JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄は「清算事業団」と名称を変更 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

JRは国鉄にあらず?

JRは旧国鉄の車両・施設を引き継いで1987年4月1日に発足しました。

それまでの車両の側面にはJRマークが掲出され、特に寝台列車では電源車に大きなJRマークが掲出されひときわ目立つ存在でした。

また、通勤電車などでは、先頭車にもJRマークが掲出されていました

多くの方は国鉄がJRになったと思うかも知れませんが、法令上は国鉄の職員がJRの社員になったのではなく、国鉄の職員が1987年3月31日付けで退職し、1987年4月1日にJRに採用されたと言う形を取っていたのです。

実際には、当時は寝台列車なども運転されていますから、そんな馬鹿なことないだろうとなる訳ですが、あくまでも書類上の話し

事前にJRの採用通知書を貰った職員は自動的に1987年4月1日付で新生JRの社員に採用された形となっていました。

そして、JR発足時には九州や北海道で採用されなかった国鉄職員が多数いたとも言われていますが、JRに採用されなかった職員はどうなったのでしょうか?

国鉄は公務員に準じる組織であったため、会社の解散=解雇とはならないわけです。

国鉄を引き継いだのは清算事業団

となると、JRに採用されなかった職員はどうなったのでしょうか?

JRの社員は国鉄をいったん退職して新たにJRに採用されたという形を取りましたがJRに採用されなかった人たちは、実は国鉄職員として残っていたのです。

清算事業団職員=旧国鉄職員ということになりました。
旧国鉄は、その事業を新生JRに託してあるため基本的には鉄道業務に携わることはありません。

また、既に他の職場(公務員や関連会社)に再就職が決まっており、未だ新しい職場の発令がない職員も清算事業団職員として、新しい職場からの発令を待つことになっていました。

清算事業団はどのような仕事をしていたのでしょうか

  日本国有鉄道清算事業団法

附則には、以下のように書かれています。

〔 事業団への移行 〉
第 2 条 日本国有 鉄道は、改革法附則第2項の規定の施行の時において、事業団となるものとする。

 

清算事業団の仕事はなに?

清算事業団では、JRに採用されなかった旧国鉄職員が再就職のための準備をする組織と、JRに引き継がせずに国鉄として残した遊休地や旧ヤード、工場などの跡地を売却するという二つの仕事がありました。

もっとも、再就職のための組織では、既に新しい職場への採用が決まっている人もいる反面、未だ新しい職場が決まっていないと言う人もいたりしたそうです。

特に、北海道・九州ではある特定の組合(国労)に至っては50%程度の採用率だったと訳で、その反面、労使協調路線を選んだ、鉄労・動労などはほぼ100%採用されていました。

しかし、実際には採用されても採用を辞退する人も多く、本州3社では希望した職員は組合別関係なくほぼ採用された例もあり、出向など積極的に取り組んだ組合とすれば不満が残る結果となりました。

その辺は、日本国有鉄道清算事業団法には、以下のように書かれています。

 

(業務の範囲)
第二十六条 事業団は、第一条第一項の目的を達成するため、次の業務を行う。
 一 国鉄長期債務その他の債務の償還及び当該債務に係る利子の支払を行うこと
 二 前号の業務その他業務の遂行に必要な資金に充てるために土地その他の資産の処分を行うこと
 三 前号の業務を効果的に推進するため事業団の所有する土地に係る宅地の造成及びこれに関連する施設の整備並びに当該宅地及び施設の管理及び譲渡を行うこと。
 四 前三号に掲げるもののほか、日本国有鉄道の改革の実施に伴い事業団に帰属した権利及び義務の行使及び履行のために必要な義務を行うこと。
 五 前各号の業務に附帯する業務を行うこと。
 六 前各号に掲げるもののほか、第一条第一項の目的を達成するために必要な業務を行うこと。

清算事業団はいつまで存在した?

清算事業団は、法令では 以下のように別途定めるとしており、清算事業団に残った職員(JRに採用されなかった職員)の再就職は概ね3年以内とし、その間に積極的に職業の斡旋に努めるとされていました。

ただし、清算事業団の解散時期は法令で別途定めるとされていた。末尾条文参照

そして、国鉄債務返済のための土地売却については、バブル期と重なり、その売却が土地高騰を招くとして停止させられました。
その結果、土地の暴騰はならなかったものの、結果的に売却すべき時に土地を売却できなかったために、最終的に清算事業団は平成10(1999)年10月22日に 解散するのですが、こうしてバブル期に土地を売却できなかったこともあり、清算事業団発足当初引き継いだ25.5兆円の長期債務は、清算事業団解散時は28.3兆円まで膨らんでいました。
なお、この清算事業団の業務を引き継いだのが鉄道建設公団であり、鉄道建設公団の中に、「 旧国鉄清算事業本部」を設置して、長期債務の償還を行うこととなりました。

余談ですが、鉄道建設公団は2004年10月1日、特殊法人改革で解散、 旧運輸施設整備事業団と統合し、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構として発足し現在に至っています。

 

 (解散)
第四十七条 事業団の解散については、別に法律で定める。

国鉄の負債はまだまだ続く

国鉄時代の負債は、一般会計に繰り入れたものも含めて国の借金として残っています。

更に昨今は、JR北海道などに代表される在来線のあり方が再度検討される他、新幹線に関してもどうあるべきなのかという点で語論が今後進むこととなりますが、国鉄改革時のこうした負債を含めて基幹交通機関の一つである在来線のあり方も含めて更に検討するべき時期に来ているのではないでしょうか?

この記事が気に入りましたらぜひ、クリックをお願いします。m(__)m

 

*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。

http://jnrera.starfree.jp/contact.html


日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

*****************************************************************

この記事が気に入りましたらぜひ、クリックをお願いします。m(__)m


にほんブログ村

関連動画は以下の通りです。