苦労してきた経験はありますか?と問われたら、みなさん何かしら思い当って「はい」とお答えするかもしれませんね。
人によって苦労って違うと思いますし、感じ方も様々ですので一概に比べるのは難しいですが、ひとつ思うことは、
一人で乗り越えられる苦労はそれほど大きなものではない気がします。
魂を向上させる程の試練(苦労)とは、人が何をしようと、どんなに努力しようと、手段を選ばずになりふり構わず行動してもどうしようもないものだと思います。
うつ病にならない俺は強い!なった人は弱いからだ。
仕事が軌道に乗っているのは俺が努力した結果だ。アルバイトで生計を立てるなんて努力してないからだ。もしくは、能力がないからだ。
お金=人の価値だ。俺は才能と努力でここまで来た。
金メダルと取った。
・・・・などなど。
人生の成功は運命学から見れば、運の支配下にあるんです。人には努力と才能と運が必要なんです。
そして、成功するには犠牲となる人が必要なんです。
その存在を無視して、自分一人だけの力だと考えるのは、ただの傲慢な考え方となります。
人生、生きているのは皆地上だし、同じ条件で生きているから、あとは人の能力や努力の仕方が結果を左右する。
と考えるのはしょうがないことだと思います。
でも、運命学を知ることで、自分は他人(または動物などあらゆる生命)の犠牲の上に立っているとわかります。
いくら才能があっても努力しても結果が伴わないということはどうしてもあるんです。
算命学は自然・大宇宙の理から生まれています。
人も木・火・土・金・水に分けられます。
例えば、草花(木)の人がいたとします。
この草花はどこに咲いているかです。
自然豊かな大きな山のふもとに一面に広がる花畑の一輪なのか、もしくは、都会の大通りのアスファルトの片隅に咲く一輪なのか。
山のふもとに咲く花は、厳しい冬が来ても、ベースがしっかりしているので耐えられます。
しかし、排気ガスにまみれた日陰に咲く花は、そこで必死に生きていくだけでも大変な上に、そこに真冬の厳しさがプラスされたら、それだけで生きていくのも困難です。
算命学の宿命(星)は、どこで咲いているかを表してくれます。
人生は平等ではないのです。
どの環境でその人が生きているのかがわかります。
重りをつけて100m走って15秒の人と車に乗って5秒の人を見分けることができます。
そして、巡りくる運勢によって、結果が良い方向にでる時なのか、悪い方向に出る時なのかもわかります。
例え、才能があって成功者といわれる人でも、悪い時期では結果が出ません。
宿命では人生のベースは整っているので、基本は成功ですが、たまに失敗しているねと見られる程度です。
でも、宿命から厳しく、しかも巡りくる運も悪い時期だとどうにもならないのです。
そこを調整するのが鑑定士でもあるのですが。
苦労の話ですよね。
どうにもならないことってあるんです。でもそれがその人の価値そのものではないのです。
それを理解できたら、もっと人は人に優しく接することもできるし、犠牲となっている人にも親切に接することができると思うんです。
各省庁による障害者雇用の水増しが行われることも少なくなるでしょう。
むしろ、大変な思いをされている方に感謝すると思います。
その方々がいるから、自分たちが豊かになれるのですから。
その人たちの犠牲の上に自分たちは立っているし、生活できているのです。
昔、人柱というものがありました。
洪水がおこると、神が怒っているといって、人身御供といって犠牲になる人を一人決めて死んでもらって災害を止めるのです。
これで、渋川村だったかな?助かっている記録もあります。TVで調査していました。
今、日本が豊かなのは、東南アジアやアフリカなど貧しい国があるからなのです。
これが理解できれば分け与えることはそんなに難しことではない気がします。
もっともっと人類が一つになれると思います。
人の犠牲は身近な人となります。基本的には親や兄弟、子ども、祖父母くらいの範囲が一番強いです。
ただ、スピリチュアルな観点から言うと、犠牲になる人も、それが自分の魂の向上につながるため、あえて犠牲になるところを選んで生まれて来てもいます。
だから、そのままでいいじゃないかではなく、修行中の魂は自分で乗り越えることは大事ですが、周囲はそれを必要な分はサポートする、それを見ているだけで、自分の学びにもなります。寄り添うだけでもいいと思います。
マラソンランナーを応援するような光景が、いろいろな場所でみることができたら世の中はもっと人のぬくもりであふれると思います。
自分でも何が言いたいかわからなくなってしまいましたが、とりあえず思うことをつらつらと書いてみました。
最後まで読んで下さりましてありがとうございます。