紀伊中ノ島駅の駅舎は移転したのか? | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

阪和線に「紀伊中ノ島」という駅があります。

駅番号は、JR-R53らしいですね。

現在は、紀州路快速(快速といえども、実質普通列車)しか停車しない駅ですが、元々は快速列車が停車する駅でした。

しかし、昭和47年には、それまで和歌山市発着を基本としていた、和歌山線の終着駅が、和歌山駅に変更になります。

和歌山市だと、そのまま南海電鉄に旅客が流れることを嫌っての措置かと思われますが、これにより紀伊中ノ島~紀和間の路線での旅客営業が廃止となります。
線路は、しばらくは残るのですが、昭和49年10月1日に正式に廃線となっています。
小さな駅ですが、結構遅い時期まで駅員が配置されていて硬券の切符などを発売していました、80年代初頭には合理化により無人化されたように記憶しています。
 
国鉄末期には、鉄道公安職員が特別改札として駅で集札を行っていて正直違和感を感じたものでした。
 
現在の紀伊中ノ島駅を見ると、駅舎を入って下図のように、出札口がせり出していますが、元々は、もっと内側に入り込んでおり、そのとなりには手小荷物の受付窓口がありました。
そして、ここで気になるのが紀伊中ノ島駅の建物なのです。
国鉄時代の建物には「建物財産票」というものが貼られていますので、それを確認すれば建築物の取得時期が確認できるわけです。
私の記憶が確かならば、紀伊中ノ島駅自体は昭和7年だったように記憶しています。
肝心のその辺を確認する資料がないのでですが、そうなってくると。
阪和電鉄の「中之島駅」として開業した駅舎が、移設して、現在の場所にあるのかなぁと思ってしまうわけです。
仮にこの駅舎が、阪和電鉄時代の駅舎であるという妄想が膨らみます。
当時の鉄道省の駅舎としてはモダンすぎるほどモダンな建て方であることを考慮すればその可能性は十分ありそうです。
昭和7年に阪和電鉄が建設した駅舎は、現在の場所より100mほど天王寺よりにあったとのこと、鉄道省が駅を設けたのが昭和10年ですし、その際駅移転に伴うホーム建設には鉄道省もかなり資材などを提供したという記述もあります。
実際に、紀伊中ノ島駅のホームに使われている、レールなどは鉄道省が払い下げたものであり、元々この路線が阪和電鉄であったことを意識しないと国鉄の路線であったような錯覚を持ってしまいます。
そこで、先ほどの仮説に戻るわけですが、阪和電鉄が開業させた当時から、現在の駅舎は存在し。昭和10年に和歌山線に駅を設けた際に省線が作ったのは仮駅であり、その一年後に現在の位置に阪和電鉄の駅舎を移築した。もしくは最初からそうした約束があり、鉄道省も資材等を提供したと考えると、駅舎の構造などを含めて納得いく説明が出来そうです。
国鉄の標準型の駅舎では、駅ホームと駅舎の位置が面一になっている場合が多くて、紀伊中ノ島駅のように、和歌山線ホームとの間に段差があるというのも非常に不自然であるからです。
この点は、駅の財産票の確認と併せて今後の調査事項ですので、今後和歌山に戻った際は確認してみたいと考えております。
 


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