カメハメハ大王がハワイ諸島を統一し、
その後 カメハメハ2世、3世、4世、そして、5世と
続いたカメハメハ時代。
私が今、4世についての本を読んでいるのですが、
4世の妻、Kalelelonalani(エマ女王)についてのお話を
今日は、少し書いてみたいと思います。
1836年1月2日に生まれたエマ女王。
英国の血を引く高位の両親の元に生まれますが、生まれてすぐに
叔母と英国医師の叔父の元へ養子に出され、ホノルルにある養父母のイギリスの邸宅で育ちました。 アメリカ人宣教師によって設立されたロイヤル・スクールで教育を受けた彼女は、ハワイとヨーロッパ系アメリカ人の両方の習慣を持ち、豊富な図書館を利用できるため、本に強い関心を抱きました。
ボーカリスト、ピアニスト、ダンサーとしての才能は広く賞賛され、また、熟練した乗馬者でもありました。
女王は、Emma または、Emalaniと呼ばれていましたが、
近親者からは、Kalanikaumakaと呼ばれていました。
1856年、ちょうど1年前にカメハメハ4世として王位に就いていたアレクサンダー・リホリホと結婚し、
2年後、息子アルバート・エドワード・カメハメハ王子を出産します。
1859年 新たに持ち込まれた病気によって荒廃したハワイの人々を助けることを目的として、クイーンズ病院を設立。
1862年にわずか4歳で息子が亡くなり、Kaleleokalani と改名し、その翌年には夫の4世も高いし、
Kaleleonalani (複数形の意味)に改名します。
義理の弟であるカメハメハ 5 世は、
少しでも女王の悲しみを癒し、何かに没頭できるようにと
1865年、ハワイ聖公会の宣教のための資金集めを目的とし、イギリスとアメリカに女王を送ります。
ニューヨークに向けて出航する前に、ロンドン、フランスのリビエラ、イタリア、ドイツ、パリ、アイルランドを訪れました。
ヴィクトリア女王やフランス皇帝ナポレオン3世を含むヨーロッパの王族やアンドリュー・ジョンソン米国大統領と幅広く面会し、女王として初めてホワイトハウスを訪問しました。
彼女の旅は大成功をおさめ、16,000ドル以上の募金を集め18かエマ女王はハワイに戻りました。
しかし、セント・アンドリュース大聖堂の建設の費用を携えて帰国した女王の家族を失った悲しみは 癒される事はありません。
そこで5世は、以前と同じようにカウアイ島に行き、ワイアレアレに登ることを提案します。
アラカイの冷たく湿った沼地を夜明けまで勇敢に乗り越え、北のワイニハを見下ろすキロハナまで進みました。 女王は「山を登る王者」または「山の尾根を登る王者」と呼ばれます。
1874年、エマ女王は多くのハワイ先住民の支持を得ていたにもかかわらず、ハワイの新しい国家元首となる選挙で落選し、公の場から潔く引退します。
1882年、Kaleleonalani 女王はコハラを訪れ、ワイメアへ向かいました。 ワイメアでは 一晩滞在し, マウナケアに登り、マウナケア山頂にある湧水の湖であるWaiauを見に行くのです。
ハワイの思想では水は命を与えるもの。
女王は、Waiauを見て何を思い 感じたのでしょう・・
1883 年に 49 歳で亡くなり、ハワイ王立霊廟に埋葬されます。
1886 年セント アンドリュース大聖堂が建立。
現在も、女王が設立したクイーンズ病院、そして、セント アンドリュース大聖堂は、女王の所有する土地の収益によって
存続されています。
インターナショナルマーケットプレイスもその1つ。
Waikikiは、多くの人々に知られている様に
多くの王室が住んでいた場所。
歴史が近くに感じられる場所でもあります。
そして、女王にとって大切な場所、
それは、Nu'uanu...
まだまだ書きたい事がありますが、
またの機会に。
ハワイの事、知れば知るほど
もっと知りたくなり、楽しくなりますね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
Have a nice weekend
*写真は、Kaleleonalaniのお気に入りの花、Spider Lily.
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