (3) 12月8日は特別な日なんです!(4) )。

 

 岩佐直治中佐のお墓 到着したのは8時前でしたが、すでに墓前にお花がたくさんお供えされてされていました。合掌 以下、掲載写真は全て平成28年12月8日に松竹院さんで撮影させて頂きました。

 

 岩佐中佐の御尊名が刻まれた墓石 岩佐中佐は大正4(1915)年5月6日に前橋市天川原でお生まれになり、昭和20年12月8日にハワイ真珠湾で散華されました。合掌

 

 持参したキクのお花 白と黄色のものがそれぞれ1輪ずつ入っているものを2束持参しました。

 

 お供えしたキクのお花 これと同じものを墓前の左右に2輪ずつお供えしました。

 

 「軍神岩佐中佐」の歌詞が刻まれた石碑 戦終戦から38年が経過した昭和58年に御遺族が建立した石碑です。墓前の左側に立っています。

 

 柑橘系の果実 「軍神岩佐中佐」の歌詞碑の真上にぶら下がっていました。真ん丸の果実が優しく私をお出迎えしてくれました。

 

 

 さて、「終戦の詔勅」、すなわち玉音放送に関しては、日本国民であれば誰もがご存知かと思います。しかし、「開戦の詔勅(正式には「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」)」については、ほとんど知られていないのではないでしょうか?

 

 というか、わが国の歴史教科書では、そもそも大東亜戦争は「太平洋戦争」などと表記され、同戦争を取り上げる際、その結末、すなわち連合国側がわが国に押し付けた「ポツダム宣言」ばかりが小・中・高とも強調されがちです。

 

 それって、歴史学習のあり方としておかしいのでは?

 

 日本人をあたかも米英の奴隷民族とみなしがちな、自虐的な歴史教科書なんて要らない!

 

 日本が米英との開戦に踏み切った、いや踏み切らざるを得なかった背景こそ、しっかりと学ばせるべき!!

 

 大東亜戦争の大義とは?

 

 その明確な答えが、「開戦の詔勅」に記されています。

 

 難解な字句が多く登場し、おそらく首をひねるであろう読者さんのために、極力簡略化させて頂いた現代語訳も併記しておきます。

 

 

米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

 

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々
東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ

皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

 

御名御璽

昭和十六年十二月八日

 

内閣総理大臣兼内務大臣陸軍大臣 東条英機
文部大臣 橋田邦彦
国務大臣 鈴木貞一
農林大臣兼拓務大臣 井野碩哉
厚生大臣 小泉親彦
司法大臣 岩村通世
海軍大臣 嶋田繁太郎
外務大臣 東郷茂徳
逓信大臣 寺島 健
大蔵大臣 賀屋興宣
商工大臣 岸 信介
鉄道大臣 八田嘉明

 

 

【現代語訳】
   天の助けにより万世一系の皇位を受け継いできた大日本帝国の天皇が、忠誠にして武勇に富む国民に示す。

 

  私はここに米国及び英国に対し、戦いを宣言する。陸海の将兵は全力を奮って戦いに挑み、武官や役人たちはその職務に励み、国民もそれぞれの本分を尽くし、心を一つにして国家の総力を挙げて戦いの目的を達成してほしい。

 

  そもそも東亜の安定を確保し、世界の平和に寄与することは、明治天皇から大正天皇へと受け継がれてきた将来への配慮であり、私が常に心に留めてきたことである。そして、各国との友好を大切にし、全ての国がともに栄える喜びを分かち合うことも、日本が常に外交の大切な柱としてきたことである。今、不幸にして米英両国と戦いを始めるに至ったことは、実にやむを得ないことであり、私の意志ではない。
  中華民国の政府が日本の真意を理解せず、みだりに事を構え、
東亜の平和をかき乱し、ついに日本に戦いを始めさせてから4年余りが経過した。幸い国民政府は新たに生まれ変わり、日本はこれ(=汪兆銘政府)と友好関係を結び、ともに提携するようになった。ところが、重慶に残存する政権(=蒋介石政府)は米国、英国にかくまわれ、仲間内の争いをやめようとはしない。
  米英両国はこの残存政権を支援し、東亜の混乱を助長し、平和の美名にかくれて東洋を制覇しようという忌々しき野望を達成しようとしている。それだけではなく、その同盟国に働きかけて日本周辺に軍備を増強して我々を挑発し、さらには日本の平和的な通商にあらゆる妨害を加え、ついに経済断交まで行い、日本の生存に重大な脅威を与えている。
  私は政府に(こうした悪しき)事態を平和的に解決させようとし、(米英両国の横暴に対して)長らく我慢してきたが、彼らは全く譲り合う気持ちは寸分もなく、いたずらに解決を先延ばしにし、経済上や軍事上の脅威を一段と増強し、日本を屈服させようとしている。事態がこのまま推移すると、東亜の安定に向けた日本の長年の努力はことごとく水泡に帰し、日本の存立も危うい。ここに至って、日本は
自らの存立と自衛のために勢いよく起ち上がり、全ての障害を打ち破るしかない。
  皇室の祖先や歴代の天皇が天から見守ってくださるであろう。私は国民の忠誠や武勇を信じ、歴代の天皇の遺業をおし広め、速やかに禍根を取り除き、
東亜に永遠の平和を確立し、日本の光栄を守りたい。
 

 

 いかがでしょうか? 

 

 大東亜戦争が東亜(アジア)の安定、そして日本の自存自衛のための戦いであったことは、この「開戦の詔勅」を読めば一目瞭然ではないでしょうか。しかも、米英との開戦に踏み切らざるをえない状況に日本を追い込んだ張本人は米英両国であり、日本が好んで米英との開戦に踏み切ったわけではないこともキッパリと明記されています。

 

 大東亜戦争に関する歴史認識問題で他国と折り合いが付かない日本ですが、安易に譲ってはいけません!

 

 私たち日本人は自国の歴史に誇りをもち、とりわけ「開戦の詔勅」の主旨に則って12月8日の意味を深く問い直す必要があるのではないでしょうか?それこそが、大東亜戦争で散華された日本軍将兵の方々に対する最大の供養だと私は思います。

 

 改めて岩佐中佐、そして大東亜戦争で敢闘した私たち日本人の先人たちに敬礼 そして合掌