1960年関西の鉄道の話題から | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

古い鉄道ピクトリアルを参照していますと面白い記事をいくつか見つけたので、そこからピックアップしてみたいと思います。

 

今回の話題は以下の三つ

 

  1. 西成線・城東線(現大阪環状線・京橋方面及びゆめ咲線)の電車がオレンジ色に?
  2. 阪急 十三~豊中複々線化?
  3. 能勢電鉄 舞鶴まで延伸?
参照した記事は、鉄道ピクトリアル1960年6月号です。
 
西成線・城東線(現大阪環状線・京橋方面及びゆめ咲線)の電車がオレンジ色に?
最初の、西成線・城東線の電車がオレンジ色という話しですが。
大阪環状線が西九条を起点として曲がりなりにも繋がったのが昭和36年4月25日ですので、当時は大阪駅を起点に、西九条から桜島に続く路線は西成線。京橋方面は城東線と呼ばれており、クモハ73形などの旧型国電が走っていたのですが、これらの電車が昭和35(1960)年3月頃からオレンジ色になっているのでどうなっているのかという質問が鉄道ピクトリアルの「質問に答える」コーナーに投稿されていたわけですが。
これによると、当時の関西支社(当時は、管理局の上部機関として6支社(北海道・東北・関東・中部・関西・西部支社が設置されていました)からの提案で大阪地区の電車を都市域を走る電車として明るい色にしてはどうかという発案があって本社も承認したというもので、オレンジバーミリオン〈101系と同じ色)にすることを認めたとされています。
その後環状線が完成して101系が投入され、旧型国電は順次片町線や阪和線に移籍していったと言うことでしょか。
 
次の話題
阪急 十三~豊中複々線化?

 

こちらは、鉄道の話題というコーナーに出ていたもので、関西私鉄の新計画の内の一つなのですが。

これを参照しますと、阪急は。京都線の四条大宮から四条河原町まで延伸工事を行うとされており。更には、天神橋筋六丁目駅から国鉄天満駅まで路線を延伸する計画があると書かれています。〈実際には堺筋線で天下茶屋まで延伸として実現するわけですが、仮に天満駅までの延伸となっていたら、地下鉄の区間はどのようになっていたのか興味深いですよね。

他に、表題の通り、十三~豊中間の複々線化を計画していると書かれています。

もっとも、実際には複々線化は未だ実現していないわけですが、もし実現していたら豊中までの複々線を普通列車を急行が走行中に追い抜くシーンが見られたのでしょうか?ちょっとワクワクしますよね。

余談ですが、南海は白浜への直通列車の増発とは別に、神戸~白浜間航路の開設と言った計画も有ったようです。

 

 

最後は、

能勢電鉄 舞鶴まで延伸?

 

この記事ですが、もしこの線路が実現していたら間違いなくギネスブックに掲載されていたと思います。

と言うのは、この計画は普通に能勢電鉄の線路を延長するというものではなく、能勢口~妙見間の路線をモノレール化して綾部を経由して舞鶴まで延伸させるという壮大なもので、延長距離は約100kmであるが、現状では1km1億円の工費がモノレールの場合は半額で済むこと、用地買収も少ないという事から計画していると記述されています。

ただし、輸送力がジュライの鉄道と比較すると1両あたり150人が限度であり、国電のように1両あたり300人(まぁ、この数字の時点でかなり無茶な数字なのですが)~400人を乗せられないのが大量輸送が出来ないとしていますが。どのようなモノレールを計画していたのか興味はあります。