頼朝の大姫入内計画(頼家のお披露目と元服時期について) | タケ海舟の歴史事件帳

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さてさて…

 

嫡女大姫(おおひめ)を義弟である一条能保(いちじょうよしやす)の嫡男高能(たかよし)に嫁がせるという頼朝・政子夫妻の願いは、当時者たる大姫の拒絶によって頓挫してしまいました叫び

 

面目丸潰れ状態になってしまった頼朝ですが、落ち込んでいる暇はありませんでしたNG

 

何故なら、高能・大姫との縁談が破談となったのは、建久五年(1194)八月のことだったのですが、その年の十月より第二回目の上洛準備に着手していたのですチョキ

 

第二次上洛は、建久六年(1195)二月の実施の運びとなったのですが、五年前の第一次上洛と異なることは…

 

今回は政子・万寿(まんじゅ)、そして大姫を伴っての都上りであったという点でした合格

 

前回は内乱の終焉と平和な世(建久の平和)の到来の宣言と、武家の棟梁頼朝と朝廷の主宰者たる後白河院との協調路線の確認という目的があったのですが、今回は東大寺大仏殿の落成供養への臨席が主目的でしたOK

 

南都にて行われた落成式において、頼朝が鎌倉より率いて来た数万の軍勢が周辺を警護、関白九条兼実(くじょうかねざね)以下の有力公卿達も参列した落成供養は厳戒態勢の中、無事成功裡のうちに遂行されたのですが、今回の上洛の目的はそれだけではなかったのです注意

 

此度の上洛の真の目的は…

 

①嫡男万寿(頼家)を正式に自身の後継者として、朝廷に認知してもらうチョキ

 

②大姫の後鳥羽帝(ごとばてい)後宮入内問題に目途を付ける

 

上記二つの目標達成だったのです上差し

 

そのうち前者ですが、万寿は六月三日と二十四日の二回に亘って参内を果たしたのですが、前者は父に伴われてのそれであったのに対して、後者は単独による参内であったというのが特筆されます注意

 

この数年前の冨士の巻狩りで鹿を射止めたことで、万寿は山の神から父頼朝の後を継ぐべき者として認められたと喧伝されており、加えて彼を脅かす可能性のあった源氏一門は、この時点でほぼ一掃されていたこともあり、彼の参内はその総仕上げ的な意味合いもあったのでしょうパー

 

因みに、万寿改め頼家の元服の時期なのですが、『吾妻鏡』等の史料には、彼は何年に元服したという明確な記述は残されていません左右矢印

 

実際二代目鎌倉殿として、頼朝の後継者となった頼家ですので、本来なら正史たる『吾妻鏡』に元服記事が記されていて当然なのですが、何故かそれがない…

 

既に多くの研究から明らかになっていますが、『吾妻鏡』は北条氏の主導によって鎌倉時代後期に作成された幕府公式記録でありしたがって北条家にとって都合の悪い箇所については、何らかの潤色が施されていたのです禁止

 

特に頼家については、『吾妻』は終始批判的な記述で貫徹されているのですが、北条家は否定・抹殺した頼家のことを良く言う筈はなく、寧ろ必要以上にに暴君・暗君的なイメージを加えられた感があります腕時計

 

そういう背景がある以上、頼家については最低限で事務的な記述が過半を占めており、元服という人生において最も晴れがましいイベントの記述が載せられていないのも首肯出来ると思いますねガーン

 

では、頼家はいつ元服したのか?

 

特定は難しいのですが、十六歳になった建久八年(1197)、頼家は従五位下右近衛権少将に任命されており、少なくともこれ以前に元服を済ませていたことは分かりますニコ

 

因みに『吾妻』は第二次上洛翌年に建久七年(1196)から頼朝が亡くなった同十年(1199)一月までの記事が欠けており…

頼家の任官叙位はこの欠落時期に該当するので、建久八年以前元服説は、的外れではないと思われますNEW

 

但し、『吾妻』における頼家への冷淡な文調から察して、建久八年以前に元服を済ませているにも拘わらず、意図的にこれを記述しなかった可能性もあります目

 

とは言っても、普通に考えるならば、少なくとも、鎌倉に戻って程なく元服を行ったと考えるのが順当でしょうねニコニコ

 

尚、頼家という諱(いみな)を与えられた経緯も詳らかではないのですが、先祖の八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)の様な武将(則ち武家の棟梁)になって欲しいビックリマーク

 

という父頼朝の願いからの命名だと思われますOK

 

この様に、第二次上洛の主目的の一つの頼家の後継者としてのお披露目は、順調に推移したのですが…

 

いま一つの大姫の入内工作については、なかなか簡単には行かなかったのですカギ

 

続きは次回に致します本